第614話 十六夜。
注意・この作品はフィクションです。実在の人物や団体、事象などとは関係ありません。
また作中の登場人物達の価値観なども同様ですのでご了承ください。
「……『黒い肌の白銀』?」
「うんっ、正確には全身があの黒い水で出来ている感じで、髪だけがロムみたいに綺麗な白銀の色をしてたの。それに『耳長族』に凄く似た見た目だったし。遠目だったけど綺麗な女の人の姿にも見えたよっ。……でもね、遠くに居るわたしに気づくと急にこっちに顔を向けてきて『──ガアアアアアアアアッ!!』って、いきなり『異形化する時の神兵』みたいな威嚇をしてきたんだっ。よく視たらその目は酷く濁っていたし、『人』ではないって直ぐに感じたのっ。だから──」
「──ふむ、それで『新種の魔物』だと判断した訳か」
「うんっ。見た事ないタイプだったし、『呼び名』もきっとまだ定まってはいないと思う。……それにね、その『魔物』は威嚇し終えると、わたしから目を背けて『食事』をし始めたの。すると、街に降り注いだ『黒い雨』が一気に浮き上がってきて、それを自分の方に寄せて全部飲みだしたんだよっ」
「……どういうことだ?」
「……んー、正直よく分かんないってのが本心だけど。きっとあの『黒い雨』には『魔力を吸収する力』に似た効果でもあったんじゃないかなって今は思う。──だから、その『黒い雨』を飲む事で『魔力』とかを回収したかったんじゃないかな?『黒雨』に触れた人達は一瞬で干からびた様になっちゃってたし……わたしは、そんな街の様子を外から『探知』を使って視ているだけしか出来なかった。……止める間もなかったよっ」
「……だが、エアに悪い所はなにもない」
「……うんっ」
……そうして、街中の人々の『力』を吸収したであろう『黒雨』を『黒き白銀』が全て飲み干すと、その『魔物』は満足したのかいきなりその場所で笑い転げ始めたのだと言う。
それも『ぎゃはは、ぎゃはは』とその声はとても大きく、濁りきった声音であったとか。
……エアとしては突然のその奇行に面食らってしまい、何も出来なかったらしい。
唯一、そのまま観察を続ける事ぐらいが精々だったのだと言う……。
「…………」
……だが、そうして暫く笑い続けていると、今度は突然笑い声が止まり、その瞬間に『それ』はすくっと立ち上がると、今度はまたエアの方をジッと眺めて来たのだとか。
正直、その瞬間の敵の『気持ち悪さ』は相当だったようで、エアはゾクリと悪寒が走ったそうだ。
……ただ、その時のエアの背後には『雪ハウス』もあった為に、もしも相手が襲いかかって来る気ならば逃げ出さずにこの場で当然の様に立ち向かうつもりであったらしい。
内心、どう見ても不気味な存在だったし、『黒雨』は明らかに危ういものだと感じてもいた。当然戦わない方がいいとエアの直感も騒いでいたそうなのだが──眠ったままの『外側の私』を守れるのは自分しかいないと、エアは覚悟を決めたのだそうだ……。
「…………」
……すると、その『魔物』の方も明らかに相手が危ない存在だと途中で気づいたのか。
手を出してはいけないと思って慎重になったようで、結局はジッと見ただけで終わり、その後は襲い掛かって来る事もなく──疑似的な足場としていた『巨大な魔方陣』を消し去ると、そのままどこかへと走り去ってしまったのだと言う。
ただ、その時の走り去っていった方角からすると、自然と『人』の多い方へと向かっている様子だったので、エアとしては恐らく別の大陸へと向かったのだろうと思ったそうだ。
正直、『黒雨』の効果がどれ程のものなのか身に受けていない為に絶対とは言えないが──エアはあの相手に勝てる感覚が全くしなかったと語った。
……いや、実際私も、話を聞いた限りではエアの不利は間違いないと思えたので、戦わなくて済んで心から良かったと思えたのだ。
「…………」
……無論、言うまでもない話かもれないが、その相手の『黒雨』は明らかにエアに対して相性が良くないと私達は思ったのである。
そもそも、『黒い水』が『異形達』から抽出したものでもあるならば、全く一緒の効果ではないだろうが『黒い雨』もきっとそれに近しい効果は持っているのだろう。
つまりは、それらはかなり『ダンジョンコア』とも近しい訳で……言わば『高濃度のマテリアル』の『性質』も帯びている事が容易く想像できたのだった。
──要は、あの『黒い雨』がエアの体内に入ると、エアは以前と同じような『過剰反応』をその身に引き起こしてしまう可能性がかなり高いのである。
……元はどちらも『淀み』に関するものであり、恐らくこの予想は大きく外れる事はないだろう。
そのまま戦っていれば、きっとエアの身体の中には『黒い雨』が入り込み、動けなくなってしまっていた筈だ。……そうなればもう戦いどころではない。命の危機は避けられなかっただろう。
もしも逃げ出せて、その場の命が助かったとしても、また治す為には再度『角』を失う事になっていたかもしれない。そして、そうなればまた普通に動ける様になるまでに、相応の長い治療時間を必要としていたかもしれないのだ。
「…………」
折角『二十年』以上をかけて、以前とまた同じ位と思える程に『力』を戻して来たのに……それをまた失う事を思えば、エアの心理的な負担は相当なものになっていただろう。
……そもそも、勝手に『ダンジョンコア』よりも『黒い雨』の効果が低いと思ってしまっているが、逆に前回以上の『過剰反応』が出てしまう可能性だってある。そうなればもう、その時は『次すら無い』可能性だって十分にあったのだ。
戦場で『雨』を完全に避ける事はエアにも難しかろう。
もし魔法で全ての雨を払えたとしても、戦いの最中で気付かぬままに微量の水が体内に入り込んでくる事は気を付けようもない……。
前回もそうだったが、目に見えない位のほんの些細な呼気に混ざる程度の水でも、『高濃度のマテリアル』であればエアに及ぼす影響は大きい筈だ。
だから、どっちみち『戦いを避ける』以外に、エアの生き残る道は無かったのだと思う。
『……死にたくない』と。
『でも、ロムと離れるのはもっと嫌なんだ』と。
……そんな考えから、その場から逃げる事を選べなかったエアにとっては、相手が退いてくれた事はこの上ない僥倖だったと私は思った。エア自身もきっとそう思ったに違いない。
寧ろ、私からすれば『傷を受けない私』の事などは放っておいて、エアの身体を一番に考えて欲しいと思った。
……恐らく私と言う『領域』ならば、無防備に寝ていてもその『魔物』に何かされる心配はないのである。
そもそも、私に傷をつけられる存在など、もうあまりいないのだ。
だから、『黒雨』を受けてしまったとしても、きっと大丈夫だろうなと私は思った……。
「…………」
……だから、本当ならばそう言う状況になった時には、エアには逃げて欲しかった。
心情的には『見捨てて逃げる』と思ってしまうと拒否したい気持ちが強くなってしまうかもしれないが──。
それでもこれは『一時的な戦略的撤退なのだ!』と思えば、そこまで心的負担も大きくはならないと思うのである。……ダメだろうか?ただの詭弁にしかならないか?
