第658話 劣紳。
注意・この作品はフィクションです。実在の人物や団体、事象などとは関係ありません。
また作中の登場人物達の価値観なども同様ですのでご了承ください。
「……怒っているか?ロム」
「…………」
『大樹の森』の中で『彼女』の身体が根元から風化し塵へと変わると、私の『腕』から飛び出した『枝』やその先にあった『根、苗木』もまた塵へと変わっていき、そして消えていった。
ただ、熟した『赤い実』の方は既に『聖人』が捥ぎ取っており、消える前に手にしたそれらを『狂戦士』以外の『勇者一行』に一つ一つ手渡しては彼は『喰らう』事を命じている。
『勇者一行』はみんな『意思を封じられた状態』であるからか、その命令に素直に従うと手渡された『赤い実』を瞬く間に喰らつき始めた。
……そして、『聖人』自身もその一つを口にすると、私に対してそんな問いかけをしてきたのだ。
『喰らった』途端から、『勇者一行』の身体には『力』が漲る気配があり、喰らう前と比べて明らかに存在感が増したような雰囲気を私とエアは感じていた。
一応、それによって彼らは『毒と黒雨』に対する『備え』を得られたと、そう言えるのだろうか。
……これらは全て『聖人』の狙い通りであり、物事は『順調』に進んでいると。
「……わかるか?」
だがしかし、当然それは彼らの目の前にいる『泥の魔獣』が、彼らへと害を及ぼさない場合に限っての話だ。
正直、ここ暫くはあまり感じなかった『戦う意欲』が、今は沸々と湧き上がっている。
……いやいや、流石に私達も『イラッ』とするだろう。
昔馴染みだからと言って何でも許せる訳ではない。
『協力を求められ』、素直に『了承したら』、その結果がこれだ。
そりゃ思わずかつての冒険者時代の感覚も戻ってきて、『おいおいおい。随分とふざけたことをしてくれたな』という意味も込めた『……潰すぞ』と言う冒険者用語が彼らに対して出かかった程である。
……無論、その言葉を使うという事は彼らと『敵対する意思がある』と告げるのにも等しい。
そうなれば当然、彼らはまず『毒と黒雨』の前に『泥の魔獣』とも戦うことになるだろう。
まあ、結局『彼女』を救うことができなかった私達が、今更何かを言うのは間違っているのかもしれないが……。
だがそうであっても、いいようにやられっぱなしの私達としては率直に言って『面白くない』のである──。
「…………」
私のそんな言葉を聞くと、『聖人』は『やはりこうなったか……』と言いたげな表情をしていた。
無論、『力を貸す』という言葉を、都合よく『一緒に戦ってくれ』と言う意味だとばかり勘違いしてしまった私が間抜けだったのかもしれない。
……ただ、『協力』と言う『約束』を結んだ瞬間に、その『繋がり』を介して『領域』を超え、『大樹の森』に『音』だけを届けてくるとは思いもしなかったのである。
なんという『罠』だろうかと私は思った。
恐ろしきは『気の長い仕込み』があってこそではあるが、一魔法使いとして『約束』をここまで悪用されたのは、久方ぶりの事だったのだ。
……流石は『聖人』だと、そう思う気持ちはある。
私の知らぬ内に『左腕』だけ『領域』の守りが薄くなっていた事も──自分さえも知らなかったそんな『隙』をも──上手く見抜かれ利用されてしまったのだ……。
それも『巨大な樹木の魔獣の力』で、『内側』から簡単に『穴』を空けられてしまうとは……。
この空けられた『穴』は、思うよりも簡単には直せない……。繕うにも時間はかかるだろう……。
だがまあ、なんにしても『勇者一行』とはもう『協力』し続ける事はできないと思っ──
「……お前たちの好意を無碍にした事については、すまなかった。だが──」
「…………」
──たが、ま、まあ、なにやら彼も話したい事はあるみたいなので、それ位は聞いてもいいかもしれないとは思った。ちょっとだけな。長話になるなら『眠らない身体』でも寝てやるがな……。
「──俺は、お前の『力』の一部を、こういう形で掠め取ったことについては謝らないつもりだ。こうする事でしか得られなかった。この『力』はどうしても必要だったんだ。この先の戦いでは絶対に。……それに単純にお前と『共闘する』だけじゃダメだと判断した──」
「…………」
「──ロム、お前が本気で戦っていれば、『神人』も『魔物』も簡単に殲滅できる。そのはずだ。なのにお前はそれをしようとしない。これまでもずっと奴ら(『神人達』)とも『不干渉』を結んでいたんだろう?……そんなお前の事を──『泥の魔獣』を、俺たちはどこまで頼りにしていいんだ?……俺は、素直にお前という存在を信じ切れなかった──」
『人との繋がり』を大切にするようになったと聞き、『協力を得る事』を考えはしてここまで来たが。『聖人』は内心その『心』の奥底で、私には誘いをかけてもまた断られるだろうと思っていたそうだ。
……だから、『協力しよう』と私が口に出してきた時は存外に嬉しかったのだと。
ただ、少し冷静になると、途端に『どこまで信じていいものか……』と疑心暗鬼が生じてきて、その気持ちが拭えなくなってしまったのだという。
……そうなってしまえばもう、『肩を並べて共闘するだなんて……』と。
