第583話 先竭。
急に崩れ落ち倒れたエアは、まるで毒を口にしたかの様な苦しみ方をしていた。
……それも、激しい痛みに対してエアは必死に耐えようとしているのがわかる。
ただ、自分で咄嗟に『浄化と回復』を使う余裕がない事は一目瞭然であった。
「…………」
私はそんなエアを目にした瞬間から、何かを考えるよりも先に勝手に身体が動いていた。
そして、倒れたエアの傍へと近寄ると、その身体を抱きかかえてすぐさま『浄化と回復』を施したのである。……できるだけ丁寧に、そして尚且つ己が出来る最大限の魔法を使ったのだ──
「グゥゥゥゥゥゥっ……」
──だがしかし、私が幾ら『浄化と回復』を施そうとも、私の腕の中でエアは、ひたすらに苦痛に呻き続けるだけで治る気配は皆無であった……。
「…………」
それを見て私は『……何故だ』という思いと同時に、一気に『ゾワリ』とした嫌な冷汗を感じていた。
……頭の奥は熱を帯びているのに、背中や身体の中心だけがどんどんと冷たくなっていく感覚である。
恐らくは直前の『狂戦士』の行動により、彼の血と接触してしまった事から『彼のマテリアル(淀み)』に触れ、何らかの悪影響をエアが受けたのだと判断したのだが……そうではないのだろうか?
そうであれば、本来『浄化』でその悪影響も消える筈──それに、『回復』によって痛みも和らぐ筈なのに……それが全く効いていないのである。
以前にも似た様な状況があったとは思うのだが……その時の事を冷静に思い返す様な精神状態ではなく、『どうして上手くいかないのか!』とそればかりが頭の中を巡って、上手く思考が動いていなかった。
「…………」
──ただそうしていると、エアを苦しめた張本人である『狂戦士』がまたもぼそりと呟いており、それが私の耳へと届いてきたのである……。
それも、彼は酷く悲し気な表情のまま私達を見つめ、自身は段々と『聖女』の様に身体が薄くなりつつあった。
「『成果』は認められた、か……これで俺もあいつと一緒に居られる……」
「…………」
「……だが、このまま『向こう』に行く前に少しだけ話をさせて欲しい。『神の恩恵』は普段、俺は自分の血で薄め溶かしてから飲んでいる。──だから、そもそも嬢ちゃんには『合っていない』んだ。その状態は他の奴がこれを使った時と凄く似た反応をしている。きっと『マテリアル』の『増幅効果』に身体が『適応できてない』んだろう……」
「…………」
……すると、彼はいきなり何を思ったのか、突然そんな話を私に聞かせて来たのであった。
だが、なるほど──感謝などするつもりなど微塵もないが、つまりは彼の言葉が確かなら、エアのこの状態は『増幅効果』によって引き起こされているものである、という事は分かったのだ。
ただ、その言葉には『一つだけ間違いがある』様に、私は感じたのである。
と言うのも、彼は『エアが適応できてない』とは言ったが、『天元』を使っていたエアの状態を考えれば、まずそれはありえない話だと私は思ったからであった。
……寧ろ、『天元』の特質を知っていれば、実際はその逆ではないのかと判断するのが普通である。
要は、過剰な『増幅』を受けたが為に『天元』の効果が強化され、エアはそれを抑えきれずにいるのではないかと。
言わばそんな『天元の過剰反応』とも呼べる状態に対して、本来は『合わないもの』である筈の彼の『血』にまで、エアの身体は無理矢理に適応しようとしているが故に苦しんでいるのではないだろうかと、そう思ったのである。
そもそも、本来はとある水(血)に溶かしてから使う筈であるものを、今回『狂戦士』はそのまま『赤い石の欠片』ごと使用したのだから、触れた『血』が少量であったとはいえ、その効果が通常の何倍も悪影響を与えそうなのは道理である様に感じた。……それもこんな室内で使ったのだから、尚更に効果の程も望めただろう。風で『血』を散らしてしまったのもある意味まずかったのかもしれない。
……ただ、本来は『適応して』身体機能をより良くしようとする『天元』の特質に対して『回復』が効果を示さないのは半ば当然の話ではあった。
『回復』がそもそも、簡単に言えば『悪い部分』に対してしか効果がないものであり、身体が『悪い部分』だと認識していない時には意味を為さないからである。
「…………」
──だが、そんな話を態々彼がして来たという事は、『狂戦士』もその背後に居るであろう存在達も『エアがもう助からない』と判断したからだろうと、私はなんとなくだが感じ取ったのだ。
……この状態は、それほどまでに悪いのだと私は察した。
気の毒そうに思っている『狂戦士』とその背後に居る存在達とでは、私達に向ける『思いの質』は異なるだろうが、どちらにしても彼らからすればエアのこの状態は『致命傷の状態』であると言いたいのだろう。
危険な『ダンジョンコア』を『神の恩恵だ』などと宣って、危うい使い方をしている連中だ。
