第481話 甘味。
私は……私の元に近づいて来ている三人へと目を向けた。
──サッ!!
するとだ、おかしな事にとある男だけが私から視線を逸らしてしまったのである。
……おっとっと?レイオスさん?なんでそっぽを向いてしまうんだい?
『……さては君、何かやらかしてしまったな?』と、私は彼の仕草から瞬時に任務失敗を悟ったのであった。
それに本来であれば、ティリアの元へと行き口止めをしてくるだけの筈が、ここにこうしてティリアとエアの二人が一緒に来ている時点で、先ずそれ(失敗)は間違いないと思う。
ただ、向かって来るティリアとエアの表情の深刻さから考えるに、それだけではすまない『なにか』があった事もまた一目瞭然であった。
ではいったい、レイオスはなにをやらかしてしまったと言うのだろうか……。
「…………」
……だが、とりあえずまず真っ先に考えられる失敗としては、既にティリアからエアに対して『子作りの話』がされてしまっていて、口止めが間に合わなかったと言うのが普通に考えられるとは思う。
ただ、もしもそれだけだったとしたら、あそこまで深刻そうな雰囲気にはなっていないとも思うのである。
なにしろその深刻さといったら、後数秒後には私が何らかの叱責を受けそうな雰囲気が『ビシビシ』と伝わって来る程なのだ──。
「ろむっ……」
「エア……?」
「ロム!わたしは貴方を見損ないました。レイオスから聞きましたが貴方、彼に『エアさんとの子は作りたくない』と答えたそうですね!……信じられない。貴方に情はないんですか!表情と一緒に心すら失くしましたか!これほどまで一緒に過ごしてきた言うのに、エアさんがどんな気持ちで貴方を想っているのか!いくら絶望的に鈍感な貴方だとは言え、それに気付かなかったなんて言い訳が通じると──」
「…………」
──すると、そんなティリアの話を聴いている途中で、私は『あー……なるほど……』と、大凡の事情を悟ったのだった。
そして、ティリアのその懐かしくも堅苦しい淑女然とした怒り方が、心底怒っている時のものである事も思い出し、言いようのない冷汗も掻いたのである。
……また、それと同時に、そんな彼女のすぐ傍で、最早私の顔も見れずに私以上の冷汗をかき続けている男の姿も、ちゃんと私の視界には入っていたのであった。
状況は重々に理解できたのである……。
──どうやら彼は、私の想像した以上に、だいぶやらかしてしまったらしい……。
「…………」
……ただ、そんなレイオスの失敗を察した私は、当然怒りなどは覚えなかった。
寧ろ、レイオスでも無理であったならば仕方がないと感じると共に、彼にはまただいぶ大きな重荷を背負わせてしまっていた事に気づいて、今更ながらに凄く申し訳なくなったのである。
──と言うのも、本来の彼は本当に器用な男なので、そんな彼が無理であったと言う事は状況的にほぼほぼ詰んでいた様なものだったのだろうと、容易に私はその時の光景が想像できてしまったのだった。
……つまりは、先ほど私が想像した通り、彼が向かった時には既に『例の話』はティリアからエアへと伝えられた後で、口止めは手遅れだったのだと私は悟ったのである。
ただ、その上で彼は『私の秘密が出来る限りエアへと漏れない様にと気を配りつつ』、これ以上『エアの気持ちが子作りしたい方向に傾かない様にと話を誘導し』、更には『ティリアへ少し遠回りな表現でありながらも、私にはその気が無い事をさり気無く伝えようとしてくれた』のではないかと──そう思ったのであった。
「…………」
……う、うむ、改めて自分で言ってても難だと思うが、私はなんとも無茶な要求を彼に託したものである。ごめんレイオス。
──要は、ここにこうしてティリアとエアがやって来たのも、結果として多少の食い違いがあり、微妙な言葉の受け取り方の違いによってティリア達には『私がエアとは子供を作りたくない』と、そんな薄情な事を想っていると勘違いされてしまった故に、こんな状況になってしまっていると言う訳なのであった。
つまりは、ティリアがあれほどまで本気で怒りを顕わにしているのも……全ては私達を想っての事なのである。
そしてレイオスも同様に、私達へと凄く気を遣ってくれて、想ってくれているが故に、あそこで酷い『胃痛ポジション』に立たされ冷汗を掻きながらも、否定も謝罪もすることなく傍に居てくれていると言う訳なのであった。
……もしも彼があそこでティリアに何か反論しようものなら、その時は『私の秘密』について言及しない訳にもいかない為、彼はああして黙秘する事で『私の秘密』を律儀に守ってくれているのである。本当に、気苦労ばかりかけてすまない。レイオス。
「…………」
私としてはそんな二人に対し今すぐに謝罪したい気持ちでいっぱいになった。
