第484話 拒。
「──あなたはっ!」
私がとある商店の中へと目を向けると、その商店の店主だと思われる男性が嬉々とした顔で私の方を見ていた。……どうやら、その男性商人は私に見覚えがあるらしい。
「…………」
だが、当然の様に私は『無い』と判断したので、その声には反応しないようにこの場を去る事にした。
……危ない。ここで関わってしまったらきっと面倒な事になると、良くない雰囲気を感じたのだ。
なので、巻き込まれるよりも前に早くここを立ち去る必要があると思った私は、すぐさま踵を返すと一歩を踏み出そうとしたのだが──
「──ちょっと、待ってくれ!」
──と、私の後ろからはその男性商人が慌てたように付いて来ようとしているのである。
……いや、来ないで欲しい。切にそう思う。
私は何も知らない。ここに来たのだって偶々だ。
それに店を持つほどの商人ならば忙しい筈だろう。
ならば私なんかに構っている余裕などない。だから放っておいてくれ。頼む。
……とそんな事を考えながら、私は店から距離を離すべく足を進めていた訳なのだけれども、その途中で男性商人に私が着ている白いローブを掴まれてしまった為、引き止められてしまったのである。
「……離して欲しいのだが?」
「待ってくれって言ってるだろうがっ!せめて話だけでもさせてくれっ!そんなに時間はかけない!少しだけで良いんだ!貴方が忙しいのならばほんの少しだけで構わない!だから、たのむっ」
……私が掴まれた服を離して欲しいと告げると、その男性商人はそう懇願してきて『少しでもいいから話をさせて欲しい!』と必死になって叫んで来たのだ。
当然、ここは街中であり、周りには人の目も多く、商店が幾つも並ぶ賑わう通りの近くでもあった為、大勢の人々の視線を集める事となった。周りの者達は私と男性商人のやり取りを遠目に興味深そうな表情で見つめている。
『はぁ……』
──とそんな周りの雰囲気を感じて、悪目立ちをしたくない私としては、自然と心の中でため息が零れる気がした。面倒な事にやはりまた巻き込まれてしまったと言う気持ちと、相も変わらぬこの男性商人の精神力の高さに、私は思わず嘆息したくなってしまうのである。
ただ、私の事を引き止める為に男性商人が『がっしり』と掴んできた『白いローブ』を見ると……私はその瞬間にちょっとした懐かしさも覚えるのであった。
そして、ふと『今日はエアが居なくて良かったな……』と心の中で思いながら彼を見つめると、男性商人もまた『何か』を察したのか、急に『バッ!』と慌てたように私のローブから手を放し、少しだけ周囲をキョロキョロと探し始めるのであった。……私はそんな彼を見て、少しだけ可笑しくなってしまったのである。
「…………」
……だがまあ、そんな懐かしさは感じたものの、それでもやはり私としてはあまり彼とは関わり合いになりたくないと言う気持ちの方が強かった為に、出来る事であればこのまま去りたいと思うのだった。
それに、あれから私も色々とあった訳で──昔はまだ情に流されて仕方なくも彼に手を貸してしまったかもしれないが──今の私はあの時ほど優しくはないので、彼には毅然とした対応をする事にしたのである。
その為、自分の気持ちに素直である為にも私は断固として彼に告げたのだ。
『──嫌だ』と。
──見た所、自らの店を持つほどまでに彼も立派になった訳だし、忙しそうにしていたのだからそちらに『力』を使うべきであろう。私なんぞには気にかける時間が勿体ないのだと、その一言には密かにそんな想いを詰め込んでおいたのだった。
ただ、それを聞いた彼の方はまさか断られると思っていなかったのか、驚いて目を瞠っているのだ。
「……なっ!?こっちには大事な話がっ!た、短時間でもダメなのかっ?」
「ああ。こちらには話す事がほぼ無いのでな」
「だが、少しくらいならばっ!!」
「それでもだ。……『しつこさ』が君の『長所』である事は知っている。だが、私に対してそれは『短所』である事も分かって欲しい。──君のその『力』は他で活かしなさい。活かすべき場所で、活かすべき相手にな」
「…………」
「それに──」
──私は、未だ『それ』を受け取るつもりは無かったのだ。
ここで彼に会ってしまったのも本当に偶々の事で、予想外の事態でしかないのである。
だから、彼が先ほどから私に対して拘っている理由であろう『例の約束の対価』についても、まだ払って貰わなくて構わないと思ったのだった。……言った筈だろう?期限は無いのだと。
それにあの言葉も、最初から何かを受け取るつもりで言った訳では無かったのだ。
ただただ彼の奮起の一助になればと思った。
だから、ここで変に『対価』を受け取ってしまったら、彼の頑張る理由や励みになっているものを損なってしまうのではないかと私は思ったのである。
「…………」
……つい最近、『エア』という大事な存在が、もしかしたら私の元から居なくなってしまうかもしれないと想像し、凄く寂しい想いをしたばかりだったからか──今の私はなんとなく『生きる活力』とも言える大切な存在に、少しだけ敏感になっていたのだった。
だから、目の前の男性商人にとってもそんな『大事な活力』の一つとなっている気がしたそれを、まだまだ彼には持っていて欲しいと私は思ったのだ。……もう数十年は経つ何気ないあの日の出来事を、未だ普通にこうして覚えて居てくれたのだから……『きっとこれで良かったのだ』と、私はそう思うのである。
──そして、彼もその事を何となくだが察してくれたのか、それとも身勝手な私が話を聞く気が無い事知って諦めたのか、そのどちらだったかは分からないけれども……一つ小さな溜息を吐くと、次にはちゃんとした商人としての微笑みを浮かべて、彼は自分のお店へと戻って行ったのであった。
『……未来にて、お越しくださることを心待ちにしています。変な魔法使い様──』と、そんな小さな呟きをそっと残して──。
またのお越しをお待ちしております。