それこそ色々な実験を重ねてきた結果を、経験として知っているのかもしれない。
……もしかしたら『喫茶店店主』が『巨大な樹木の魔獣』と化してしまった事も、これに関連があった事件なのかもと、今更ながらにそんな事も私は思うのだった。
「…………」
──だが、正直今はそんな余所の事はさて置き、私はエアを全力で助ける事しか考えていなかった。
……何があろうと絶対にエアは助ける。これは絶対にだ。
「……神々は、あんた達を警戒していた」
「…………」
……ただ、そんな私に対して、またも『狂戦士』が何やら語り掛けているのは分かった。
でも、正直『狂戦士』はもう邪魔だ。『聖女』と共に消えるならば、どこへなりともさっさと消えてしまえばいいと、内心ではそう思っていたが口にも出さなかった。
そもそも彼らに対する怒りも悲しみも、それを思う時間すらも今は惜しかったのだ。
……一秒でもエアの為に使いたかった。
恐らく、現状エアの『天元』は『合わないもの』をその身に無理に適応させようとして、その苦痛を増加させるばかりか、身体を癒やす事も出来ていない。その『痛み』だけを『増幅』させ続けるだけの様な状態になっていると思われる。
これは、根本的にエアの中に入った『血』をどうにか全て消し去るか、『マテリアル』の動きをなんとかして止めるか、『天元』の反応を正常に戻す必要があるだろう。……考えろ、どうすればいい。
……このままだとまず間違いなく『エアの命に関わる』と、私は瞬時に悟っていた。
「……特に、神々はあんたを過剰に恐れていた。神々を葬れる唯一の存在──神敵『泥の魔獣』を。そして、その弟子となる存在もだ。……もしも、いずれその弟子までもが手に負えない存在になってしまえば、脅威は倍以上になる。本当にどうしようもなくなる前に、何とかする必要があると『向こう』は判断したらしい。……だから、ずっと罠ははってあったそうだ。実際、俺が潜入しろと言われていた理由も同じだった。神々の目標はずっと嬢ちゃんだったんだ──」
……私がエアを治そうと必死に対処している間、『狂戦士』はそうしてずっと何かを語っていた気がした。
──だが、本当に私はそれどころではなく、既にその言葉には何の意味も興味も抱かなかった。
もうどうでも良かったのだ。エアが助かってくれるならば何でもいいと思った。
「……卑怯な戦い方をしてすまなかった。だが、俺と言う『魔力の少ないマテリアル使い』だからこそできた戦い方だった。俺以外じゃまだ『神の恩恵』は誰にも制御ができないものだ。……以前に、他の奴等が同じような事を試した時には使用者の方が酷い事になっていた。それこそ全身から血を噴き出して死んでいたんだ」
「…………」
「……強大な魔力を持つ魔法使いに対して、これ程有効的な手段もない。それもこんな部屋の中で、戦えば自ずと距離が近くなる環境で、全力を出せばこちらを上回る相手で、俺が傷を負うのは決まり切っていた。それも、相手は嬢ちゃんで、恩人で、俺に手心を加えてくれてるのも直ぐに分かった。……正直、俺にとって有利過ぎる戦いだった。こうなる事は容易に想像ができてた。例え真正面からの戦いで勝てなくても、相手を倒すだけならば方法があるんだ……。だからすまない、嬢ちゃん……どれだけ恨んでくれてもいい……だから──」
「──ぐゥゥゥゥゥゥゥゥッ……」
……ただ、エアは堪える事に必死で、そんな『狂戦士』の話は恐らく届いてはいないだろうと私には思えた。
私の名を呼ぶ余裕すらないエアが、そうしてずっと私の腕の中でもがき苦しみ続けている。
それも、食いしばりが強過ぎるあまりに、一部奥歯などが砕けかけている程であった。
私はそれを見た時、思わずだが──そんなエアの口を、魔法も使いながら無理矢理に開けると、気づいた時にはその間に自分の手を敢えて噛ませて、これ以上エアが食いしばらなくて済むように対処もしていた……。
「…………」
──正直それをやった後で、自分でも『何をしているのだろう』とは思った。
……だが、咄嗟の事で仕方がなかったのだ。ただただ無我夢中だった。
冷静でありたいのに、エアの苦しむ姿とその声に、冷静でいられなくなっている部分がある。
それも、『血の除去』『マテリアルの制御』『天元の過剰反応の抑制』と、やらなければいけない事が目の前にあるのは理解しているのに、そのどれもが手に付かずにいた為正直焦ってもいたのだ。
そして、『痛み』と共に段々と弱っていくエアを抱きしめながら、私は限られた時間の中で精一杯に悩みに悩んでいた…。
「…………」
……そして沢山悩んだ後、私は『大切な者を守る』為、一つの愚かな決断を下したのである。
『エアの命を守れるのならば、その魔力を損なう事になっても……』と──。
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