第765話 無自覚。
注意・この作品はフィクションです。実在の人物や団体、事象などとは関係ありません。
また作中の登場人物達の価値観なども同様ですのでご了承ください。
『道具』として扱われる事。『仕組み』として操られる事。
歯車の一部となり、嫌々と、望まぬことをし続ける……。
「…………」
それらの行為を、私の『心』は『不快』だと捉えた。
……特に『望まぬ状態を強いられる事』に対する『心』の反発は強い。
……それは誰しもが『心』に抱く、自然な欲求とも言えるのかもしれない。
逆に、その欲求があると言う事は、少なくともそれぞれの『視点』の中には何かしらの『まやかし』があって、普段は皆それでその『不快』を覆い隠している状態だとも言える……。
だからいっその事、極論だがこの世の『不快』な事柄──『その全てが無くなってしまえばいいのに』と、私は最初そんな風に思っていた。
──その光景を見るまでは……。
「…………」
それぞれの姿の元となる『主』を失った『白銀の館』の中で──
『ゴーレムくん』達は『主の模倣』をし続けるかのように日々を過ごしてきたという……。
本来、『ゴーレム』と言う存在はそもそも何かしらの目的を与えられて、『道具』として動く事を求められる者達だ。ただただ延々と『役割』に準じるだけの存在で、普通であれば『不快』を抱く事も無かっただろう……。
だが、この『館』に居る『ゴーレムくん』達には不思議と一目で視て分かるほどに『心』があった。
不思議とそうなっただけとは言うが……今ならば『ロム』が、彼らに『表現』を求めたかったのだとわかる気もする。
「…………」
ただ、その『心』があるからこそ、『ゴーレムくん』達も今の境遇に嘆いて、『不快』をもっと『表現』してもいい筈だと思った。
『主の模倣』が彼らの望む状況だったら話は別だが……恐らくは違うだろうと。
現状の求められた『役割』は、きっと彼らの求めていた『幸福』ではなかった筈だろうから……。
大切なものを失ったならば尚更に……。
過ごしてきた年月が長ければ長いほどに……。
『まやかし』でも隠しきれない『不快』が、『ゴーレムくん』達にも積もっている事だろうと……。
「…………」
だがしかし、どうやら彼らはそんな『不快』の扱い方が上手だったらしい……。
──意外と元気そうだったのだ。
……と言うのも、どうやら彼らは『不快』である状態を『嘆き続けるために使う』のではなく、『ではどうすれば現状からもっと楽しめる様になるだろうか?』と言う『考え方』の起点にしていたのである。
それは一見『大したことがない』様にも思えるが……。
『不快』な事柄に対して、後回しにしたり、誤魔化したりせずに、ちゃんと向き合い対応し続けていくのは意外と大変な事、凄い事だと私は思うのだ。
『…………』
──『白銀の館』にはかつて、『あたたかな賑わい』があった。
一人一人は何の『繋がり』も無かった筈の者達が、『優しい家族』となったのだ。
無論その空間は、『ゴーレムくん』達にとって何よりも代え難い『幸福の情景』そのものだった。
何しろ、彼らもまたその『家族』の一人だったのだから……。
自分達は最初、一人一人が『主となる者のサポート役』であり、言わば『模倣者』でしかなかった。
だが、その『役割』は大いに喜ばれて、自分達もそれを『心から楽しんでいた』のだと。
主人の真似っこでしかない行動も、次第に出来る事が増えていくと喜びも増えた。
それに応じて、主人に対する理解も深まっていった……。
──あの時あの瞬間、『主人は何を思って、そんな行動をしたのだろうか』と考えるだけで……そして自分ならばどうしたいだろうかと考えるだけで……楽しかったのだ。
それはまるで、輝く『宝石』の様な毎日だった……。
『…………』
ただ、その『意思』は捉え方によって如何様にも変化するもの……。
無論、その『幸福』だけは永遠に続いてくれたらと、何度彼らは願っただろうか……。
