第66話 配。
芽吹きの季節を越え、私達が街で生活するようになって数か月が経った。
暑い季節への変わり始め、これから段々と日差しも強くなってくるのだろうと思わせるそんな日々の途中に、私達はオーナーに呼ばれて仕事場の一角にある談話室へと入った。
「ロムさん達さえ良ければなんですけど、このままここで働き続ける事にしませんか?」
そして、今日は世間話等も無く、席に着くなり開口一番にオーナーが言って来たのは勧誘であった。
それは冒険者を完全に辞めて、『お裁縫』の世界で生きていかないかという真剣なお話である。
私とエアは近頃はまた一段と裁縫の腕前を上げつつあったが、それでもまだ心は冒険者として日夜魔法の訓練だったり、冒険者として必要な武器の整備だったりと言う事を疎かにはしていない。
正直言うと、当分はこのままでも良いかもしれないと、私はその誘いを受けても良いとほんの少し思った。それほどまでにここは居心地が良かったのである。
エアもおそらくはここでの生活を楽しんでいたに違いない。友が出来たり、一緒に買い物に出かけたり、初めて目にする物が沢山あるここでの生活は、毎日が新鮮なものであったはずだ。
だが、そんなエアはすぐさまその言葉に首を横へと振った。
「私達冒険者だから。旅にいくから。ねっロム?」
この場所は好きだけど、長居は出来ない。エアはハッキリとそう断った。
私はそれに頷く事で返事をし、オーナーにも軽く断る意を込め頭を下げる。
エアの瞳の真っ直ぐさからは、芯が確りしていることが伺えた。幾ら言葉を尽くそうとも、その考えが変わらない事はオーナーにもすぐに分かったはずである。
どうやら私が考えていた以上に、エアは冒険者欲が強かったらしい。
少し前に、エアは街中での生活を心から楽しんでいるから、気が抜けてしまって警戒を怠っているのでは?等と心配していたが、いつの間にかエアは自分で確りとその軌道修正を終えていたらしい。
そして、逆に私の方こそ『お裁縫』に熱中し過ぎて離れがたくなりつつあったことに対して、内心で驚き反省していた。……エアに色々と新しい服を作ってあげられるのが、思いのほか本当に楽しくて、ついつい自分を見失いかけていたのだ。
このまま続けるのも悪くはないが、今が潮時なのではないかという気もしてくる。
私も心の中で冒険者と裁縫を天秤にかけた時に、どちらに傾くのかは問うまでも無い事だからだ。
目的と手段を見誤ってはいけない。確りと弁えてなければいけない。それが冒険者の心得である。
「それじゃあ、ここもそのうち?」
「うむ。そうなるな。人数不足の問題の方はもう大丈夫だろうか?」
「あー、はい。おかげさまで、この数か月で育児で休んでいた子が戻って来たのと、この前のイベントの影響でうちの仕立て屋で働きたいと申し込んで来て下さる方も増えましたので、人数不足は何とかなりそうなのですけど……なんかたった数か月なのに、もうロムさんとエアちゃんが居なくなるのってあまり考えられないんですよね」
正直な話、ここでこうして話を切り出して貰わなければもう数か月はここに居たのかもしれない。
ただ、ここのオーナーの見極めは確かなようで、時期を見計らってくれていたのだろうとは思う。
もうそろそろ旅に出るんじゃないかと察してくれて、そうだとしたら私達から話を切り出すより、自分から聞いた方が話もし易いだろうと気を遣ってくれたのだろう。
彼女からしたらほぼその答えは分かってる上で、それでももしかしたらとここにずっと残ってくれるんじゃないかと、淡い希望も乗せて今日こうして尋ねてきてくれたのだ。……本当に有難い。
この人は敬意を払うべき立派な人物だと私は思った。『敬意払う』と言うのは、年齢も男女も種族の差も何も関係ない。敬意を払いたいと思える人にだけ、向けるべき大切な心である。
『……感謝を』私は自然とその言葉にそんな大切な心を、敬意を込めて告げた。
私がいきなりそう言って頭を下げた事で、オーナーは目を見開き驚いてはいたが、その後直ぐに『こちらこそ』と言って微笑んでくれた。
彼女にとっても私達は敬意を払うに値する人として見て貰えたのだろうか。……もしそうであったのなら、嬉しいと私は思う。
オーナーとは細かい日程の調整をし、丁度月末となる今週末までで、区切りをつける事になった。
送別会みたいなものを開きたいとオーナーからは打診があったが、生憎とそれは断る事にした。
「なぜですか?みんなお二人には色々と感謝していると思うんです。みんなもきっと開きたいって言うとおも──」
「──またすぐに遊びに来ますからっ!」
「そうですか。ふふっ、分かりました。待ってます」
そのエアの一言で話は決着した。区切りをつけてこの街からは旅立つけれど、旅とは行ったり来たりも多い。またすぐに戻ってくることもあるだろう。そんな時にはすぐに顔を出しますから。送別会なんてお別れはしたくないと答えた。
