第52話 熱。
『わすれてた』
黒はにさんが私の膝の上で、そう呟く。
ごめんな。気づくのが遅れてしまって。
一つの季節まるまるを寒い雪の下で過ごした様で、黒はにわハウスから出てきた黒はにさんも最初はガタガタと身体を震わせていた。
暫く回復魔法を掛けながら私の膝の上でぬくぬくして、今は漸く話せるまで回復したようである。
因みに、最初に家までずっと抱っこして連れてきた黒はにわハウスの方は、今は私の背中側で私にガシッとしがみ付いていた。一応もう回復はした筈なのだが恐怖体験をした時は人肌が一番落ち着くのだとか。
……前門のはにわに後門のはにわハウス、私は人生でも稀な体験をしている。
『おこってない』
私の謝罪で、黒はにさんは許してくれた。
それに元々本当に怒っては無かったという。逆に助けてくれてありがとうと言っていた。
ほんとは来ようと思えば大樹の中に避難できたのだが、闇の精霊特有のシャイな部分が出てしまって訪ねてこれなかったらしい。私も配慮が足りて無かった。何はともあれ大事がなくて一安心である。
良かったら、今後この様な事が無いように、黒はにさんも黒はにわハウスも大樹の中で生活したらどうかと誘ってみる。他の精霊達も好きに使っているし、部屋の数はまだまだ沢山ある。客間になってしまうがそれでも良ければ。
『いいの?』
もちろんである。使ってない部屋も使って貰えるのなら喜ぶだろうし、もう今回みたいな事が起こらないというのはみんなが安心できる。
『おねがい』
黒はにさんと黒はにわハウスの両方からくねくねとする気配を感じる。喜んでくれるのなら私も嬉しい。
因みに、黒はにわハウスとは兄妹なのかな?あ、違う?別の土地の闇精霊仲間?そうだったのか。いらっしゃい。実りの季節辺りに遊びに来て、一緒に黒はにわハウスで遊んでいたら、気づいた時には雪の中で帰れなくなったと。ふむふむ。同じはにわ好き仲間で黒はにわハウスも一目で気に入り仮初めの身体として黒はにさんにお願いして時々入っていたと。……マフラーありがとう?ああ、あの時お辞儀していたのは君だったか。いやいや、返さなくていい。どうぞ貰ってくれ。うんうん。自分の領域に問題ない時は二人とも好きなだけ居て欲しい。ゆっくりしていきなさい。
『かんしゃ』
客間の一つへと黒はにさんと黒はにわハウスを連れていくと二人は喜んでくれたらしく、仲良く揃ってくねくねしていた。
──雪もほぼ溶けきり、私達は大樹の近くで花を見ながら食事をしていた。
この季節はほんとにのんびりとしてしまう。
暖かい気温に、穏やかな風、気を抜くとふぁーっと直ぐに欠伸が出てしまう。
食休みを挟んでしばらくの事、私は例のごとく敷き物の上に寝転がり、日頃のアンチエイジングに勤しんでいた訳なのだが、今日はエアも最初から私のお腹をまくらにして寝っ転がったまま魔法の練習をしていた。……今日の私は再び白いまくら。
あまりにも気持ちがいいので、練習しながら途中で寝てしまっても良いようにと、エアは思ってそうしたのだろうが、私ぐらいに慣れていないと寝ながら魔法を使うというのは意外に難しい。
なので、案の定上手く魔法を扱えない事に、エアは少し難しいそうな顔をしていて、今はもう寝るどころではなくなっている様子であった。……ふむ。どれどれ。
角に触られるとくしゃみが出てしまうので、それを避けるようにしてエアの頭に手を乗せ、アンチエイジングをしながら私は魔力の状態を探った。
私達の魔法は感覚で使うものだから、意外と繊細で、心理状態は勿論の事、姿勢の変化、特にこんな風に寝っ転がっただけでも微妙に影響が出てしまう。
これはぐうたらな魔法使いは知っているが、真面目な魔法使い程知らなかったりするマル秘だ。意外な所に落とし穴はあるものである。
だが、これも慣れてしまえば直ぐに解決する問題であった。そう対処も難しくはない。
要は視点の違いと言う問題で、立って水平に見えている時と、寝っ転がって見上げている時では、同じ目標を見ていたとしても、単純に距離が変わってズレが起きる。
その他要因が関係する時もあるが、そういう微妙な差があると、ノイズの様に感覚を邪魔してきて、いつも通りに使っているつもりなのに目標までちゃんと魔法が届かなかったりするのだ。
まあ、言ってもそれは微々たる変化で、滅多に役に立つ事ではないが、"虚"に傾倒する魔法使いはこれを利用する者が多かったりするので、知っておいて損はない。
ただ寝っ転がってみる。ものの見方を変えてみる。別の立場に立ち、視点や視野を変えてみる。
たったそれだけで、世界は全く違って見えたりする、というそんな話だった。
ただ、これは地味に『差異』にも通じる考え方ではある。
「わかるか?」
私はエアの頭に手を当て、少しだけその感覚のズレを教えていく。
まだ不慣れな為かその反応はゆっくりとだが、その私の声に反応して、エアは頑張って修正し始めた。
感覚的に見ると、エアはどこか少し熱っぽい。
初めてで中々上手くいかないもどかしさがあるのだろうか?それとも焦りか?
