第49話 褒。
「おはようエア。身体はどうだ」
「うんっ、もうへいきっ!」
「そうか。よく頑張ったな。私はエアの元気な姿を見るとほんとうに安心する。今日も魔法の練習をするとは思うが、まだ治りたてだ。今日は根を詰め過ぎず、ほどほどに抑えて練習するんだぞ」
「うん!わかったっ!」
これが、私の今朝の理想の挨拶である。
……だがしかし、現実はこうだった。
「からだは?」
「……うん、だいじょうぶ」
「ごほん。そうか。良かった。……それで、なんだったか。あっ、元気になったな。……それで、なんだ、その……ほどほどにな」
「え……う、うん」
寝起きのエアは少し困惑し、どこか落ち込んだ表情でトボトボと部屋を出て朝食へと向かっていった。
それを部屋から見送る私。背中には冷汗がすーーっと流れ続けている。
エアを褒める為にきた筈なのだが、何故かエアに説教してしまったようなこの空気感。……あれ?おかしいぞ。
私の後ろにいる精霊達の目からはジトーっとした視線が止まらない。
私のポンコツな所が、出てしまったようである。
……この酷さには思わず自分でも驚く。顔を何かで覆い隠したい。
エアが起きた時に、早速褒めてあげようと思い、一晩じっくりと考えてきたのだが、これでは一つも活かせていない。失敗した。
……やはり褒めると言う事は難しく、頭の中に用意した言葉を伝えるだけでも、中々すんなりと思い通りにはいかないものだ。
エアには申し訳ない事をしてしまった。とりあえずは私も朝食へと急いで行き、怒っているわけではない事を普通に説明しよう。善は急げである。
私の背後から聞こえてくるお馴染みの精霊達の深いため息も当然であった。……気を取り直そう。
「うんっ!わかった!もうだいじょうぶっ!」
朝食を待っていたエアに、私は身体の具合が心配だっただけで怒ってはいない事を告げると、エアは『なんだ!そうだったのか!』と言わんばかりに、普段の笑顔で朝食をモリモリと食べ始めた。
良かった。一安心である。
私はとりあえず、朝の事で一つ学んだ。意識し過ぎると良くないのだ。
私も自然体でいないと、元々口下手なのだからどうやったって上手くいきっこない。
頭の中に幾つか褒める為の原稿を用意してはあったのだが、それらは全部一旦忘れる事にする。
……自然体だ自然体。
朝一、一回目の『褒める』は失敗してしまったが、『褒める』事自体を止める事はせず、今後も続けていく所存であった。
まだ諦めるには早い。
これがエアの為になるならば、続けるべき事なのだろう。
ちょっとした躓きはあったが、それ以外はいつも通りの朝の風景である──。
──かと思っていたのだが、どうやら私だけではなく、エアの方にも少し変化があった。
なんと言うのか、今まではご飯を食べる時は隣に居たのだが、今日は向かいの席にエアは座っているのである。
別に座る席位どこでも一緒だろうとは思うのだけど、少しよそよそしさの様な物を感じると言うか、気のせいかもしれないのだが、今までとは少し雰囲気の違いを感じる。
最初はエアに嫌われてしまったのだろうか、とも思ったのだが、真正面から見るエアはいつもの無邪気さでご飯を美味しそうにパクパクしている。……ふむ。ただの思い違いだっただろうか。
時々、目が合うとまだ少し顔に赤みが差していることが分かるので、未だ風邪の影響で身体の調子が戻っていないだけかもしれない……もしかしたら、私に風邪をうつさないようにと、そう思って距離をとっている可能性もある。そうだとしたらなんて賢く、思いやりがあるのだろう。エアは良い子だ。
……よし、ここが好機だ。先ほどは上手くいかなかったが、今度こそ。
「賢く。思いやりがある。良い子だ」
「……えっ??」
『旦那、マジか』『あれ本気でやってんのかな?』『そうじゃない?』『いや、まさか』
私はどうやら心の中では褒めていても、実際には言葉が足りていないようなので、心の中でエアを褒めた時はその部分を抜き出し、それをそのまま声に出す事から始めてみた。
先ほどの経験が活き、今度はスラスラと言葉が出てくる。
あまりにも自然体。発声内容にも問題はない。
だがしかし、私はちょうどその時、果物を齧っている所だった。
……なので、エアからの視点で見ると、私は齧りかけの果物に向かって『賢く。思いやりがある、良い子だ』と話しかけている痛い人物にしか見えないのだった。『……アイタタタタ』
……精霊達よ、お願いだからこちらを見ないでください。エアも食事を続けて。
言った後に、私は自分の状況に気づいたのだ。これでは視線を向ける相手が違うなと。
ただ、私はこの経験から更なる学びを得た。
相手を褒める時は、相手の目をちゃんと見て褒める事にしよう。話す時も大事な事だとは思うが、褒める時にはより必要だと感じた。
褒めると言う行為は多少の恥ずかしさを含んでいる気がするので、つい目を逸らしてしまうかもしれないが、確りと相手を見ないと今の私みたいなことになる。……気を付けていこう。
「だ、だいじょうぶ?」
「ああ。大丈夫だ」
エアから逆に私は心配されてしまった……。
だが、安心して欲しい。変にはなっていない。私は今、一つずつ学びを得ているだけなのだ。
『褒める』と言う分野において、私は今一歩一歩着実に成長しているのである。
だから、いずれ褒めると言う行為が習慣的に出来るように、私は今後も頑張り続けると心に誓った。
『なんて不器用なんだ』と言う精霊達の素直な声が後ろからチクチク刺さって来るが、もう大丈夫だ。
私は気づいた。これは今までの私がやって来た事と同じだと言う事に。
つまりは、これは戦いと一緒なのである。
精霊達は知らないかもしれないが、私は冒険者時代、何をするにも人一倍の時間がかかって来た超不器用者だ。
自慢にもならないが、最初から上手くいった試しがある事等これまで生きてきて、一つたりとてなかった。今でこそ得意と言える魔法だって、最初は人並みでしかなかったのである。
剣だって斧だって弓だって、なんだってとんでもなく時間がかかってきた。
その間、何度も失敗し、他者から呆れられ、怒られ、笑われた事など今に始まった事ではない。
この不自由感に私はもう慣れっこなのである。諦めない。絶対にだ。
伊達に私は歳はとってないのだ。
私を支えてくれる経験は、他の分野においても時にその解決策を導いてくれる。
だから言える。間違いない。この分野はエアに関してなら私は『褒める』が上達できる。そう確信した。
何故その確信が得られるのか。……それは『お料理』の存在が大きい。
あれは何年やっても何十年、何百年やっても全く成長しなかった。
あの分野は正直、意味が分かんない。
だが、それほどダメなものがあると知れる事で、その逆に成長できるものがある時には気付けるようになるのだ。
そうしたら後は、『涓滴岩を穿つ』。
それさえ分かれば、後は一歩一歩、亀の歩みだとしても、進めばいいだけなのである。
だから、私はいずれこの分野を極め、必ずエアを上手に褒める様になるだろう。
……なので、暫くは大目に見てください。
またのお越しをお待ちしております。




