第74話 過客。
『ダンジョン』それは淀みが積み重なった事で、この世界に新たに形成された別空間の総称である。
その内部は大抵が複数構造となっており、多くは一階層ずつ登ったり下りたりしていくタイプだ。
ただ、もちろん他にも種類があり、時には一部屋一部屋が全く別の作りになっていて、転移を繰り返さなければ別空間へと移動できないタイプなんてものもある。
これらのタイプは後どれだけの種類があるのか現在は不明であった。
そして、基本的にダンジョンは入口周辺の環境の影響を強く受けており、性質もそれぞれ異なっている。
ただ、淀みを貯め込む習性は共通のようで、その淀みにより内部に希少な物質を生み出したりもするのだが、それを餌にする事で内部へと外の獲物を誘い込み、それを襲わせる事でその獲物を『石持』、つまりは魔物に変えて更なる淀みを発生させるのである。
それにダンジョン毎に淀みの許容量や基準値みたいなものがあるのか、一定以上の淀みを発生させるようになったダンジョンは、入口から外へと向かって内部の『石持』を解き放ち、周辺にも淀みを撒き散らすようにもなる。
周辺に淀みが巻き散らかされると、そこにもいずれ淀みが溜まっていき、第二第三のダンジョンが生まれてしまうらしい。
今回はエアのたっての希望と言う事で、『ダンジョン』がある街へと向かう事になった。
ただ、その為にはこれまで旅してきたのとはまた別の方向へ、それも別の国を目指す事になる。
その理由はその国のとある街が複数のダンジョンが集合した街──所謂『ダンジョン都市』と呼ばれる特別な街──であり、冒険者ならば一度は目にしておきたいという程に有名な場所であったからだ。
そこはダンジョンを中心にして人も経済も回っていると言える場所で、折角ダンジョンを体験するならばここしかないだろうと私が提案し、エアが瞳を輝かせて即答した冒険先なのである。
因みに、私も長い冒険者生活時代に何度か行った事があるが、今エアが持っている『被褐懐玉』と呼ばれる【空間拡張】機能が付いた古かばん型『アイテムバック』もそこで手に入れた品物である。
このかばんを手に入れたのを最後に、私はそれっきり行かなくなってしまったので現在の詳しい状況はわからないが、あそこはダンジョンを介した物流が凄い上に、少し見ない間に日々もの凄く進歩している場所なので、私も久しぶりに行くのが楽しみだった。
それに、ダンジョンから得られる恩恵はとても大きい反面、それは同時に危険とも常に隣り合わせであると言う事でもあるので、あの街の冒険者はかなり能力が高い者達が揃っていた印象もある。
……今回の旅はエアにとってもかなり良い刺激になるのではないだろうか。
まあ、その分治安的な面では後ろ暗い者も多いので、普段よりも気を付けなければいけないのだけれども、その点は私が少々嗜んでおり得意としているので、是非とも任せて欲しい。……私はこれまで寝首を掻くことはあっても、掻かれた事はないのだ。
本当はもっと先の話、何れは行こうと思っていた場所の一つではあったが、国を越えていく必要があるので何気に遠く、国境を越えても目的地までは更にそこそこ距離もあるので、今回は本格的に長い旅になる事が予想できた。
ダンジョンに潜っていると中々【転移】を使って大樹の森へと帰って来るのも大変なので、今回は精霊達にも確りと配慮してから出かけたいと思う。……特に火の精霊は泣かせないようにしなければ。あれだけガサツな男前を装っているのに、一番繊細な精霊だと最近発覚してしまったのである。
……因みにだが、今まで行っていた国の王都方面にもダンジョンがある街はある。
だが、こちらはその国の王に一度とある案件で呼び出された際、私がイライラし過ぎて『用があるなら貴様の方が歩いて来い!』みたいな事を言ってしまった為、それから行き辛くなってしまったという理由があって、あまり行きたくない。……いや、かなり行きたくない。
まあ、それも遥か昔の話で、もうその時の王はもうこの世を去っているとは知ってはいるのだが、それでもその子孫や関係者がその後を担っているだろうという事を考えれば、わざわざ面倒な場所に行きたいとは思えないのである。
実際にダンジョンに赴くのは実りの季節と言う事で、それまでには色々とやっておかなければいけない事も多くあった。
なので私達はまず、この前の街に行き、宿屋の清算をする為にお金をしっかりと払いに行く。
あの時は急ぎだったのでこっそりと【転移】で帰ってしまったのだが、発覚する前に戻って来れたので問題なく清算出来た。一安心である。
