第598話 明鏡。
注意・この作品はフィクションです。実在の人物や団体、事象などとは関係ありません。
また作中の登場人物達の価値観なども同様ですのでご了承ください。
『魔法学園』の秘された場所の一部だと思われる施設の中で──『人』を抱きながら涙を流していたのは私も見覚えのある精霊だった。
その精霊は、かつて『大樹の森』で開いていた催しで活躍していた覚えがある。
……確か、こちらの大陸では『力』のある精霊の一人としてとても有名だった筈だ。
『明鏡止水』と言う──かつて私が贈った称号がとても良く似合う『水の精霊』であった……。
「…………」
……だがしかし、そんな彼女は今、止まらぬ大粒の涙をその腕の中──動かぬ『人』へと向けて零し続けていた。
その姿はまるで恋人との別れを嘆く『人』の姿そのものである……。
きっとそれだけ彼の事を想い、愛していたのだろう。
……その位は、流石の私でもわかった。
『どっちが人だとか、精霊だとか、そんな事関係ない。わたしはこの人を愛しているのだ』と。
──そう言っている様にも感じたのだ。
『愛する気持ち』の前では、『種族の差』など些細な問題でしかない……。
そこに『運命』を感じてしまったなら、後はどんな壁でも超えていくのみなのだと……。
姿が見えなくとも分かり合えない訳じゃない。
一見敵対関係にしか思えない中にも、ちゃんと繋がりはある。
その想いをなかった事にはできないのだ。
必ずしも理解し合える訳でもないけれども……。
それでも、『人と精霊』とは決して『心』で繋がれない存在ではないのだと……。
『人』が精霊に興味を寄せる様に、『精霊』もまた人に興味を寄せるのである──。
「…………」
──結局、『人と精霊』との関係性を『こうに違いない!』と、『一方的な搾取を受ける精霊達を助けなければ!』と決めつけていたのは、また私の凝り固まった思い込みだったらしい。
勿論、私が考える様な一方的な関係性も実際見て来たので多いのは確かだろうが……『それだけが全てではない事』を私は思い知ったのだった。
慟哭する彼女の姿を見てそれを感じ取る事は不謹慎かもしれないが、彼女の想いから痛い程に伝わって来たのである。
彼女と彼のきっかけが何だったのは分からないが、誰かを大事に想う気持ちに『差異』など無いのだと……。
「…………」
……ただ、忘れてはならないのが、『人と精霊』が良き関係を築くためにはどうしても精霊達は『人』に認識される必要があるという事だ。
精霊が普通の状態であるならば、当然の様に人には精霊達の姿が見えない。
なので、『人』の方に余程の『力』があれば話は別だが、そうでない場合は精霊の方から『人』の方へと歩み寄らねばならないのである。
──そう。つまりは、その為に精霊は『マテリアル』に適応しなければならなかったのだ……。
「…………」
元々、適応していなかった筈の彼女が、私達の知らぬ内に『マテリアル』をその身に宿す選択をしたのだと察した。
そして、そうするだけの理由が彼女の腕の中に居る彼にはあったのだとは思う。
……だが、ここで問題となってくるのは、そんな精霊を材料にして何らかの実験を進めようとしていた事であり──同時に、そんな現場に彼女の愛する彼の姿が一緒にある事だった。
四精霊の声を聞き、すぐさまこちらに来た私は状況の詳細を知らぬ間に邪魔になりそうな者を先に消し去り、『明鏡止水』の安全確保を優先した訳なのだが──来た時には既に彼は彼女に抱かれた状態だったのである。
……その光景は言うまでもなく、彼もまたその実験に巻き込まれたと言う事だろう。
そして、彼がその実験と関係があったかは知らぬが、きっとその身は彼女の為に使ったのではないかと私は思ったのだ。
彼女を守る為に、彼は頑張ったのだと、私はそう思いたかった──。
「…………」
──無論、それは私の勝手な想像に過ぎない。
だが、『明鏡止水』と謳われるべき精霊が、ああまで慟哭し、涙を零し続けるのは相応の理由があったとしか思えなかった。
……そして、彼を失った悲しみから段々と高まり続けていく彼女の魔力は、今にも爆発しそうな渦となっており、その渦に呼応するかのように吹雪が広がり施設内は凍り付いていったのだった。
まるで『世界の全てを凍らせ、今この時を永遠にしたい』と思っているかのような……そんな精霊の魔法はは彼女自身をも包み込み、急激に終わりへと向かおうとしている様に視える……。
そんな彼女の姿に、私はまたも友の事が浮かび──
『彼女も、愛する者と共に逝こうとしているのだろうか』と、その想いを感じて胸が痛くなったのだった……。
「…………」
……まったく皆、もう少し残していく者の事も考えて欲しいものだ。
『私はまた見守る事しか出来ないのだろうか……』
『だが、本当にここで手を出すべきなのだろうか……』
……と、彼女達の『心』を思えば思う程に、私の『愚かな心』はそんな思いがぐるぐると回ってしまった。
何を敬い、何を優先すべきか、その咄嗟の判断が私には出来なかったのである。
世の中には様々な考え方があり、中には盲目的に『命が尊い』と即答する者もいるだろうが……実際はそんな単純なものではないのだ。
こういう場合は特に……。
「…………」
──だがしかし、そうして悩んでいられる時間は多くは無く……。
私がそうして吹雪に飲みこまれながらも考え込んでいると、突如としてこの『魔法学園』の秘された施設であるこの場所の天井が『──ガバッ!!』と解放され、いきなり施設内を埋め尽くす程の大量の『黒い水』が、私達の頭上から勢いよく降り注いでくるのであった──。
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