第488話 泥中。
『尾行者』の居場所に『泥』を潜入させ、向こうの様子を探った結果……私はとんでもない話を聞いてしまい、自然とまた溜息を出してしまうのだった。
「はぁ……」
現在、向こうの薄暗い部屋の中には幾人かの男女がいるらしく──それぞれが恐らくこの街の魔術師ギルドや錬金術師ギルドの上役に近しい者達だろうとは思うのだが、まさかこうまで街ぐるみで私の事を『尾行』していたとは思いもしていなかったのである。それもまさか『歩く素材扱い』されているとは……。
ここの街に来たのも偶々通りかかっただけで、雰囲気的にのんびりとしており平和そうな街だと思ったから体を休めていた訳なのだが……全然そうではなかったらしい。
ただ、よくよく冷静になって考えてみれば、あの『尾行者』の魔法が結構大規模な手法であった事から、あれだけの『線』を街中で堂々と張り巡らせて『覗き』をしている時点で、この街の権力者と繋がりが何らかある事などもっと早くに疑うべきだったかもしれないと、今更ながらに思うのだった……。
「…………」
……だが、結果的には現状にそうした少しの驚きは覚えはしたものの、この手の事にはもう『慣れ』てしまっているので、既に私の心は落ち着き始めていた。
まあ、そんな事に『慣れたくはなかった』と言うのが正直な所なのだが、本当に似た様な考えを持つ者は何処にもいるもので、私としては悲しい事に対処に関しては非常に順調である。
──ただ、これまでは魔法使いとしての『私の能力』を国や組織の為に活かせと言われる事ばかりだったので、こうして『素材扱い』される事は大変珍しかった。当然嬉しくない珍しさだが。
でもまあ、どちらにしても『言われて嬉しくない』という部分においてはそこまで大差もないだろう。
聞いていて気分の良くなる類の話ではなかったし、相手の思い通りになりたいとも思えない。思う義理もない。
『多くの人々の幸せの為に……』だなんてセリフも、大義名分としては既に聞き飽きてしまった。
──結局、彼らは彼らの『利』があるからこそその決断をしたと言うだけの話でしかないのだ。それ以上でもそれ以下でもない。
なので、私としても自分の『利』の為──このまま彼らを処させて貰うのも至極当然の話であった。
君達が私を『狩る』つもりでいるならば……私もまた同様に『狩る』だけなのだと。
私に牙を向けてくる相手を、私はみすみす見逃すような真似をしない。
だからこのまま、確りとその芽は摘ませて貰おう──
「……ゆけっ」
──と思ったのだが……現状の私では、やはりどうしても『力不足』が否めなかった為、仕方がなく予定通りに『ジャリジャリ』に処すだけにしたのだった……。
べ、別に、それ以外の選択肢があったのなら、そちらを選んでも良かったのだが……。うむ、なかった。選択肢が無かったのだ。だから仕方なくやるのだ。仕方なく。他意はないのである。
──だから、それそれそれそれっ!
『ぶわっ!?なんだこれは!』
『ぎゃ!!』
『きゃあああ──ばばばばば』
『うげぇ……ぺっぺっ……』
──という訳で、結果的には『覗き』に対しての意趣返しのみを行なって、私はすぐさまこの街から逃げ去る事にしたのであった。
『……ない袖は振れない』ので、今回ばかりはこれだけでお終いである。気まぐれで許しておいてやろう。
それに、嫌な予感もあったので撤退優先である。なので、冒険者としてはこういう時の『引き際の判断』は凄く大事にしなければいけないだろう。内心『教会』に関しても気になる事はまだ色々とあったが、ここで変に拘ったりして長居しては絶対にいけないのだ。
『もう少しいけるか?』と迷った時は、だいたいが既に『逃げ時』である場合も多い。
だから、『引くべきと少しでも思ったならば直ぐに退く』。
そして『退くと決めたら脇目も振らずに一目散に去る』が鉄則なのである。
──まあ、ここでまたそんな冒険者の話を彼らに向けてした所で、何かが変わるのかは正直微妙だとは思うが……
「…………」
……ただ、それでも私としては、私の身体と言う『素材』よりも、こういう『手際』や『教訓』の方を先ずは大事にして、気づき、感じ、見倣って欲しいと思うのであった。
例え、それがどんなに小さくとも、大きなものを見るよりも前に、先ずは身近の小さな『差』から見つめ直して欲しいのだと。
『大きな事にばかり目を向けすぎると、大切な事を見逃してしまうのだ』と。
『近道はないのだ。その『差異』に気づこうとする事にこそ、最初の一歩はあるのだ』と。
……まあ、私は優しくないのでそれを直接言ってあげる様なことはしないけれども──彼らの話を聞いて、私の『心』はそんな事を思わずには居られなかったのだ。
なにしろ、彼らの話にあった魅力的な物は全て、私から手に入れずとも──『魔力』も『永遠に等しい命』も──彼らが『差異』を超えれば、どちらも自然と手に入るものなのである。
だから本当は、誰かを傷つけなくとも、自分達で手に入れられるものなのだ。
それなのに、傷つける事に慣れ過ぎたせいか、彼らは『奪う』性質以外の選択肢を選べなくなってしまっているのである。……私は、それが酷く歪で、悲しい事の様に思えた。
「…………」
……魔法に関わる者でありながら、彼らはその事を忘れてしまったのだろうか?
……それとも、元々教わりもしなかったのだろうか?
だが、どちらにしてもあのままの彼らでは、何かの『素材』を扱った所で、きっと望む物を得る事出来ないだろうと思えた。
『人』の性質に縛られたまま、『領域』を超えようとすらせぬ者に、そもそも先などないのだ。
奪い続け、いくら高く積み上げた所で、やがてそれは足元から崩れ去るのみであろうと……。
だから、彼らにあげられる『素材』も何も無いのである。
『素材』は最初から彼ら自身にあり、それを活かすも殺すも彼ら次第なのだから……。
「…………」
……ただ、今回『泥』を喰らった事によって『これをきっかけに彼らも何か気づきを得てくれたら』と、私はそう思うのであった。
『するな』と言う方が難しい事ではあるのだけれども、時に『技術の進歩』よりも、大事な物は『泥』に隠れている事もあるのだから……。
『防御魔法を貫通し』、彼らの顔面へと張り付いた『泥』に対して慌てふためいている様子の彼らの姿を頭の中で感じ取りながら──私は一人、次の休める場所を探して、またのんびりと歩みを進めていくのであった。
──『人』からしたら、これすらもまた一つ『泥の魔獣』の足跡が刻まれただけなのだと、私自身は気付きもせぬままに……。
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