第6話 歌。
2022・09・28、本文微修正。
「えー、精霊の姿って見えないの?」
魔法使いになると頷いた彼女が、最初に私に訊ねて来たのはそれだった。
どうやら、先の精霊の歌をきっかけにそうとう彼らの事が気になっているらしい。
……だが、すまない。基本的に精霊の姿は普通の人には見れないものなのだ。
『声を聞く事さえ、普通は奇跡の部類に入るだろう』と話したら、彼女はそう言って少しだけ不満気に頬を膨らませている。
「だが、魔法使いになって、魔力の扱いに長ければ見える様にはなる」
「なるのッ!?」
「ああ。頑張ればだが」
「ならがんばるっ!」
「……そうか。では私も君が頑張れるように応援しよう」
大樹の天辺で枝に腰を下ろしながら、私達は横並びにそんな会話を交わしていた。
それにこれは、ただただのんびりとしている訳でもなく、魔法使いになる為の大事な時間でもあった。
と言うのも、『精霊たちの歌声』は未だ眼下の花畑や大樹周辺から継続して響いており、通常では考えられない様な状況と幸運が続いている最中でもあったからだ。
この状況を確りと活かして彼らとの『差異』を感じとる事が出来れば、彼女も魔法使いとして幅を広げる事が出来るだろうと私はそう考えていた。
「…………」
因みに、ここで言う幅とは、『他の人が普通に過ごしているだけでは感じ取る事が出来ないもの』を敏感に感じ取る為の力であり、そしてそれを感じ取ったら自らをその感覚へと一歩ずつ歩み寄せていく力の事でもある。
正直、これは少しばかり分かり難いかもしれないが──簡単な例えを出すと、二枚の同じ様な絵を見詰めた際、片方には何かが足りなかったり、逆に多すぎたり、何かしらの間違いが有るか無いかを探す様な感覚に近しいだろう。
ただまあ、現実の光景に当てはめて常にそれを行おうとすると、絵とは異なり目の前に広がる景色というのは常に変化もする訳で、その中から更に限定した対象の自然な変化を敏感に感じ取らなければいけないというのはかなり難しい──特に、その『差異』がどんな風に違うのかをちゃんと自覚するというのは、中々に困難なのである。
だから、これらは学ぼうと思っても中々学べるものではなく、その機会も限りなく少ない訳で。
そもそも『差異』そのものを知らぬ者がそこへと至るのはとても険しい道程だとも言えるのである。
「…………」
要は、『精霊』と言う存在を知らぬ者に、『精霊』を見つけようという発想は中々に出てこないもので、今回の様に彼らから歩み寄って貰わねば、普通はその存在すらも信じられぬ事が多いのはどうにも仕方がない話なのである。
しかし、その点彼女はその『差異』の方から、『今ここに間違いが隠されているから、よくよく注意深く観察していてくださいね!』という──そんな絶好の機会を与えられている様な状態なのだ。
こんな機会は、本当に奇跡に近しいと思う。
「ら~ら~らら~」
それに、隣の彼女は説明する私の言葉を聞きながら、何度か深呼吸を繰り返すと自らもその歌を真似するかのように声を発し始めたのだ。
そして、普段は自然体で行っているだろう体内の魔力循環を、感覚的に少しだけ精霊達に寄せるように意識もしているのか、段々と精霊たちの音色に合ってきているのが分かるのである。
初めて聞くはずの歌──それも初めて歌うはずの歌声──その音色はとても澄んでいて、耳に心地よい響きを与えてくれる。
彼女にはやはり『才能がある』と、私はまた内心の震えを感じた。
『これならば彼女はきっと良き魔法使いになるだろう』と、私は漠然と安心し、その様子を穏やかに眺めている。
「…………」
ここで、少しだけ長い話をするのだが……『もしも、その精霊の歌を歌うだけで、『差異』とやらに気づけるようになるのか?』と問われたとしたら、私はその問いに対し『はいでもあり、いいえでもある』と答えただろう。
……と言うのも、そんな曖昧な答えしか返す事が出来ない理由としては『正解への道が一つではないから』である。
もっと言えば、彼女が今歌っているのは、精霊達が『喜びを表したい時に良く歌っているもの』の一つであり、似た様な音色の曲は探せば誰の傍でも聞こえてくるだろうが……その歌はきっと同じ様に『喜びを分かち合いたい者』に対してしか深くは響かないし、精霊達が近くに居た場合には一緒に歌ってくれる事もなかっただろうからである。
歌だけを知ってても、意味があるのかないのか、なんとも言えない所であると。
『精霊達』と一緒に響き合い、近しい感覚になっていなければ、その歌の感じ取り方も大きく異なっていただろうし、その上で現状の彼女のように一緒に『喜び』を享受していなければ、『精霊達』と自分の『差異』を認識する事もなかっただろうと。
まあ、中には彼女以上に感受性が豊かであれば、歌だけでもそれに気づくかもしれないが──なんとも難しい話である。
「…………」
そもそも、『その差異をちゃんと認識できると何が良いのか?』と問われれば、『その差異をちゃんと認識できた魔法使いは、まず間違いなく魔法の技量が上がるからだ』と私は答えるだろう。
何故ならば、『魔法とはそもそも彼ら精霊達の側の領分の技術』であり、その領域へと自らを近づけられた者は、そちらの理を用いて魔法を使う事が出来るようになれるからである。
つまりはそうする事で、『精霊達が扱う様な強力な魔法』や、『精密な魔力運用』を深く理解できるようになるので、『差異』を認識する前と比べて段違いに魔法使いとして上達を感じる様になるのだと。
……そして、それを答える事ができるのは、それが私自身の『経験談』でもあったからである。
