第582話 甘井。
注意・この作品はフィクションです。実在の人物や団体、事象などとは関係ありません。
また作中の登場人物達の価値観なども同様ですのでご了承ください。
『天元』──それは、『適応する力』である。
感覚的には臍の辺りを基点に、魔力を通し循環させることによって自身の肉体を強化させる技ではあるのだが、極める事によって如何なる状況にも身体をその場の環境に合わせる事が可能になる『種族特性』である。
「…………」
そして、『鬼人族』であれば誰しもに備わるその『力』ではあるものの、当然の様にその『才能』には個人個人で明確な優劣が存在しており、密かにその『強さ』は額にある角──要は『血晶角』の状態よって大凡見分ける事出来ると、『里』の中では暗黙の了解として知られていた。
……まあ、そこら辺の事情は森で生きる種族特有の話なので、『里』に暮らしたことがないと微妙に分かり難い話ではある。
ただ因みに言うと、一応は『耳長族』にも同じような要素があり、耳の長さや形、『ピクピク』と耳を動かした時の耳の可動域と元気の良さなどで判別が可能なのだが……まあ、その話は今は置いておくとしよう。
それよりも話を戻すが、そんな『鬼人族』の種族特性を前提として見た時、私はエア程の『才能』を持つ者をこれまでに見た事が無い。
……これは以前にも言った事があったかもしれないが、再度言おう──エアは天才であると。
今は無き『原初の森』にさえ、エア程の素晴らしい角を持った『鬼人族』は存在しなかったと思う。
私の目を惹き付け止まないその赤き双角は、まさにエアの生命の輝きを表すかのように美しく煌めいていた……。
「──はぁ、はぁ、はぁ、はぁ……」
「…………」
……ただ、そうして二人が戦い出して、どれほど経っただろうか。
それほど長い時間は過ぎてはいないとは思うのだけれども、気づけばいつしか肩で息をし、呼吸を荒げているのは『狂戦士』の方であった。対するエアの方は涼しげな表情へと戻っている。
未だ魔法による攻撃自体は通じていないようだが、そもそもの『鬼人族』の特性としてある『肉体強度』だけでも十分にエアは『狂戦士』を圧倒しかけていたのだ。
……いや、『差異』を超えし魔法使いへと至っている今、久々に『天元』を用いて近接戦闘をしているエアの『力』は以前よりもだいぶ強くなっている様に見える。それも、比べ物にならぬほどに……。
肉体を循環させる『魔力量』がそもそも違う。『圧』も『質』も段違いに上がっているのだろう。
当然の様にエアの『肉体強度』は、『狂戦士』が『マテリアル』で無理矢理作りあげたものよりも遥かに優っていたのだ。
『予想よりも強敵だった事』と『室内だった事』、そんな不利な状況を背負った戦いだった為に『狂戦士』には最初は上手く戦われてしまった訳だが、エアが慣れてくれば実力差はこんなにも開いていたのである……。
殴れば殴るだけ、蹴り込めば蹴り込むだけ、逆に『狂戦士』の身体の方が悲鳴をあげ『痛み』を感じているかのようにも視えた……。
互いに、疲労以外は主だった怪我なども負ってない様子だが、実際のダメージはそれ以上だろう。
寧ろ、これ以上の戦いはやればやるだけ一方的な展開が続きそうである……。
「…………」
いっそ、一気に決着をつけてしまった方が良いと私は思うのだが……やはり、複雑な感情が邪魔をするのか、エアの『心』は未だ『狂戦士』に止めとなる攻撃をする事は考えていない様であった。
別々の意味でだが、両者は互いに止めをさしきれずにいる。
……いや、エアの場合は『止めをさしきれない』と言うよりかは、他の解決策を見つけるまでの時間稼ぎをしているのかもしれない。
その表情は『まだ諦めてない』のが分かるのだ。
皆で助かる道を……。
「…………」
本来であれば、戦いの中でそんな事を考えるのは『甘い』と言わざる得ないのかもしれない。
……だが、そうしたエアの『優しさ』を私は『甘さ』だと言って切り捨てたくなかった。
エアのそんな『優しさ』がやはり私は好きだと思ったから──
だから、私はここで止める事もできずに、ただただ見守り続ける事しか出来なかったのである……。
「──ガアアアアアッ!!」
……それに、内心『勝つ事を最後まで諦めていない狂戦士』の姿にも、私は胸を打たれている気がした。
あれだけの急激な変化を伴っている以上、彼が感じる『痛み』はとてつもないものだろう。
言わば、全身に激痛が走ったまま、彼はずっとああして無理をし攻撃を続けているに違いないのだ。
一撃一撃、歯を食いしばりながら『足掻け!』『足掻け!』『足掻け!』と、自身に鞭を打ち続けているのが伝わって来る……。
それはかつて、私が森の中で泥の中を這いずり回りながらもドラゴン達と戦い抜いた時と、どこか近しい情景を感じざるを得なかったのだ。
『最後の瞬間まで諦めてなるものか!』と。
『この命が止まらぬ限りは、この足を止めるに足る理由はありはしないのだ!』と。
……そんな思いが、伝わらない訳がなかった──
「…………」
ただ、私は冒険者として、いつだって逃げられる道を残しておき、その為の備えもちゃんとしていた。
そして彼は傭兵として、また戦士として、最初から前に進む以外の道を見ていなかったのだろう……。
私と彼の違いは単純に言えばそれだけなのかもしれないとも思った。
だが、急に『──ばかだろう?』と、エアにそう語り掛け自嘲していた時の彼の顔が思い浮かんできて、切なくなるのである。
……自覚しているのに、どうする事も出来ない辛さと絶望。
そんな絶望的な状況でも、なんとか前を向いて進もうと足掻く必死な姿。
そう言う『生き方』をして尚、輝いて見える彼に、私は不思議と『心』の中が熱くなるのを感じてしまっていた……。
「…………」
──ゴギンッ!!グシャッ!!
