第599話 防曇。
注意・この作品はフィクションです。実在の人物や団体、事象などとは関係ありません。
また作中の登場人物達の価値観なども同様ですのでご了承ください。
『魔法学園』の秘された施設の天井から、突然大量の『黒い水』が私達の元へと降り注いできた──
だが、それは私に対して大した意味はなく、魔力で簡単に弾けて浮かんで避ける事ができたのである。
……同様に、『明鏡止水』も更に魔力を高めると、『黒い水』に反応して吹雪を使い『世界』を凍てつかせながら弾いていた。
彼女は重厚な氷の壁に包まれており、その黒い水は近付けていない。
ただ、そうすると黒い水は氷壁に熱湯でもかけるかの如く、『ビキビキ』と割り砕きながら浸食しているのが私には見えた。
精霊の使った魔法の魔力そのものを消し去る様なその威力は凄まじいが、それよりも浸食によって氷そのものが徐々に黒くなり、儚くも脆く崩れ去っていくその様は異常としか感じられなかったのである……。
「…………」
だが、その異常には『明鏡止水』も直ぐに気づいたらしく──彼女は黒い水が毎秒『十の力』の分だけ氷を侵食し崩壊させて打ち消すのに対し、毎秒『百の力』の分だけ氷を生み出し続ける事で対処したのであった。
自身の身体に宿した『マテリアル』の影響もあるのだろう。
その魔力はどんどんと『増幅』され、『凍えた世界』は一気に施設内を埋め尽くしていく……。
──いや、その魔法の威力が強すぎるのか……『探知』を使ってみるとその魔法の影響は施設を飛び超え、既に周辺の街中までも氷が埋め尽くし始めているのが分かったのだ。
そして、彼女に内在する『力』を全て吐き出せば、この大きな街でさえ全て吹雪に包まれてしまう事が私には予想できてしまったのだった……。
「…………」
彼女はやはり……己の全てをここで出し尽くしてしまうつもりなのだろう……。
そして、愛する者を失う事になった原因へと、意趣返しをする心積もりがあったのかもしれない。
周辺の『人』をも無関係に氷に飲み込みかけているその魔法に、私は彼女のそんな『心』を少しだけ感じたのだった。
深い眠りについた愛する者の頭を自分の膝に乗せたまま、彼女は未だ少し潤む目付きで私達の方に顔を向けると、静かに少しだけ頭を下げたのだ……。
『迷惑をかけてしまってごめんなさい』と。
『……そして、さようなら』と。
……私は彼女のその会釈から、そんな思いを感じたのだった。
そして、傍には四精霊も居るが、彼らもまた『ぐっ』と何かを堪える様な雰囲気に変わったのである。
……『助けたい』という気持ちは一緒だった。
……だが、私と同じく四精霊達もそれを彼女が望んでいない事が痛い程に分かってしまったのだと思う。
それに、『精霊』が此処まで感情的になる事は大変に珍しい事でもあった。
……そもそも、彼らには役割があり、精霊達にはそれぞれの『領域』がある。
なのに、彼女はそれを大きく逸脱してまで、これを行なっているのだから……。
「…………」
その決意は固いのだろう。
だがその行為の責任と結末は確実に彼女へと重くのしかかっている筈であった。
……元々『精霊』と言う存在は自分達の『領域外』となる行動をしてしまうと一気に『力』を消耗してしまう存在でもある。
だから、本来ならば『自然を守る必要がある』のに、それから大きく逸脱している彼女のその行動は『力』を大きく損なう訳で──
その上、更に『マテリアル』を使いながら残った己の『力』を一気に燃え尽きるまで彼女は使い続けているのである……。
それはつまり、言わずもがな彼女がもう『戻るつもりがない』と言う事の証明でもあった。
……いや、彼女自身も既に戻りたくても戻れない所まで『力』を使ってしまっているのだろう。
その存在は光の粒が弾ける様に消えてゆこうとしている……。
これまでに、もう何度見て来たのか分からない『精霊の消失の時が始まる』と私にはわかってしまったのだった……。
「…………」
私はそこで、少しだけ現実から目を背ける様に、上へと視線を向けた……。
すると、施設内の天井から大量に降り注いでいた筈の『黒い水』がいつしか降り止んでいる事に気づいたのである。
……恐らくは何らかの防御機能の一つとして備えていたものだったのだろうが、あの『黒い水』だけでは彼女を抑え込む事は出来なかったらしい。
だが、結果的にはあれのせいで、彼女は大きく『力』を損耗させられてしまった……。
それにより、街中は全てが凍り付く事は避けられたとも言えるだろう……。
街中に吹き荒れる吹雪に驚いたのか、この施設へと向かって来ている者達の接近も私は『探知』では感じていたが……地道に雪かきをしたり氷を溶かしたり、路面を整備していた私達の日頃の冒険者活動が役立ったのか……街の者達の避難の一助になっている事も分かったのだ。
そんな光景を視ていると……内心、私としては少々複雑に感じてしまう。
誰かを傷つけたい訳ではないが……こうして目の前で精霊が消えゆく様を見ていると、無意識的に『人』に対しての『憎しみ』が少しだけ沸いてしまう気がした……。
そして『またか……』と、こんな気持ちを抱く度にそう思うのである。
同時に、また一人精霊が消えてしまう事を思い──それだけで己の『力』の不足にも腹が立った。
『……何の為に大樹の森を作ったのだ』と、自問する。
ここでそれを思う事の場違いを理解していながらも……どうしても、それが頭を過ぎった。
「…………」
『魔力生成』も済ませた現状において、次はもう『別荘』に精霊達を誘う事に専念できる。
……友との大事な『約束』でもあるから、『人との繋がり』を求めて冒険者活動を再開した訳だったが──『別荘』の件もまたそれ以上に私にとっては大事な事柄なので、また直ぐに再開しなければと心に決めたのである。
……だが、私がそうして少しだけ現実から逃避しつつも考え事に耽っていると、消えゆく『明鏡止水』から最後に、こんな言葉を彼女は私達に伝えてくれたのであった。
『本当にいい温泉でした……彼も好きだったんです。だから、あの場所は残して欲しい……。あと、わたし以外にも『人』といい関係になっている子は密かにいるんで、全ての『人』を嫌いになったりはしないであげてください。ただ、この街にあるこんな場所だけは──』
「──ああ。絶対に二度と使えない様にしておく」
『はい、おねがいします。それじゃあ、もう……さよならですね──もしも次があるなら、生まれ変わる時は最初から『人』になれますように……』
──と、そんな話を聞いて『ああ、そうだったな』と、私は彼女と言う精霊が『昔から温泉が好きであった事』をちゃんと思い出したのだった。
……それのおかげで、荒みかけそうになっていた私の『心』も治まると、『魔法学園』の者達もまたあの温泉の事を喜んでいた事まで次々と去来してきたのである。
そして、『人にとっても、精霊にとっても、安らげる場所であれ』と、そんな風に思って作った場所でもあった事も、私は思い出してしまったのだ……。
「…………」
……ただ、友も精霊も皆して、私に『人を嫌いになるな』と言う。
君達の事を大事に想う私に……君達を傷つけたその加害者でもある相手を『許せ』と……。
私には、それがとても難しく思えた。
……だがしかし、消えゆく『明鏡止水』の最後の言葉に、私はそっと頷きを返したのだった──。
またのお越しをお待ちしております。