──ただ、同時に目の前で悲しそうにしているエアの姿を見てしまったら、正直な話、私の『心』はエアの方を優先せざるを得ない様な気持ちにはなってしまっている。……泣きそうなエアの表情に私の胸は酷い痛みを覚え、エアの顔から視線が外れなくなったのだ。
悲しませたくなくて、エアにも隠していた『私の秘密』だったのだが……そのせいで本来傷つかなくてもいい筈の三人に嫌な想いをさせてしまった事を思って、罪悪感から酷い頭痛まで感じている。
──そしてその結果、『なんと愚かだったのだろうか』と、私は一人で勝手に酷く落ち込む事になるのであった。
……そりゃ、いくら今の私が思考がいっぱいいっぱいで余裕のない状態だったとしても、流石にこうなる事位は十分に予想できた筈だろうと、自責せざるを得なかったのである。
その上、エアを悲しませたくないと言いながらも、その実本当は『エアが離れていってしまうかもしれない』と言う、そんな思いにかられて恐くなってしまっただけだろうと気づき、自分で凄く恥ずかしくもなった。
──要は、そんな己の愚かさと女々しさがこの事態を招いた事を私は深く自覚したのである……。
そして、その反省から三人には今すぐに頭を下げて心から謝りたくなった。
だが、その為には先ず、しなければいけない事もちゃんと理解していたのだ──
「──『作りたくない』のではなく……本当は『作りたくても、作れない』のだ」
「……え?」
「──?」
「ロム……おまえ」
──と、私は『自分の秘密』に関する誤解を解くために、確りと説明する事から始めようと思ったのだった。
私は素直に『秘密』と『自分の胸の内』を打ち明ける事にしたのである。
……正直、こうなってはもうそれを話す以外にないと思った。
隠し通せる筈も無く、隠していても何も良い事はないだろうからと……。
「だから、ずっと『秘密』にしていて、本当にすまなかった──」
「…………」
「…………」
「…………」
──そうして、洗い浚い事の経緯を話した後には、私は三人に対して深く頭を下げたのだった。
それとレイオスとティリアには、私達に気を遣ってくれた事に対して確りと感謝も伝えたのだ。
……結果的にこんな風な状況になってはしまったが、二人の気持ちは凄く嬉しかったのだと。
それから改めて二人には嫌な役割を背負わせてしまった事に対して、ちゃんと謝りたかった。
……怒ってくれたティリアも、苦労させたレイオスも、本当に重荷を背負わせてしまったと思う。だから凄く申し訳なかったと。
そして、なによりも一番はエアに対して、隠し事をしていた事と、悲しい想いをさせてしまった事について確りと謝りたかった。……それに、その上で私は、自分の『恐れている事とそれに対する想い』も敢えてちゃんとさらけ出す事にしたのである。
──と言うのも、要は秘密にした理由として『いずれエアが自分の子を求めた時に、それを私では叶えてあげられない事』と、『エアが居なくなってしまうのではと考えて、それが怖くなってしまった事』を、素直に白状したのだった。
……正直、それが情けない話だと分かっていたけれども、赤裸々にその想いを語る以外に、私はちゃんとした説明ができる気がしなかったのである。
「…………」
きっと、現状の思考能力が普段よりもかなり低下しているせい、だとは分かっていた。
『領域の調整』と『大運動会』の影響はここでも確り出ているらしい。
……だが、現状は逆にそのおかげか、いつもよりは若干口下手な部分が滑らかになっている気がしないでもなかった。言葉がスムーズに出ている気がしたのである。
ただまあ、厳密に言えば、普段は考えて言うのを躊躇ってしまう様な部分まで──恥を恥だと上手く認識できていないが故に、口走っているだけなのかもしれないのだが……それならそれで良いと今だけは思って話せるだけ話した。
なにより、エア達にも上手く伝わっている感覚があったのだ。
ちゃんと説明が出来ている気もした。
……もしかしたら、私は『普段』から少し考え過ぎている部分もあったのかもしれないとも思う。
「…………」
──でも、当然慣れない事をしていると言う、そんな自覚もまた確りと残っており、色々な要因が重なった結果か……私の頭は痛みを少し通り越して『ポーっ』としてきている感覚があった。……有体に言って、これはもしかしたら『知恵熱』が出てきている様な状態なのかもしれない。
それに、正確な話をするならば、説明が上手く進んでると思っているのは私だけの可能性もあった。これだけ一生懸命話をしても、本当は色々とまとまっていないかもしれない。
……なにしろもう、感情が複雑すぎて、私は自分の『心』が段々と分からなくなってきてもいたのだ。
だが、そんな状態でも一つだけ、気をつけている事はちゃんとあった。
