第45話 聖。
水が冷たい。
この季節に水浴びするのは大変なので、【浄化魔法】が使えると言うのは凄く便利である。
誰もが桶に少し温めた湯を入れ、布で身体を拭って洗ってはいると思うが、それではハッキリ言って汚れを落とすのにも限度がある。
寒い季節はあまり動かない方が汗も掻かずに良い、などと言われているが、冒険者達はそういう訳にはいかない。毎日寒かろうが暑かろうが、汗だくで走り回っているのだ。
そこで、この季節、活躍するのが浄化を使える者達の存在である。
街には少なからず浄化を使える者達が居て、専門で汚れを落とす為に浄化を使い、その代わりに代金を受け取って生計を立てている者達と、その者達が集まる特別な場所があった。
それが一般的に浄化教会、または教会と言われている場所であり、それを最初に始めたのはトゥオーと言う一人の魔法使いであった。
トゥオーは普通の魔法使いである。能力は平均的な方だが、唯一浄化だけは得意としているそんな男であった。
なぜ、彼が浄化だけを得意としているのかと言えば、それは彼がとにかく綺麗好きだったからだ。
汚いのが嫌。自分が臭いのが嫌。周りが臭いのも嫌。誰かと関わらずに生きて行く事など無理なので、ならば必要最低限、自分の身近な人間達がみんな自分と同じように綺麗好きになってくれれば、世界はもっとましになるんじゃないだろうかと、いつも本気で彼は考えていた。
そこで、トゥオーはある日、綺麗好きの神様がいる事にして、みんなで綺麗好きになろうと言う教えを広めれば、みんなも綺麗好きになってくれるのでは?と思いついた。
架空の綺麗好きの神様が居ることにして、その神さまは綺麗にしている人を大事にし幸福にする。綺麗でいる事を心がける事を善とし、汚れている事を悪としている。だから、幸福になる為にみんなで綺麗好きになりましょうと。その為に浄化を使いましょう。と説いて回ったのである。
そんな教えは最初、当然見向きもされなかった。
だが、トゥオーが説いて回るたびに、周りの人達に浄化を掛けて回って綺麗にしていったので、トゥオーの教えを聞いた周りの人達だけ、他の人達よりも病にかかり難いと言う噂が、次第に流れる様になった。……と言うか、トゥオーが流した。汚いのが心底嫌だったから。
そんな最初は本人発の小さな噂でしかなかったが、人伝に回ればその噂もいつしか誇大な真実へと変わり、段々とトゥオーの教えに賛同する者達が増え始めたのである。
外出から家に帰って来たら、手洗いうがいをするのは勿論のこと、食事をしたら歯を磨く事、便をしたらお尻はちゃんと拭く事、そんな当たり前の事が出来ていない者に出来るように指導していく。
忙しくて、または面倒で、寒い季節のせいで、身体を拭けない者には浄化を掛けていく。
トゥオーのやったことはそれ位だ。
だが、その教えはみんなに、街から街に、国から国に、人伝で遠くどこまでも広がった。
冒険者時代、私はそんなトゥオーに会った事がある。
いや、会ったと言うか一時期、とある場所でかなり付きまとわれ、姿を見かける度に何度も浄化を掛けられた覚えがあった。
その頃はまだ彼は教えを説いて回り始めたばかりで、私がまだ泥の中を這いずるようにして生きるのに必死にだった頃である。
あの時の、彼の目には私は汚物以外の何物にも見えなかっただろう。
他の者には笑顔で教えを説くのに、私には顔を顰めながら無言で浄化を掛けていくのである。
教えが中々上手くいかずに、何度か彼に相談されたこともあった気がしたが、あの時私はいったいなんて答えただろうか。……もうすっかり忘れてしまった。
ただ、その度に彼は自分の手帳の様な物に書き込みをし、それを後生大事に持ち歩いていた気がする。
それから暫くは会わなかったが、彼の晩年に近い年、街に寄った際偶々再会を果たして、彼は私に話しかけてきた。
そして、自分の事や浄化教会の事、それに汚かった頃の私の事が他の者への教えをする時にとても役立った事等、時間が許す限り彼は私に語ってきた。
私はその話があまりに長いので途中で何度も眠りかけたが、その度に何度も浄化で起こされた。
最終的に、日暮れまでたっぷりと話せて彼は満足したのか、スッキリしたまま帰ろうとしていたので、別れ際、最後は私が彼に浄化を掛けてやったら、彼は心底驚いた顔をした後、凄く嬉しそうに笑っていた。
最後の時、自分は白い綺麗な家で、綺麗な嫁さんに見送られて逝くのが夢だと。最後まで綺麗好きなままで彼は去って行った。
──そんな、数百年は昔の話を、私は昨日と変わらぬ部屋でエアに話聞かせている。
朝食後に冒険者時代の話をせがまれ、浄化を使った直後だったということもあり、頭に浮かんだのが丁度その話だったからであった。
後年、トゥオーは浄化教会で聖人認定されていて、今ではどこの国にも広まっているその教会の中、神に次ぐ有名人として人々にはその名を知られている。
『彼はあまねく全ての者達を笑顔で癒し、悩める全ての者達を教え導き救う存在。偉大なる神から聖なる御心を受け継ぎしただ一人の聖人である!』のだとか。
……嘘である。あいつは汚いやつには顔を顰めて無言で浄化を掛けるし、あいつの教えは自分で流した根も葉もない噂が発端である。それに、その偉大な神とやらは聖人本人から『うん。架空の神、作っちった』と言う言葉を、私はこの耳でしっかりと聞いた。
あいつは、彼は、ただの綺麗好きな普通の男で、浄化が得意なだけの魔法使いなのである。
ただまあ、そんな事を態々指摘して、彼の事を貶めようなどとは、私は全く思わなかった。
だが、一つだけ気に食わない事があるとするならば、彼の人気の説法の中に、『"泥の魔獣"を浄化で改心させた話』と言うのが、あるのだけれど……。
……これは?誰が"泥の魔獣"?もしかしてその魔獣、人型してない?髪白銀?耳長くない?
まさか私の事、じゃないよな……???
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