第71話 結。
「起きよ」
「……うぐっ。あ、あれ?おれはまた寝ていたのか?どこだここは」
男が目を覚ましたのは、私達が取った宿とはかなり距離を離したボロ宿の一室である。エアにはとりあえず、私達が取った宿の方へと居てもらい、私一人でこの男をここまで運んできた。まあ、魔法で運んだので疲れてはいないのだが、精神的に既に今日は疲労を感じる。早めに話を終わらせることにしよう。
「聞け」
「あ、あんたは。あっ、そうだ。おれはまだ、あんたと話をしたいと思って」
「再度告げる。聞け」
「っ!?」
その時の私の表情はまさに冒険者時代そのままの冷酷なものだっただろう。
余計な事を喋れば次はないと思わせる程に本気で男へと声をかけた。
その甲斐があってか、これには流石の男も不味いと少しは思ってくれたのだろう、息をのむかのように静かになってくれた。……最初からこうしていれば良かったのかと、私はまた内心で溜息を吐きつつ、男に話し始めた。
「正直に伝える。こちらは今のお前に一切の興味がない。……だが、何を話したいのかは知らんが、語りたいことがあるのだろう。話せ。少しだけならばお前に時間を費やそう」
思わず口調からイライラが伝わってしまっただろうか。目の前の男が妙に緊張しているように感じる。
エアが宿で食事を待っているので、さっさと本題を済ませて帰りたいのだが……。
「お、おれは、ころされるのか?」
殺される?誰に?まさか私に?……いやいやいや、なんでそうなる。
わざわざ君を殺す為だけにここまで連れてきて、話を聞くと言ってわざわざ辞世の句を語らせてから、そこで律儀に君のお命頂戴をするような面倒な真似を私がするわけないだろう。本当に勘弁して欲しい。思わずイライラレベルが上昇してしまうのを自分でも感じる。……いっそ本当に消してくれようか。今なら魔法で即プチュンだぞ即プチュン。
「聞きたいのはそれか?それなら──」
「──ち、ちがう!違うんだ」
「なら早く話せ。時間は無限ではないぞ」
「あ、ああ。俺が言いたかったのは、俺をあんたの下でその、一緒に居させてくれないかと言う事だ」
……はい?ん?んんん?今なんて?
「だからっ!俺はあんたと一緒に、いや、俺はあんたみたいな魔法使いになりたいんだっ!どうか俺に魔法を教えてくれないだろうかッ!!」
「ぜったいに嫌であるッ!」
「そこをなんとかっ!」
「いやいやいやいやっ!むりむりむりむりっ!」
その時の私は、これまでの人生で、一番激しく首を横に振ったと思う。
それにしてもこの男。なんておそろしい事を考えるのだ。
もしかして、私を精神的に殺すつもりだったのだろうか?……ありえる?ありえなない?どっちだ?もうわからん。頭が痛くなってきたぞ。どこをどうすればそんな思考になるのだろうか。理解が出来ない。
「……魔法使いを舐めているのか?」
思わず、私の口からはそんな言葉が出ていた。
『簡単になれるとでも?』『甘く考えているのか?』『ふざけているのか?』『馬鹿にしているのか?』『私を怒らせたいのか?』……そんな言葉が次々と頭に浮かんできたが、私はその一言へとそんな想いの全て込めて彼へと尋ねた。
……その返答次第では、私は軽々と彼の命を消し去るつもりである。それほどに覚悟を込めて聞いた。
「ひっ!?……ち、ちがうんだ。舐めてなんかない。ただ、子供の頃から憧れていたんだ。自由に魔法を使いこなす。貴方達みたいな魔法使いに。でも、俺には魔法を使える様な知り合いは一人も居なかった。貴方が最初の一人だったんだ。だから、聞きたかったんだ。俺でも魔法使いになれるのかって。貴方はきっと凄い人なんだろう?全然魔法の事なんか分かんないけど、貴方が凄い人なんだろうってのは分かった。だから、そんな貴方に聞けば、俺が魔法使いとしてやっていけるのかどうかも、分かるんじゃないかって……だから」
「もうよい。話は分かった」
