第783話 境界。
注意・この作品はフィクションです。実在の人物や団体、事象などとは関係ありません。
また作中の登場人物達の価値観なども同様ですのでご了承ください。
『表現する力』が戻ったからと言って……それが全て良きことであるとは限らない。
笑えるようになっても、常に笑顔でいられるわけでもない。
──なら、あれほどまで苦労して、色々なものを傷つけて、それでも手に入れたこの『力』は……『本当に意味があったのだろうか』と、ふと思ってしまった。
『表現』を手にした訳だが……逆にこうした些細な『心』の揺らぎを得たことで、『悩み』も最近では感じる事が多くなったとも言える。
笑えるようになると、その『笑い方』にも悩むことがあるのだと。
そう考えると……うむ。ある意味では確かに、それは贅沢で『余計な悩み』とも言えるのかもしれないと。
そんな『力』は、『聖人』のいう所の『不要な力』にも近しく感じたのだ。
『本当にそれは必要だったのだろうか?』と、『心』にはそんな影も差す……。
それを必死こいて手に入れようとした『ロム』は……なんとも愚かにも思えた。
「…………」
──ただ、繰り返しにはなるが……何事も、大事なのはそれらの『力』を手にした先にある。
手に入れた『力』に満足する事なく、それをさらに活かす事が重要であると。
そうする事で『道』は続いていくのだと。
そうでなければ、『道』は途切れ、立ち止まり、その『道』が本当に正しかったのかと疑う事にもなる。
今までの生き方が、間違っていたのかもしれないと『虚しく』感じる事もあるだろう。
そして、それが本当に無意味なままで『終わってしまうかも』と──ちょっとでも考えただけで、また少し『心』は『詰まり』そうになってしまうのだ。
要は、『表現』を手に入れて私は『何をしたいのか』を、ちょっとだけ思い悩んでいる状態なのである。
『ただ笑いたいだけ』なのか、それともその『笑顔』にも更なる意味を求めるのかと、そんな『余計な悩み』が頭をぐるぐると巡ってしまうのだった。
笑う事さえできていなかったら、そんな悩みを抱く事もなかったのに。
笑える『力』を得たが故にそんな『悩み』も増えると言うのは、何とも皮肉な話であった。
「…………」
そして、何とも格好のつかない話でもある。
……だがまあ、ある意味ではそんな『悩み』も今更だろうと開き直りもした。
感じる『虚しさ』も、決して珍しい事ではないのだ。
誰もが『日常』の中で似た様な思いを抱くものだし。
『考えるだけ無駄だ』と思う事柄も、よくある話だ。
年を取り、成長し、色々と『変化』したはずなのに……それでまた『失敗』し、『詰まらない姿』を晒してしまう事もあるだろう。
そしてその度に、誰もが『モヤモヤ』とした心境になるのだと。
己の『歩み』が、『全て無駄だった』と思う事の『虚しさ』ったらないが──
その『道』が間違っていても今更どうしようもないのも道理だ。
時間は戻らないし、『道』は消せない。
「…………」
……それに誤っていたとしても、引き換えに何らかの『前進』を感じられれば、それだけでも歩いてはいける。
『全然進んでない』と思えた時でも、その実他の部分の『成長』を感じられたからこそ、私は迷ってもこうして歩いてこれた。『失敗』しても、それを改善すればよかったのだ。
──だがしかし、その大元の『道』の選択が、そもそも悪かったと……そう考えた時の徒労はなんと言うのか『存在を否定されたかのような』気持ちにもなる。どうしても『ずーん』と『心』にくるものがあった。
なんとも言えない気分になるというか……はっきりと言えば、この『心』は『陰鬱』としてしまっているだろう。
『表現』を知ると、こんな気持ちにもなるのだと私は知った。
そして、知った私は今……なんとなくどんより気分になっているのである。
『ああなんだか、今日はこのままゴロゴロと寝転がっていたい』……そんな気分だ。
眠れない身体でも、横になりたい日はあるものなのだと……。
「──ん?どうしたのロム?また考え事?」
……ただ、そうしていると、またそんな私の後ろから、左の腕を取って『大人の鬼人族』の綺麗な女性が──微笑みを蓄えて静かに寄り添ってきてくれたのだった。
ただまあ、それは言うまでもなく『エア』なのだが。
今日も彼女の『笑み』は何とも素晴らしい位に、『晴れ晴れ』としている様に私は感じた。
──真っ白い肌に、猫の様なきりっと可愛げのある大きな瞳、艶やかで綺麗な白髪を靡かせる彼女は、私が今までに出会って来たどんな者達よりも美しき存在である……。
『鬼人族』の伝統的な衣装だという、お臍の空いた服を身にまとい、その上からは思い出深いという『白いローブ』も着込んでいた。
『大樹の森』の中は常に心地の良い気温で一定に保たれている為、その様は少々厚着にも思えるが、かなり似合っている事は間違いない。まあ、少々『ぬくぬく、もこもこ』とし過ぎてはいるだろう。
無論、そんな『ぬくぬく、もこもこ具合が良いのだ』と微笑む彼女は今日も又、そんな柔らかそうな姿で私の傍に寄り添ってくれている訳だ。
「ロム」
左斜め下から、私の顔を見上げてくる彼女は、自然と私にそう訊ねつつ『ロムの悩み』を解そうと言葉をかけてくれているのも分かる。
……その『気遣い』が、『やさしさ』が、私にもちゃんと理解できるようになった。
「……エア」
だから私は、そんな彼女の気遣いに対して真摯であろうと──今の自分の『心の丈』を在るがままに打ち明けてみたのである。
彼女がそれをより良く理解できるようにと、自分なりに『表現』をしてみた、とも言えた。
私の話をエアは『ふむふむ』と相槌を打ちながら真剣に、それでいて楽し気に聞く──。
そして一通り聞き終えると、彼女は自分なりの『答え』を、必ず私に返してくれるのである。
『そっかぁ……ロムの『視点』だとそんな風に視えたのね──でもっ、わたしにはかっこよく視えてたよっ!』と。
「…………」
……そして、そんなエアの『優しさ』が、またまた身に沁みて、私の『心』はじーんとした。
無論、そんなエアの言葉が『気遣い』だと理解したが故に、だ。
……しかし、そんな私の『反応』を視ると、彼女は更にこんな風に続ける。
『──でもね。これはわたしがロムの事を特別だと思っているから言っている訳でもないんだよ?』と。
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