普段のエアらしくない集中の乱れを感じ、私はエアにしては珍しい事もあるものだと少し微笑ましさを感じた。そしてこういう時こそ私がフォローをしっかりしなくてはとも思った。
私は寝っ転がったまま目を閉じているので、エアが今どんな表情をしているのかは分からない。
けれど頭に当ててる手からは、彼女の緊張を凄く感じる。
だから、そんなに強張る必要はないぞと。もっと力を抜いて、私に身を任せて欲しいと。そんな意を込めて、私はエアを安心させるべく頭をぽんぽんした。
『いつも通りにやればエアなら大丈夫だ』と励ましながら、あまり視界に囚われない方が良いかと思い、もう片方の手でエアの目を覆って隠す。
目で見えている情報だけに頼りきる魔法使いは実は危ない。
今のエアの様に視覚情報を乱されたら上手く魔法を使えなくなり、度合いによっては何も出来なくなってしまうからだ。これも地味に普段の生活をしているだけでは中々に気づけない弱点の一つであったりする。
エアも突然視界が塞がった事で「……ひゃうっ」と聞いた事の無い声で驚き、動けなくなってしまった。
彼女が更に強く動揺しているのが分かる。こうなったらもう慣れていない魔法使いは何も出来ない。もはや可愛い小動物と一緒である。
これがもし相手が敵であるならば、後は煮込もうが焼こうがこっちの思いのまま……。
──だがしかし、それは普通の魔法使いであればの話。家のエアはやはり一味違ったらしい。
不思議な声が気になったので私が目を開くと、耳まで真っ赤にしたエアがその瞬間、身体からいきなり魔力をブワッと放出しだしたのである。
もちろんそれはただの自然な反射的な行動だったのだろう。
視界で見えない状態をなんとか魔力で補おうとエアの身体が勝手に行った事のようであった。
……だが、実はそれこそ、これから私が教えようと思っていた事であり、まさか教えるより先にやってしまうとは夢にも思わなかった。さすがエアである。
「わかったようだな」
「……うん」
そう。視覚で頼りにならない時、それを頼らずに済む方法の一つとして、魔力で察知する方法がある。
これは魔法使いとしてはかなり有効な手段であり、他にも各種感覚器官を強化して、音やにおいで察知する方法等もあったりするが、魔力のこの運用方法さえ覚えてしまえば、だいたいはなんとかなる。急に視界を防がれても魔力を出して察知すればなんの問題もない。
魔力を封じられる様な状態だと使えない時もあるが、そのような状態に陥る前になんとかするのが魔法使いの本懐であるので、そこもあまり気にする必要はないと私は判断する。
まあ、もしそうなったらなったで、対処法もちゃんとあるので、エアには後日そちらも教えるつもりだ。
今はとにかく、魔力で察知する事に慣れて貰おうと思う。
私がそう教えると、エアはなんとなく感覚で放出した魔力を操りだした。
ただ、不思議な事に何故か私の身体をおそるおそる魔力でさわりさわりと纏わりついて触って来たが、目標は別に用意してあるので、そっちに魔力を向けて欲しい。……あっちだぞ。あっち。分かってるとは思うが的は私じゃない。私はただの魔法補助付き白いまくらである。
……暫くして、視線に頼らない方法で何とか目標へと魔法を届かせたエアは、ガバっと上体を起こし額に手を当てながら暫くはぽーっとして遠くを見ていた。
そうして、私的には良い一日になったと思ったのだが、その日から数日は何故か私が近づくだけでエアは赤くなって距離をとるようになり、精霊達からは少し離れた所からジトーっとした視線を向けられるようになるのであった。……いったいなにが??
またのお越しをお待ちしております。