なんの事はない。この男は最も原初の希望である憧れに、ただ夢を抱き胸を焦がす少年に過ぎなかったと言う事である。歳を重ねて大人になろうともその愚かさは消えず、それでもまだ諦めきれないものに縋り付くかのように、ただただしがみついて足掻こうとしていたのだ。
そのあまりのちぐはぐさから理解し難かったが、この男もまた言わばエアと同じく、見た目とその中身の年齢が合っていないのだろう。
……だから、先ず私は告げた。
「魔法使いとして、これから告げる事に一切、嘘偽りを交えない事を誓う」
私は、志だけでも魔法使いを目指したその大きな少年に、契約まで使って正直かつ誠実に告げる。
話が魔法使いに関するものならば、私はお遊びや好き嫌いは一切なしに、本気で向き合うつもりであった。
「君が魔法使いなる事、それの成否だけ言うならば、可能である」
「ほ、ほんとうかっ!俺でも、魔法使いにっ!?」
「なれる。……ただ、少々酷な事を告げるが、その才能が花開くとしたら、私が見るに君は後六十年はかかる」
「……はっ?ろく」
「君はもう成人して十年は経つのではないか?」
「……二十五だ」
「そうか。それならば、一度真っ新な状態に戻るまでには大体同じ位の時を使う事になるだろう。その上で基礎を学ぶ事に最低二十年、更に魔法使いとして一廉の人物になるまでは、更に果てない時間がかかる」
「……うそ、でもじょうだんでも、無いんだよな、まほうつかいが、わざわざ誓いを宣言して……そっか、魔法使いってそんなに大変なのか。ははっ、そんなの無理じゃないか。魔法使いになる為に最低でも四十五年?その時、俺は七十か?……ははは、そっか」
普通に魔法をただの技術として使うだけなら、もっと簡単に習得は出来るだろう。
それにどこかしらで売っている道具やダンジョン製のアイテムを使えば、魔法と同じ現象を起こすのはもっと簡単にできる。そのこと位は彼も既に承知だろうと思う。
だが、彼が尋ねてきたのは、私みたいな魔法使いになる方法だ。私はそれについて正直に答えた。
彼はその現実を知って力が抜けたのか、ぐったりと身体を落とす。
「諦めたのか?」
「ああ、無理だよ。俺はあんた達みたいな長生きな生き物じゃないんだ。そんだけ時間がかかったら、魔法使いになる前に死んじまう。……そっか、魔法使いになるやつは生まれた時から練習をするって聞いた事があったけど、そう言う事だったんだな。そりゃ選ばれた者しかなれない職業だわ」
才能によっては時間の短縮は可能だろう。
だが、私の見極めでは彼に特別なものは無いと感じた。
彼は天才ではない。地道に進むのであれば、先ほど告げた時間はどうしてもかかってしまう。
それを聞いた彼は諦めた。それでも魔法使いになりたいと、一生をかけて目指すとそう言うのであれば、私はその志を尊重するつもりではあった。あまり好きな男ではないが、それは同じ魔法使いとしての矜持である。
難しい世界だからこそ、そこへと本気で足を踏み出そうとする者を、歓迎する事に否やは無いのだ。
……だが、彼は諦めたのだ。
それは普通の事で、当たり前の事だ。
叶うかどうかも分からない。いや、ほぼ不可能に近い場所へと自ら進んで足を踏み入れていくのは、並大抵の気持ちだけでは無理である。火の中で焼かれ続ける光景が見えてしまっては、その足も止まるだろう。
……ただ、残念に思わずには居られない。
愚かではあったが、彼の魔法使いに対する気持ちはそれだけ純粋なものでもあった。
感覚で魔法を使う者に必須となる部分を、彼は備えている気がした。
間に合わないかもしれない。……だが、間に合うかもしれない。
例え老齢になったとしても、それでもこの道を進みたいと思えるほど、その心が強く在ったのなら……。
詠唱を覚えてしまった者達より、彼は更なる高みに、『差異』に、至る日が来るかもしれない。
ゼロに限りなく近いそんな可能性だが……。それでも……。
この事を彼に言おうか。……いや、ここで彼をその気にさせるだけの発言は、ただの私の我儘だ。無責任が過ぎる。彼からどうしてもと、そういうのでなければ結局は続かない。