でも、優しい彼女にとってはその選択肢を咄嗟に選ぶ事は大変に難しい事かもしれないが、それでもエアには『私が人ではない事を忘れないで欲しい』と思ったのである。
……これは、もしかしたら私がまだエアに教えてあげられる、数少ない事の一つなのかもしれない。
「…………」
『エアに伝えられる事がまだ残っている』事を思うと、内心で少しの幸いを得る。
この気持ちはきっとエアにも伝わってしまっているのだろうが……それは私の本心だった。
──何事も『捉え方一つ』なのだと。
『言い方』も『考え方』も、一つ変えられれば、受ける傷が大きく変わる事があるんだと。
『だからエア、もしもの時は私の為にも……私を残して撤退を選んで欲しい……』と。
『私はもう傷つかないから……』と。
「……やだ」
「…………」
……だが、それに対して返って来たエアの言葉はそれであった。
『その想いは嬉しいのだけれども、そうじゃないのだ』と、『心』でいくら伝えても──エアの『心』はそれを受け入れてくれなかったのである。
一応、私の伝えたい『想い』を受け取る事はするし、利がある事も十分『理解』はしている……。
だが、その受け取った物をどうするのかはエア次第であり、『エアの心』はそれを否定したいのだと。
『わたしは守られるだけじゃない。あなたを守れるようになりたいんだ』と。
『……それに、本当に守りたい時に離れていては何もできないでしょ』と。
『──わたしも、ロムと一緒に傷つかなくなるからっ』と。
……そんな『エアの心』は正直嬉しくもあり、同時に私としては複雑でもあった。
ただ、私達はそうしてお互いの『心』を感じ取りながら、お互いに『仕方がないなぁ』と思い合って、微笑ましくなったのである。
互いに相手を『守りたい』と思ったが故の想いだったので……不思議と少しだけこそばゆくもあった……。
「……あっ!あとね、わたしロムが眠っている間に思ったんだけどっ!『身体』だけじゃなくてロムの『名誉』も一緒に守りたいなって凄く思ったのっ!」
「…………」
……そして、エアは私を超えて、更に一歩を踏み出してくれるのだ。
元々、私が魔法使いとして自分の情報が外に漏れるのを好まなかった為、それを知るエアはこれまでそれに合わせてくれていた訳なのだが──
私が『人との繋がり』を意識するようになってから、ちょろちょろと情報が漏れ出る様になり、それをきっかけにして『ロムなんて大した事がないんだ』と周りに思われるのが、エア的にはかなり『イラッ』ときていたらしいのである。
……それに、正直な話『好きな人』が悪く言われるのはやっぱり辛かったのだと。
『わたしだけがロムの事をちゃんと理解できていればそれでいいって、ロムが言うから……』と、私の事を想ってくれて、エアはこれまではずっと我慢してくれていた訳なのだが──
今後はもうそれに対する我慢を止めて、反対に大々的に私の凄さをアピールしていきたいんだとエアは語るのであった。
内心、私としては恥ずかしいから、やらなくてもいいんじゃないかと言う気持ちはあるのだが……。
『──それに、そうしないと勝手な悪名が『あの魔物』の方から広がりかねないから……』
……とエアが言うので、私は一考する必要があるかもしれないと思い直すのであった。
と言うのも、エアが案じてくれているのは例の『黒雨』を使った『黒き白銀』に関する話の続きで──あれは街中の人々から『魔力』を吸収した後、不思議な事に何故だかその顔つきが段々と『私の顔』へと近寄っていたそうなのである。
それも『白銀の髪』とも相まって、見ようによってはほぼほぼ私に見えなくもないと言う位には、姿がそっくりに変わっていたと言う話だったのだ。
つまりは、大陸を超えて『あの魔物』が悪さをすれば、それは自然と『泥の魔獣の仕業だ!』と噂される心配があり、それに対応する為にも『アピール作戦』で良いイメージを周囲に振り撒いておくのは効果的なのではないかと──。
「…………」
──だが、そうして私達が話している間にも、現にその『黒き白銀』は隣の大陸にて国を一つ軽々と『黒雨』で飲み込み、更なる成長を遂げて『私』の姿により近づいている事など……この時の私達は知る由もなかったのだった。
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