戦いは激しさを増していき──『狂戦士』の全力を込めた拳に、エアのパンチが合わさると、まるで二つの金属が高速でぶつかり合ったかの様な金属音が部屋の中にけたたましくも響き渡っている……。
「……ぐっ、がっ」
「…………」
……だがしかし、その結果拳がへし折れ、血がしたたり落ちたのは『狂戦士』の拳の方だけであった。
それも、その衝突の激しさを表すかの様に血しぶきも舞い上がり、エアが着ている白いローブは赤く染まっていくのだ……。
『ポツリポツリ』と、まるでそれは涙の跡の様な血の跡を残して……。
「──ガアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!」
「…………」
──だが、それでも尚『狂戦士』に諦める様子はなく、未だ残るもう一つの拳を用いて全力でエアへと殴り掛かっている。
でも、当然の様にエアはそれにもまた同様にパンチを合わせ、再度部屋の中には大きな金属音がこだまするのであった。
……そして、両の拳が砕けた『狂戦士』は流石に動きを止めると、遂には腕がだらんと垂れ下がるだけになっている。
既にどちらが優勢かなど、最早言うまでもない光景だ……。
『……ポタリポタリ』と、『狂戦士』の腕先からは黒ずんだ血が滴り落ち続けていた……。
「…………」
──すると、彼はその砕けた両手を見つめた後、ゆっくりとエアへと顔を向けるのだった。
それも、その顔は先ほどまでの睨みつける様な険しい表情ではなく、酷く悲しげな微笑みである。
「……じょうちゃん、すまねえ……」
「…………」
「今更だが、こんな戦いに付き合わせちまって……嫌な想いをさせちまってよ……」
「…………」
「……嬢ちゃん達からすれば、恨んでもしかたねえ話だ。俺達はこんな、恩人に対して仇を返すような恥知らずな真似をした……どれだけ恨まれても仕方がねえ……」
「…………」
……すると、彼はいきなり何を思ったのか、突然そんな話をしてきたのだ。
ただ、当然の様にエアはそんな彼に対して怪訝な表情を浮かべている。
『……急に何を?意表を突こうとしているの?』と疑っていそうな表情だ……。
「…………」
「…………」
──だが、そのまま暫く無言が続くと、流石にエアも少しだけ毒気が抜かれたのか、『狂戦士』に対して酷く気の毒そうな表情を浮かべていた。
「……ううん、恨んではないよっ。ただ、わたしもまだまだ諦めるつもりはないから……」
……と、そんな言葉を返している。
ただ、そんな二人の言葉を聞いていると……私は何となくだがそろそろ戦いの決着が近い事を悟ったのだ。
恐らく、それは戦う二人にも伝わっている事だろうが……『狂戦士』においては両手が砕けようとも諦める気が一切ないと言う『意思』がある事を強く感じた。
『遠慮はいらないぞ』と。
『こんなもんで終わるつもりはないんだ』と……。
「……ただ、感謝はしている」
「……うん」
「あんた達は間違いなく恩人だ。……だが、俺も諦めねえ──こんな拳になっちまったが関係ねえ。だからまだまだ付き合って貰うぜ?そんな綺麗な白いローブを、俺の血なんかで汚しちまってすまねえけどよ……」
「…………」
……だが、なんだろう。私はそんな彼の言葉に、また少しだけ『違和感』を感じてしまった──。
「わたしは戦いの中で傷つく事を汚いとは思わないよっ……でも、これ以上無理をすれば、本当にもう──」
「──はっ、当然糞いてえが、もうそれは言わないでくれっ!……それにな、俺の中ではもう『痛み』も『無理』も、諦める理由にはならねえんだよ。こうなった以上は最後まで足掻きぬいてっ、走りぬかなきゃならねえっ!例え、卑怯な手を使う事になってもなっ!──だから、おらあああッ!くらえっ!!こういう手には嬢ちゃんも弱いだろうっ!!」
「ちょっ!?……うわっ!なにっこれ!?『目潰し』のつもりっ?──生憎だけど、わたしは魔法使いだよっ?この位なら風で直ぐに散らせるからっ……」
──すると、『狂戦士』は突然、エアの顔の方へと砕けた拳を振り回し、その『黒い血』を使って『目潰し攻撃?』とも思える様な攻撃をいきなり放って来たのであった。
「……ちっ、くそっ、そう簡単には上手くいかねえか──」
「──当然でしょっ!」
だが、苦肉の策(?)だったのかは分からぬが、『当然そんな幼稚な攻撃には当たらないっ!』とエアもすぐさま反応し、その血は風の魔法で簡単に払われ、エアはその『目潰し』を受けなかったのである──
「──エアッッ!!!」
「──えっ?」
「…………」
──だがしかし、その瞬間私は『とある想像』が頭に浮んで、同時に酷い悪寒が走った。
……そして、自分でも驚く程に声が出て、思わずエアの名を強く叫んでいたのである。
当然、そんな私の声にエアは驚き、顔をこちらへと向けている……。
……だが、その一方で『狂戦士』の方は、またも酷く悲し気な表情を浮かべると──
『──どうして、こうなっちまったんだろうなぁ』と、小さく呟くのであった……。
「──ぐっ!?がっ!?グゥゥゥゥゥぅッ!!!!」
──そして、その途端になんとも皮肉な事だが、エアはいきなり自身の臍の辺りを押さえだすと、急にもがき苦しんで床に崩れ落ちてしまったのだった……。
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