宿屋での所謂"逃げ"と呼ばれる愚行は、冒険者として"潰し"に該当する危険行為なので絶対にしてはいけない。これは隣にいるエアにもその事をよく教えた。
これは評価云々、罪云々という話ではない。私の時代だと即プチュン対象である。
『そんなことする奴は冒険者じゃねえ、消えろ!』と言われて当然の行為として知られていた。
時々、逃げた者達の言い分で『ちと手持ちが足りねえ時もあんだろ?それ位はいいじゃねえか』とか、『たまたまだよ。忙しくて払うのを忘れちまう事もあるだろう』と、軽く考えてるのか反論してくる者も居たが、宿屋は全力で一時の安全な居場所を守ってくれているのである。
この"安全に眠れる"という行為がどれほど価値のある事なのかを知っている冒険者程これには厳しい。
本当に忘れていて、ちゃんと後で払いに来るのなら最低ラインでセーフだが、故意の場合はお察しであった。
因みに私の時代は宿屋の人間が元冒険者と言う者が多かったので、そういう半端な輩をプチュンするのは大体が宿屋本人だったりする。そうでなくても、こういう情報は直ぐに冒険者同士やギルドで広まってしまうので、最終的にはその逃げた冒険者はプチュンの未来しかない。
──という訳で、先ず私達はプチュンを回避して帰って来た。
「楽しかったねっ!久しぶりに会ったら元気そうで良かった!」
「ああ。だがまさかもう"結婚"までしているとは思わなかったが……」
プチュン回避した後の帰り道、私達はもう一つの街へも寄ってみた。
そして、私達が今話題にしているのは『お裁縫』仕事の時の、仕事仲間であった自称情報通の女の子の事である。
折角だからと寄ってみただけで、この短期間に何かが変わる事もないだろうと思い高を括っていたら、驚く事にその時には既に彼女は結婚しており、私達へと満面の笑みで報告してきたのであった。
少し前まであんなに泣いていたのに、彼女は今やもう喜びでキラッキラに光っている。
結婚のお相手はどうやら思いやりがある少し年上の男性らしく、彼女の傷ついた心を優しく包み込んでくれて、彼女は彼に深い愛と運命を感じ、もうこの人しかいないと決心して自分から結婚を申し込んだのだとか。
楽しそうに語る彼女の惚気話は口から砂を吐く程にひたすら甘いものばかりで、周りで聞いていた私やオーナー達は直ぐにお腹いっぱいになってしまったが、エアはずっと嬉しそうに話を聞き続けていた。
……途中何やらエアに顔が赤くなるような内容を色々と吹き込んでいたようだが、あまり変な事は教えないで欲しい。
まあ、なんやかんやはあったが、幸せそうな彼女の姿を見れて私もエアも嬉しく思った。
そんな彼女を祝福しつつ、休憩時間が終わった所で私達もお暇を告げ、オーナー達にも確りと挨拶して私達はその街も後にする。
そして、大樹の森に帰って来てからも色々とやり残したこと消化し、精霊達とも話をしていたらあっという間に一日は終わってしまった。
忙しい時は時間が経つのはとても早く。そしてそれは月日さえも驚く早さで過ぎていった。
いつの間にか更に数が増えていた『はにわ好きの闇の精霊達』とは、また一緒にみんなで月夜のお茶会を楽しみ。最近登場が一切なくて寂しい思いをしていた光の精霊はエアと一緒に一生懸命宥めたりもした。
いつもの精霊達とは変わらぬ楽しく緩やかな日常を過ごして、気づいた時にはもう実りの季節の『お野菜イベント』すら、大盛況のうちに終わろうとしている。
──そうして今、エアはソワソワしながら、新たな冒険の始まりに胸を膨らませていた。
約束通り『お野菜イベント』が終われば、私達はこのまま旅へと出ることになる。
今回は精霊達への配慮も頑張ったので、今回はみんな大樹で明るく見送ってくれた。
二人で森を歩きながら、のんびりと夜営を重ね、地道に目的地まで歩いて向かうそんな日々。
まるで初めての旅を味わっているかのように、エアの機嫌はずっと良かった。
『こういうのが良いんだよー!冒険者っぽいでしょー!』と言って凄く喜んでいる。
ずっとこういう静かで穏やかな旅をしたかったらしいのだが、確かに今までは少し違ったかなと私も思った。
……ただ、エアさん。『っぽい』じゃなくて私達は既に『白石』のちゃんとした冒険者なのです。
でもまあ、エアもこういうのんびりとした日常を好んでいる事を知れて、私も嬉しく思った。
このペースだと、目的地に着くのは一か月は先だろうか。
エアと一緒に、このままゆっくりと初めての長旅を楽しんでいこう。
またのお越しをお待ちしております。




