第636話 膏薬。
「……あら?お気づきになりました?」
ギルドマスターの背後に控えている『受付嬢』を見ると、彼女はあの『ニタリ』とした独特の微笑みを浮かべてそう返してきた。
それも、私達の見覚えのあった顔とは全く異なる別人の顔になっている。
……『神人』である彼女が何故、ギルドの『受付嬢』をしているのかは分からない。
最初から『受付嬢』になる為ここに潜入していたのか、それとも『受付嬢』だった者を喰らったのか──ただ、そのどちらであったとしても私達が知る昔の彼女とは少々『在り方』が変わっている様な気がした。
暫く見ぬ内に『毒』も強くなったと……そういう事なのだろうか……。
「──ん?なんだ、どうした?」
……ただ、そんな『毒』の言葉に、恐らくは彼女の正体を知らないで居たであろうギルドマスターは怪訝な表情で振り返った。彼からするといきなり『受付嬢』が話し始めた事に驚いたのだろう。
だが、ある意味で知り合いでもある私達に対し、今この場においては逆に彼の方が少々部外者に近しい。
その故か、私達への悪戯が成功し喜んでいる様にも見える『毒』は、既にそんな部外者にも近しい彼を背後から容赦なくも排除しようとしたのだった。
「……ああ。あなたはもう大丈夫ですわ。お疲れ様」
軽く小突くだけの様な『毒』の拳は、恐らくギルドマスターには一切見えていなかったのだろう。
……一応、彼に当たる直前まで私もエアも静観していた訳だが、彼が全く反応する素振りを見せなかった為、私は代わりに魔力でその攻撃を受け止めたのだった。
「──なッ!?」
……だが、確かにここで彼に妙な騒がれ方をするのは私達からしても面倒でしかない。
なので、排除はせずとも暫く眠っていて貰った方が良いかと思い、彼を魔法で眠りに落として椅子からどかすと、傍に仰向けで寝かせる事にしたのである。
一応そのまま寝ていてもお腹が冷えない様にと私のお手製の柔らか毛布、首が痛くならない様にと『白い兎さん風まくら』を彼には装備させておいたのだ。……因みに、これらは『強化訓練』の最中にやる事が無かった為に密かに作っていたものである。
ただ、そんな彼の事よりも『毒』の攻撃を魔力で受け止めた際に、また微妙に魔力を弾かれる感覚があった為、私は『毒』が例の『マジックジャマー』か、『マジックキャンセラー』と呼ばれる何かを使ったのだと察していた。
──という事はだ。まさか『毒』は……と、そんな事も思う。
「……ひさしぶりっ、あなたが街の中に居るなんて珍しいねっ。それにあの『毒々しい色した槍』はもう捨てたの?」
「お久しぶりですわね。お二人共。……まあ、『人の街』に居るのは単純にわたくしにも色々と事情があるという事ですわ。これでも忙しいんですのよ?とっても。──それと、わたしくの『槍』に関しては『相応しき方』に捧げてしまいましたわ。だから今は持っておりません」
「……『相応しき方』?」
「ええ。貴女にとっての『泥の魔獣』がそうであるように──わたくしも『愛すべき主』を見つけたのです。……わたくしだけの最愛のお方を」
「…………」
「ふふっ、そう苦い表情をしないでくださいまし『泥の魔獣』。確かに一時期はわたくしの心の天秤は貴方に傾きつつありましたが、それはもう過去の話なのです。ですからどうか気落ちしないでくださいましね」
……大丈夫です。しません。
「えっとっ、じゃあその『愛すべき主』って──もしかして『黒雨の魔獣』だったりする?」
「……ふふふっ、さあ?それはどうでしょうか。それについては秘密にさせて頂きます」
「……そっかぁ。色々とあったんだねっ」
「ええ。色々とありましたわ。……ただ、それはそちらも同じ事では?貴方達二人の『噂』がある時からプツリと途絶えてから数十年──もしかしたら、亡くなってしまったのでは?と少しだけ心配しておりましたの」
「少しだけでも心配してくれてたんだっ?」
「ええ、勿論です。……なにしろ、こちらにとっても他人事ではありませんから。──きっと、ご存知ではないと思いますが、貴方方がいらっしゃらないと『神々の目』がわたくし達にばかり向いてそれはそれは大変なんです──」
「…………」
……そうして、『毒』はこのニ十年弱で起こった『人』の知らぬ争い──『神々と神人の戦争』について、私達に意気揚々と語り始めるのであった──。
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