そして、その『あたたかな賑わい』が潰えたと理解した時、彼らがどれだけの『不快』を得た事だろうか……。
それはきっと、言葉に出来ないほどの『不快』が、寂しさが、悲しみが、後悔が、その『心』に襲いかかってきた筈だ……。
『なんで、みんな居なくなってしまったの……』と。
『僕達がもっと、こうしていれば良かったのかな……?』と。
『もっと出来る事が、他にも沢山あったんじゃないのか……』と。
『……いつまでも、続いて欲しかったのに……なんで?こうなってしまったんだろう?』と。
『幸福』を知っていた分、よりその『不快』も大きかっただろう……。
「…………」
──でも……いや、だからこそ、だったのだろうか。
彼らの『意思』は、『不快』に対する独自の『視点』を得たのだから……。
『だって、元々この場所は『あたたかな賑わい』に溢れていたから、この先もそんな場所であって欲しいから……』と。
『白銀の館』と言う限られた場所──そして、その中で生きる彼らの『視点』の中には、他とは異なる『考え方』が生まれた。
『主』となる者達は居なくなってしまったかもしれないが、その代わりに『家族』である自分達が、その後を継いで『館』をまたあの『あたたかな賑わい』で包んでいこうと、そう思ったのかもしれない。
第三者から視れば、それらの行為はただの『人』の『模倣』にしか映らないかもしれないが──
『ゴーレムくん』達からすれば『主』(親)が『子』に残してくれたものを引き継ぐ感覚に近しかったのではないだろうか……。
彼らは『人』ではない──だが、彼らの『心』は大切な『家族の思い出』を『白銀の館』と共に大切に守りながら、自分達だけでも『館』を盛り立てていく決心をしたのである。
『いつもこんな感じで掃除をしていたけど……今の僕達ならこんな風にもできるんだよ!』と。
『こんな感じの料理もあったっけ……じゃあ、今度はこんな『お料理』も試してみようか!』と。
そんな自分達なりの変化も付け加えるようにもなった……。
『作物も沢山作ったけど……次はもっと美味しいのが実る様に出来たらいいなぁ……』と。
『魔法道具も……これってもっと改善できる部分はないだろうか……』と。
そうして『ゴーレムくん』達は己の『役割』という壁も、少しずつ少しずつ乗り越えていったのである……。
「みんな凄いっ!暫く来ない内にまた色々と変わったものがあるっ──えっ!?自分達だけで作ってみたの?頑張ってみんなで考えたのねっ。……そっか。うんっ。うん。本当に、本当にすごいよ……」
『主の不在』と言う『不快』を強いられながらも、彼らは彼らに出来る事を見つけ出し、新たな『役割』を自分達で生み出していったとも言えるだろう。
『心』があったからこそ、その『不快』があったかもしれない……。
だが、その『不快』があったからこそ、それを改善しようと自分達だけでも歩き出せた……。
『心』が『不快』を一切感じなかったら──『主のサポート役』という『役割』に徹する必要がなくなった瞬間に、彼らはその動きを止めてしまっていたかもしれないからと……。
「…………」
エアは、そんな『ゴーレムくん』達が見せてくる色々な成果を、涙ぐみながらも嬉しそうに褒め称えていた……。
そして、そんな『家族』の言葉に『ゴーレムくん』達も『──ピョンピョン』と飛び跳ねてとても喜んでいる……。
私はそんな『あたたかな情景』を目にしながら、彼らのその『道程』にも思いを馳せ……。
『不快』な事柄も──その『歪』も、『全て無くなってしまえばいい』というものではないのだと思い直したのだ。
一概には言えないし、稀有な事柄だったのかもしれないが──少なくとも、『不快』な状態にあっても『幸福』な状態に至る事もあるのだと……。
そして、一見して『必要だと思えない表現』の中にも、『必要だと思う者』が居る事もまた忘れてはいけないのだと──。
「…………」
──『幸福の形』が一つではない事を、『視点』を変えて、改めて思い知った気がしたのだった……。
またのお越しをお待ちしております。