「…………」
因みに、極論として『誰でもその精霊の歌をずっと歌っていれば、その内理解できるようになるんじゃないか?』と思うかもしれないけれど、それに関してだけは断じて否であると私は答える。
……と言うのも、そもそも『精霊達にも人の好き嫌いがある』のだ。
だから、要は『相性が合わない者とは絶対に一緒にいたくないし、歌って欲しくもない』という頑なな部分が彼らにはあったりする。
その点、隣に居る彼女の場合は彼らが最初から全力全開の大合唱で、言わば歓迎ムード一色であったからこそ、ここまで分かり易い状況になってはいる訳だ。人によっては一生かかっても見向きもされない事などざらにある。
適当に歌って運良く少数が反応を返してくれたとしても、今回の様な大規模なものでなければ中々一緒に歌ってるという感覚を得るのも困難で、また己と彼らの『差異』を感じ取る事が出来ぬまま結局は気づかず終わってしまう事などよくよくあるだろう。
それほどまで『差異』と言うのは感じ取るの事が難しい上に、どうにか策を講じて感じ取る事が出来たとしても、そもそもの魔力を扱う技術が未熟であれば、その先へと至る事もできない。
魔法使いに興味が一切なければ、なる必要性すら感じないだろうし、彼女の様に鬼人族で生まれた時から自身の魔力を循環し続けている様な者達でもない限り、その領域へと至るのは至難の業だと理解するだろう。
……もちろん、可能性は常にゼロではないので、最終的には個人差に依る話ではあった。
「…………」
とまあ、さてさて、長々と説明してしまったが──兎にも角にも、結局の所何が言いたいのかと言えば、『今彼女がやっているのはとんでもなく難しい事なんだな』と、それだけを分かって貰えれば十分であった。
「……そろそろ良いだろう。一度、歌うのを止めてみて欲しいが、いいか?」
「うんっ」
頃合いを見計らい、私がそう告げると……彼女は歌うのをやめた。
すると、自然と周辺の精霊達も彼女と同じく歌を止め始め、ついには辺りには不思議な余韻だけが残る事となる。
精霊達からはそこはかとなく『もう終わりなの?』と言う──そんな、少しだけ残念そうな雰囲気が向けられてくるのも感じるが……そこは少々申し訳ない。
だがしかし、実はその余韻こそが一番『差異』を感じ取り易い状態だとも、私は感覚的に知っているし、彼女はまだ魔法に関しては初心者らしい部分があって、見た所ここら辺が歌い続ける限界じゃないかと私は察したのである。
「…………」
実際、歌うのをやめても、まだ少し歌の残滓に漂っているように──まるで酒に酔ったように彼女は身体を左右へと揺らしながら、ほんのりと上機嫌な表情で私の事を見上げてくる。
「その感覚を忘れないように。……気分はどうだろうか。悪くないか?」
「──うんっ。えへっ、すっごい楽しいっ」
また手をわきゃわきゃと動かしながら、言葉足らずの部分を伝えようと彼女は無邪気な笑みを見せた。
いきなり全てを手に入れられたら言うことなしではあっただろうが……まあ、私が視た所、感覚の『差異』をちょっとだけは摘まんでいる状態だろう。
でも、ちゃんと第一歩を踏み出したのは偉い。本人としては物足りなかったり、微妙な感じに思う事があるかもしれないが、感覚の『差異』を掴めただけでとても素晴らしい事だと私は思った。
魔法使いとしての道はこれから先もまだまだ長いだろうが、十分な第一歩は踏み出せただろうと。
「ふぁぁぁ~」
「……疲れたな。このまま少し寝てもいいのだぞ」
「うん」
よく食べ、よく遊び、よく眠る。
見た目は成人女性そのものだが、やはり中身は幼子の様だ。彼女は欠伸一つすると直ぐに横になった。
そして私は寝息をたて始める彼女を支えながら、私達の周辺にいる彼らへと軽く頭を下げる。
まだ彼女の目には見えていないだろうが、今は多くの『精霊達』が彼女の方を微笑ましそうに見つめているのだ。
私はそんな『精霊達』に感謝を告げたかった。
すると、『久々に思い切り歌えて嬉しかった』と、『もう少し歌っても良かったんだよ』と、彼らも心から楽しげだったのは幸いである。
これからも度々彼女が歌う事があるだろうから、『その時は今日の様によろしく頼む』と私が言うと、彼らは皆笑って頷いてくれた。
「…………」
その後、暫くは彼ら数人の『精霊達』と、共に大樹の上から遠くを見つめ、語り合いを私は楽しんだ。
話す事の大半はたわいのない様なものばかりで、中には彼女の食事風景を見ていて驚いた者達も多かった。
彼女が起きたら食べさせてあげてと、わざわざネクトを持ってきてくれる『精霊』まで居る。
彼らとの付き合いもかなり長くなったが、精霊達の優しさにはいつも頭が下がる思いであった。
いつまでも変わらぬその深い親愛に、私は再び深い感謝の念を心の中で密かに送る。
そして、たまにはお礼に『何かできる事は無いだろうか?』と尋ねたら、久しぶりに私の歌も聞いてみたいと言われたので……。
「……ごほん」
私は僭越ながらも、彼女を起こさない程度の声量で、感謝の気持ちも沢山込めこんで、ついでに魔力なんかもいっぱい乗せちゃって……のんびりと彼らへと響かせ届けた。
歌には元々自信があまりない。でも、皆微笑ましそうに聞いてくれているので、彼女ほど上手くは歌えてなかっただろうがそう悪いものでも無かったと思う。
何人かは何故か照れながらも、一緒に歌ってくれたのだ。それが素直に嬉しくなる。
まだまだ暑い日は暫く続きそうだが、こんな温かな日常ならば、いつまでも過ごしたいと思う程に今日は素敵な一日だった。
またのお越しをお待ちしております