──それは、私にとって『エアに幸せになって欲しい』という想いは口先だけのものではなく、『本心そのもの』である言う事である。
だから無論、『誰に笑っていて欲しいか』を問われれば、まず間違いなく『エアだ』と即答できるし──この想いは既に永久不変の自然の摂理だとも感じているし──もう『私の性質』においては『エアの幸せ』こそが基準になっていると言っても過言ではない程に、それを当たり前の事だと感じてもいるのだと……。
……そんな風な事をずっと喋り続けていたのだ……と思う。
「…………」
──いや、すまない。先ほどは偉そうに『ちゃんと説明出来ている』的な事を言ってしまったかもしれないのだが、やっぱり前言撤回をさせて欲しい。
正直もう、頭が熱くなってからは、自分が今何を話しているのか、私も殆ど分かっていなかった。
ただ、私にとっては大変珍しい事に、感情のまま、熱意だけをエアへと話し続けていたのである。
『心の中』では微小に残った冷静さが、『悲しませてごめん』と、『本当はずっと幸せにしてあげたいのだ』と、そんな事を考えている筈なのに、口から出てくる言葉は全く別の内容なのだから、話している私自身はもう不思議な感覚でしかなかった。
「──エア、愛している」
……ほら?今もまた、私はエアに向かってそんな言葉を口にしていた。
『大樹』へと背をあずけたまま、座った状態で、顔はずっとエアの目だけを真っ直ぐに見つめ……。
近くには、友二人が居る状態で……。
それも少し離れた場所では、精霊達やゴーレムくん達が『大運動会』で普通に鎬を削っている最中での話だった──。
「──わたしも、ロムを愛してるっ」
『……本当に心から好きなのだ。愛しくて堪らないのである』と──。
そんな熱い感情がある事を、この不愛想な顔からは伝わり難いかもしれないが、そんな言葉が勝手に勝手に溢れ出てきてしまったのだ。
──そして、私の愛しい相手もまた、同様の想いを私へと向かって伝え返してくれているのである。
……ただ、既に私は、思考能力低下の極みにあった。
現状はもう、その以外に何も考えられそうになかったのだ。
でも、それを伝えれば伝える程に、エアの瞳が段々と潤みを帯びて行き、雫が零れそうになっている事だけは分かった。
私はそんなエアの姿を見て、『あ……またもエアを悲しませてしまった……』などと、そんな場違いな想像をしていた様な気がする。
……当然、なんでエアが涙ぐんでいるのかを察する『力』すら、今の私には残っていなかった。
──でも、その様な状態でも、エアが私へと近付いて来ている事はちゃんと見えていた。
それも、一歩一歩近づくごとに、エアの『血晶角』が、段々と鮮やかに赤く光っているのを視て、私は魅了されてもいる。……それは凄く凄く綺麗だったのだ。
「……美しい」
そして、私の口からは自然とまた、そんな想いが漏れ出ていた。
エアはあの日よりも、ずっともっと美しくなった。
そして、私はそんなエアを見上げ──エアは大樹に背をあずけて座る私を見下ろしている。
「……ろむ……」
……すると、エアは涙ぐんだままで私の名を呼び──私の顎に両手を添えながら、少しだけ『そっ』と持ち上げると、そのまま自然と私の口へと自分の口を重ねてきたのであった。
「…………」
……正直、いきなりの事で、私は動く隙すら無かったと思う。
「──んっ」
……要は、その瞬間、私はエアに唇を奪われてしまったらしいのだが──熱に浮かされた私の頭は愚かにも『ボーっ』としたまま、為すがままにされる以外、何も出来る事はなかったのである。
奇しくも、出会ったあの日と同様に、私はまたもエアに食べられてしまった様な状態になり、固まってしまったのであった……。
「──っ!?」
「──ッ!!」
──そして、そんなエアの背後では、ティリアとレイオスが、『──サッ』と瞬時にそっぽを向いた様な気もしていた。
……ただ、それを限界にして、私の思考能力は熱が急にスーッと薄れていくような気がしたのである。
そして、後々になって聞いた話なのだが──その時私の頬にはエアの瞳から雫が一つ『ポトリ』と落ちたらしく、まるでその様子は私が泣いているかのように見えたのだとか……。
そんな光景を間近で直視したエア曰く『無表情だったロムが、まるで表情を取り戻したみたいで、凄く綺麗だった』という事らしい……。
──そうして、その翌朝。
結局は、そのまま気を失って眠ってしまったらしい私は、朝から熱が出てしまい、寝床でエアの看病を受ける事になっていた訳なのだが……。
その際に、エアが昨日の事を持ち出してきて『──ちょっとだけ甘かったよ』と凄く無邪気で嬉しそうに微笑みながら言ってきた事によって、一連の恥ずかしさが一気にぶり返し、私は別の意味で凄く胸を痛める事になるのであった──。
またのお越しをお待ちしております。