新たなる門出を祝って無事を祈って激励したいと思う者も居るだろうけれど、大事なのは送られる方の気持ちだ。
やはりどんな言葉だとしても、幾ら飾っても、"さよなら"と言うのは寂しいものだから。出来る事なら言わずに済ませたいという想いがあっても良いじゃないかと私も思う。
「エアちゃん聞いてよっ!あの子達、男が出来たからってずっとずーーーーーっと自慢してくるの。信じられる?『私達は女の友情を大切にしていこうね』って言ってたのに、その同じ口から『やっぱ友情より恋だよね』って言葉が出てくるんだよ!本当にもうっ、酷い奴らだよまったく!話を聞いてくれるのはもう、エアちゃんとロムさんだけだよー」
「う、うん。そうだね……」
朝から自称情報通がプリプリと怒っていた。
その横でエアはとても困惑していて私の方へと視線を送り、助けを求めてくる。
本当は、もう数日で私達が居なくなってしまう事を、エアが友へと告げるつもりで来たのだが、その前に彼女のお話が先に始まってしまったのである。
だが、そんな彼女の言葉を聞きつつ私が思ったのは、しばらく前に彼女から『ハンサムな彼氏が出来ました!』良い笑顔で報告と感謝をされた事であった。
……いや君、数日前まではまさにその『友情より恋』側だったと思うのだが、と私は彼女に尋ねる。
何があったのだろう。他のお針子さん達と一緒で、ハンサムな彼と仲良くしていたんじゃないのだろうか。
「ロムさんっ、聞いてくださいよっ!あの男酷いんですよ。顔も良いし、お金も持ってるし、話も面白かったんですけど、私が服もどして、化粧も普通にして会ったら……私の事見て、別人だって言ってきたんです。もっと、可愛いと思ってたって、だから気の迷いってことで、なかった事に、してくれって……うわぁぁぁぁん」
……ううむ。これはなんと、旅立ちを告げる前にとんでもない大きさの壁が、突如として目の前に立ちはだかったかのような気分になった。
中途半端な慰めなどが一切通じない、超ガチ泣きしている女の子が目の前にいるのである。
私の人生経験でもこれほどの状況に遭遇したことは中々ないが、これに合う様な何か適した教訓はあっただろうか……あったかなー、あったらいいなー。
……唯一思い出したのが、遠い昔に友(淑女)から、『あなたが泣かしたわけじゃないなら、泣いてる女の子には出来るだけ近付かないようにね!ただ、私が泣いてる時には絶対に来ること!絶対にね!そして一つ重大な事を言っておくけど、その気も無いのに泣いてる子に優しい言葉とかは絶対にかけちゃダメだから!これって紳士にあるまじきクズのする事だからね!絶対よ!勘違いさせたくないでしょ?何が有ろうともだからね?分かった?……あっ、でも私が泣いている時にはちゃんと何かしら気の利いた言葉を──っていつの間にかロムが消えたっ!どこだっ!どこにいったっ!探せっ!ロムが逃げたぞー!みんなロムがまた逃げたーー!』……みたいなことがあったけれど、ここでは多分活かせそうにないと思う。
──だが、暫く無表情のまま何か他にないかと私が必死に脳内を働かせていたら、彼女の涙を見てエアが先に動いた。
エアは手を広げて、泣いている彼女の方を向くと一言『おいで』と言い、自分から彼女の方へと抱き付いて行ったのである。……あれ?これ、これってどこかで見たことある様な?
『止めろ旦那っ!こっちを見るなっ!俺は泣いてねえっ!気のせいだ!』
……そうかそうか。気のせいだったか。まあ、深くは考えないことにしよう。
それで、エアに抱きしめられても尚泣いている彼女の方は、エアが背中をポンポンとしてあげると段々と気持ちが落ち着いてきた様で、一度は治まったかに見えた。
だが、その途中で、今伝えなければ機会を逃すと思ったのか、エアは彼女にもうすぐここを旅立つことを正直に話したのだろう。そうすると彼女はまた寂しさが再燃したらしく、鼻声で涙ぐみ『いかないでー』とエアに縋り付き始めた。
ただ、その状況でもエアは動揺することなく、まるでこういう経験があったかの如き自然さで、まるで絵本の読み聞かせをするかのようにゆっくりと『また会いに来るから』と彼女に何度も囁いて宥め続けるのであった。これはなんとも素晴らしい手際と言うかなんと言うか、手慣れていると言うか、これまたどこかで見た事がある様な展開で……。
『うっ!!』『やぁぁ、こっちを見ないで!』『右に同じっ!』『見ないでくださいっ!』
私の後ろで精霊達が何故か頭を抱えて悶えているのだが……これはまあ、森を出るまでの五年で度々私が精霊達にしていた光景と、よくよく重なる部分が所々にあった為であろう。
精霊達の姿はエアには見えていなかったけれど、ちゃんと見ていたという事である。
そんな恥ずかしい光景を目の前で再現されれば、そりゃ見せられる方は悶えもするだろう。
私は目の前の光景に場違いにもほっこりとしてしまい、一人穏やかに眺め続けるのであった。
またのお越しをお待ちしております。