『そのなんと難しい事なのだろうか』と、彼はそう思ってしまったのだそうだ……。
「…………」
……まあ、正直その気持ちは分からなくはなかった。
これまで一切『協力』してこなかったのだから、今更になって『協力する』と言っても、それに足るだけの信頼が不足していたのだ。信じ切る事は本当に難しかったのだろう。
私がいつまた心変わりするかもしれない。『心が通じ合っている』訳でもないのだから、彼にはそれがわからないのだ……。
『神人達との不戦』の『約束』を優先し、途中から『戦わない』と言う選択を取る可能性だって否定できないと……。
そもそも、『勇者一行』に酷い行いをした『神々』との『協力』など、最初から不安定なものだし、守られるかも定かではない歪なものでしかないのだからと──。
「…………」
考えれば考えるほどに『聖人』は、彼が言う通り『信じ切れなくなった』のだ。
……だから、最低でも『自分達だけでも戦える様にする』為に、当初の予定通り『力』だけでも私から得ることにしたのだと。
もしも、『協力』を拒否されていた場合に備えて考えていた選択肢を──敢えて、ここで使うことにしたと。
「……『精霊の守護者』、『精霊の簒奪者』、『精霊の収集家』、一部ではそんな呼ばれ方もしているお前に対して、素直に『精霊の力をくれ』と言っていたら──俺たちにその『力』をお前はくれたか?」
「…………」
……いいや、それはない。
「……ないだろう?」
「…………」
「……そのくらいはわかるんだぞ?お前が頑固だってことくらい。今となっては遠い昔に──千年前にはもうそんな事はわかりきっていた事だ。お前にどんだけ必要だからって説いても、ダメなものはダメだって。そうじゃなきゃ、俺は毎回毎回お前に『浄化』をかける必要もなかった。……だから、お前から貰っても怒られない『ギリギリ』を攻めるしかないと俺は思った。かつて、お前との『噂』をいいように使わせてもらったが──あれはやがて『逸話』となり、『伝説』となり、俺を『神々の末席』へと至らせてくれた。それを今回は、『愚かな神々』が馬鹿みたいに備えていた『切り札』をその代わりとして使わせて貰ったんだ──」
──それはいずれ、『泥の魔獣』を倒すことを考えて、『迷宮都市』という一つの街を犠牲にしてまで仕込んだという『切り札』だったらしい。
ただ、それは彼からしてみれば、元々どれだけ『泥の魔獣』を追い詰めることができるかもわかりはしない不確かな『切り札』でもあったのだと。
『内側と外側』、その両方から私を攻撃することで『領域に大穴』を空け、『大樹の森』を壊し、『精霊』を取り返す為の極秘計画──そんな『愚かな作戦』を密かに考えていた一部の『神々』が、『神人』との戦いで滅んでしまったことで、『聖人』の手に渡ってきてしまったその『鍵』(『呼び声』)を、彼は最初どうするか扱いに凄く悩んだそうだ。
……ただ、そんな苦悩の末、結局は『信頼が足りず』に彼は惜しげもなく使うことに決めたのだ。
それも直接的に『精霊を傷つける心配もない』から、恐らくは『泥の魔獣』とも『敵対せずに済むだろう』と、そんな判断もありきの上で……。
「……ロム、俺は見極めを間違ったか?」
「…………」
「……『人』に対しても『魔物』に対しても中立に立つお前が──『人』の為に命を懸け、血を流し戦おうとしている俺たちを怒れるか?……いや、お前は怒れないだろう?お前はそういう奴だ。誰かの頑張りを否定する奴ではない。必死に足掻こうとする者がお前は好きだからな……それくらいは知っている──」
「…………」
「──それに元々、この戦いは俺達が勝手に始めた事だ。俺達が始末をつける。いや、つけなければいけない。お前にまで『戦え』とは言えない。いや、お前を『戦わせてはいけない』んだ。お前が本気で戦う時は、きっと全てが終わる時だ──お前が本気で『処理に動いた時』は『人も魔物も神々も神人達も』、恐らくはそんな全てが滅びる時でしかないと俺は思う……」
「…………」
……か、彼はいったい何を言いたいのか、私には途中からよくわからなくなった。
だが、その一方で彼の言葉を聞き、エアは一つだけ頷くと、彼が『不安に苛まれている様だ』と私に『心』で伝えてきたのである。
「……なあロム。なんか言ってくれないか?……俺はこんな事までして、本当に奴らに『毒槍と黒雨』に勝てると思うか?」
「…………」
「友を傷つけてまで得たこんな『力』で、『神々』の傲慢によって傷ついた『使徒達』と共に、俺は『人』を、『世界』を、『秩序』を、その全てを守るために、果たして勝てるのだろうか……?」
「……『聖人』……」
……そういう『聖人』の表情は、もう隠しようのないほどに『悲壮』に包まれていた。
ただ、そんな彼の表情を見ていると、私はまた『ずるい男だ』と思わずにはいられなくなるのだ。
……いや、本当に昔から、ずっと思ってはいた事ではあるのだけれども──。
今日ほどそれを痛感する日はなかった様に思うのである……。
──だってこんなの、どうしたってそんな表情をしている彼に、私が『怒れるわけなどない』のだから……。
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