結局は、最後は本人の固い意志が、断固たる決意が必要になる。
……今の彼にはそれがない。それがとても残念だ。
──だが、ならばせめて、私はもう一つの可能性について、彼に伝えられることを全て伝えておこうと思った。
「商人ではダメなのか?」
「へっ?ああ、商人か……それも俺の憧れだったんだ。だけど、全然甘くはなかったよ。あんた達に教えられた。自分が極まる程の馬鹿だって事をさ。こんな俺が、商人で上手くやっていけるわけがない。貴方だってそう思うだろう?」
「……いや、私はそうは思わん。むしろ逆だ」
君には商人が向いていると思う。私がそう言うと彼は『慰めか?』と言って素直にその言葉を受け取る事は無かった。
だが、私は再度告げる。君には商人が向いていると思うと。そして、そう思ったのには理由があると。
「なんで俺が商人に向いていると思ったんで?」
「君は驚く程にしつこい人間だからだ」
「……はは、なんですかそりゃ。また自分の欠点を教えられている様にしか聞こえませんって」
「良いから聞け。私は君ほどにしつこい人間を何人か知っている。そして、そのどれもが商人として大成し、今やこの国の王都で大店を持つまでになった。その礎を築いた者達はみんなしつこい者ばかりだったのだ」
「…………」
「やつらはムカつく位に粘り強い。自分の利益の為にどこまでも。危険も顧みずに進み続けるのだ。まるで先ほどの君の様にな。……私は正直、先の君の答え次第では、消す事も考えてしまっていた。それでも君は私へとしつこく尋ね続けただろう?全ては自らの利益の為に。あのムカつく奴等と同じにおいを感じずにはいられなかった」
そうして私が告げたのは慰めでも何でもない。ただ感じた事をそのままに伝えただけだった。
商人として、そこまでしつこく食い下がれるなら、それは一つの才能だ。それは君の強みだ。
君は誰か自分が尊敬できる師を見つけ、その下で必死になって一度学んでみると良い。
きっと見えるものがある。変わる事がある。
君は自分の愚かさも、馬鹿なのも知っている。
だが、それらの欠点は経験で埋められる事をまだ知らない。
しつこい男よ。立ち上がれ。そして進め。
恐らくだが、確実ではないが、私の経験が言っている。
きっと、この道こそが君の道だと。
正直な話、私は心の底から君の事が好きじゃない。
だが、そんな君と私にはまだ、一つだけ約束が残っている事を忘れてもいない。
『街に戻ったら、充分な対価を貰う』そう約束したのを覚えているか?
「……おぼえてます」
「私は、戻ったらと言っただけで、いつまでに、と期限は決めていない」
だから、見せてくれ。将来、君がこの街で、大きな店を開くその未来を。
これだけ私達に迷惑をかけてくれたんだ、その位の充分な対価は期待しても良いだろう?
「…………」
そんな風に話す私の言葉の最後で、男は突然、私と顔を合わせなくなった。返事もしない。
ただただ、手で顔を覆い、声を押し殺し、何度も何度も頷いて見せるだけだ。
だが、その頷き一回一回には『やってみます』『しつこくがんばってみます』『期待していてください』と想いが込められている様な気がした。
「……ああ、そう言えばこのボロ宿だが、一月分程間違えてこの部屋をとってしまったのだ。私達は別の宿を既にとってしまったので、ここは君が好きに使うと良い。だが、一応言っておくが、私は本当に君が好きじゃない。ただ間違えただけだから、そこだけは勘違いしないように……」
男の返事は待たず『……ではな、未来で会おう。しつこい商人よ』と、言葉を結び、私は一人そのままボロ宿を出た。
もう何か反論があったとしても、絶対に聞いてやるつもりはない。
それよりも、食事を待ってるエアの頬が膨らみすぎて破裂してしまわぬ内に、私は急いでエアが待つ宿へと戻るのであった。
またのお越しをお待ちしております。




