第645話 有明。
注意・この作品はフィクションです。実在の人物や団体、事象などとは関係ありません。
また作中の登場人物達の価値観なども同様ですのでご了承ください。
「貴方から、とてもいい匂いがする。甘く蕩けるような……それでいて芳醇な美味しそうな香りが……」
……私の身体を嘗め回すように見つめる『吾輩』は、ニタリとしながらそんな事まで言ってきた。
正直、その言葉にゾワリとする。や、やめてほしい。き、気持ちが悪いのだ。
「この『瞳』を手に入れて『知覚』ができるようになり……一見して普通のエルフだと思っていた貴方(『泥の魔獣』)が、本物の『化け物』である事を吾輩は知った。ただ、だからこそわかる。貴方は真に特別なのだと。──その身体は至宝だ!その存在はこの世の中で最も尊く思える!!素晴らしきこの身に変わってから魔力の消耗は激しくなったが……貴方を『見ているだけ』で吾輩の渇きは満たされるのだから……」
『魔眼の力』により、本当に『相手の魔力を奪う』ことができるようになったのだろう。
……そして、当然の様に私からも魔力を奪っているのか『吾輩』は恍惚とした表情をしていた。
それも、その魔力に酔いしれるかのように『感じて』おり、夢中になっているようにも見える。
……まあ、私からするとその『奪われた魔力』というのが、あまりにも『微々たるもの』過ぎてどれだけ減っているのかはよくわからないのだが──。
『吾輩』からすればそれは常に『満たされ続ける』ほどに素晴らしい状態なのだと言う……。
そして、彼は頻りに私の事を──私の身体を──褒め称え続けるのだった……。
「……だからこそ、吾輩はあなたが欲しい。欲しくて欲しくて堪らない。あなたの身体が常に吾輩の目の届く場所に在る様に傍で飾っておきたい。……いや、この際だ、我が儘は言わぬ。身体すべてとは言わない。手足の一本でも良い。どうか、吾輩に譲ってはくれないだろうか?……それがだめでも、手首から先だけ……いや、指の一本?爪のひとかけら?髪の毛の一本だけでも良いから……」
「…………」
……嫌だ。
明らかに私を『喰らう気満々』であろう。
『我が儘を言わない』と言っておきながら、とんでもない我が儘を言ってきたものである。
……でも『吾輩』の表情を見るに、彼は本気でそう思って言ってきているのかもしれない。
私達が知る彼はもう、そこにはいないのかもしれないと、今の彼を見ているとそう思えた。
彼は『人』であることを完全に辞めてしまったのだろう。
私と違い、そこに対する心残りなど微塵もなく……『人』らしき感性を殆ど感じさせない。
ただ、彼自身はその状態にとても満足しているように見えたのだった。
きっと、今の彼の頭にあるのは、『魔眼』を使うために減じた『力を満たす』事だけだ。
そして、それに伴う『空腹』を解消する為、魔力を求めるだけの──ただの『獣』になったのである。
「…………」
「……ぁ」
……その為、私は牙を剥いてくるその『獣』を、一思いに魔法で消し去ったのだった。
彼の存在は、その『かすれる声』だけを残滓とし、どこにもいなくなった……。
私はもう、彼を『別の存在』であると割り切り、決断することにしたのである。
……と言うか、語りながらちょっとずつ近寄ってきていたので、そろそろ対処しないと飛びつかれて噛みつかれそうな距離感だった。
状況的には、最初の頃のエアと近しいものを感じたが、彼に噛みつかれるのは生理的に無理……。
「……ふふふっ。ふあっはは、フハハッハハ」
「──っ!?」
──だがしかしその瞬間、魔法で消し去った筈の彼は、気づけばまたその場に居たのだ。
それも、この上なくご機嫌に笑い始めている。
……正直、何が起こったのかわからず、私は思わず目を丸くすることしかできなかった。
「この『瞳』を手に入れた吾輩が──あなたの危険性を理解しているにもかかわらず、何の対策も講じずに、のこのこと目の前に現れるとでも思ったか?……そんな訳がなかろう?既に仕込みは終わっている。だから、吾輩はここに立っているのだ」
「…………」
「……だがまあ、正直ここまでの『回復』ができたのはあなたが目の前にいたからだろうな。自分でも驚きだ。一瞬、己の身体が希薄になった事だけは分かったが、ほぼ瞬きをする間もなくこうして『復元』ができている。この『瞳』で常にあなたから魔力の補給ができていなければ──『満たされた状態の吾輩』でなかったら、ここまでの事はできていなかっただろうから……」
そんな『吾輩』の呟きから察するに、恐らくは私と接敵する前に『震える木漏れ日』にて『回復』を仕込んでいたのではないだろうか……。
それも、その仕込みの数は尋常ではなく、比例して効果も半端でなく上がっているのだろう。
『街中』の至る場所、人、物、に繋がる『音』と『光』に意味を与え、彼に何かあった場合はすぐさま元の状態に戻れるように魔法を編んでいるのが分かる。
そして、それを可能にしているのが『私から奪った魔力』であり、それはつまるところ──。
「吾輩は、強大な魔法使いを相手に──それも『感覚派』に、もう負けることはないのか……相手が強大な魔力を備えていればいるほどに、吾輩もまた強くなると……これはそういうことなのだな」
同時にそれは『吾輩』を倒そうとするのであれば、『彼に繋がる『音』と『光』を完全に遮断した上で彼を倒す』か、『繋がりもまとめて彼ごと周囲すべてを消失させる』か、『魔力に秀でない者が彼と相対する』しかない……という事でもあると考えられた。
無論、それも『彼が逃げなければ』という前提での話であり、『彼の繋がりが周囲に限定していれば』という話でもある……。
正直、これもまた『勘』でしかないけれども──今思えば、『魔眼騒動』の初期にあった『魅了』の件もきっと彼の……。
「……『余所の町』にも『根』は広げ済みか?」
「──おおっ!流石にあなたは気づかれたか!……まあ、確かにあれも吾輩の仕込みの一部であることに違いはない。でも、正直おまけ程度にしか考えていなかったんだ……だがまあ、この『満ちた状態』であれば、あちらの繋がりを伝手にして復元するのも不可能ではなさそうだな」
「…………」
……要は、この『街』ごと彼を消滅させたところで、彼は『余所の街』で復活ができるという話である。
「フハハハハハ、貴方が強過ぎるあまりに吾輩を殺すことができないとは──その皮肉さは、なんとも笑えてくるな。……だがまさか、吾輩も『感覚派』を相手に、ここまで出来るとは……くくくっ、気分がいい。ここまで気分は良いのは初めての感覚だっ!!」
「…………」
──そして、それはつまり、『魔眼の魔獣』が『泥の魔獣』の『天敵』であると確定した瞬間でもあった……。
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