第443話 激情。
私が巨大な樹木の魔獣に対して声を掛けていると、眼下にある瓦礫の中からは一人の男性の空を裂くかの様な慟哭が聞こえて来た。
私はその叫び声に驚き、顔を向け──そして、その相手がまたも自分の見知っている相手であった事に深い悲しみを覚えた。
……それに、その男性が足場にしている瓦礫も、元は私のよく知る場所であった事に遅ればせながらも気づいたのだ。
「…………」
そこには、立派な『道場』があった……。
気の良い道場主と、あたたかなお母さん方、そしてかつての冒険者仲間の面影を感じさせる賑やかな面々が居た場所であった筈だ。……エアと一緒に通った場所だった。
ただ、そんな思い出の場所は、既に跡地と呼べる程にまで崩壊してしまっていた。
そして、その場所の中心では、瓦礫を掻き分けてただ一人這い出てきたであろうその『道場青年』が、涙ながらに声をあげて空を──そしてその先に居る巨大な魔獣を、見た事もない形相で睨みつけていたのである。
私は遠目に、彼の口が何度も同じ言葉を連ねている様子を空から視ていた。
……彼の口からはずっと、呪詛の様に『許さないッ』と、ただその一言だけが繰り返されている。
その一言はきっと、今の彼の心、その全てを物語っていた。
彼自身の悲しみも、怒りも、その足元の下に眠っているであろう家族達の無念も、その全てを背負って……。
彼は睨みつけ、そして巨木の方へと向かって歩き出したのだ。
火炎に燃え、瓦礫から這い出て来る時に少し引っ掛けたのか、少しだけ焦げ破れかけた道着を着たまま……。
かつて、私が彼に作った手製のそれを、未だに愛用してくれていたらしい青年は、自分の着衣の乱れもそのままに、一歩一歩、ただただ樹木の魔獣を見据えて相手を倒す事だけを考えている……。
「…………」
……彼は、あれからまただいぶ強くなったのだろう。
私は、こんな切迫した状況であるにも関わらず、場違いにも何故か不思議とそんな事を想ってしまっていた。
元々彼に才能があった事は知っていたとは言え、樹木の魔獣が先ほど使った魔法はかなりの威力があった筈である。
だが、街が一瞬で崩壊してしまう程のあの魔法の範囲内に居たにも関わらず、彼自身は全くの無傷で問題なさそうに歩いているのだ。……つまりは、あれを受けても彼は怪我一つ負わない程にまで強くなったと言う事なのである。
だから、そんな彼の姿を視て、私は思わずその成長を喜ばしく感じてしまった部分が、内心あった。
それだけの魔法に対する防御力を備えるまでに彼は成長したと言う事なのである。
それが、いったい誰を相手に想定してそこまで鍛えたのか、それを察してしまった瞬間に私が多少なりとも喜びを覚えてしまったのは、愚かな事なのだろうか。
少しだけ乱れた着衣から覗く彼の肢体は、以前とは比べるべくもない程の強靭さを備えている様に私には視える。
──巨大な魔獣へと立ち向かおうとするその姿に私は、一人の武人の、努力と才能の結晶と雄々しさを感じたのであった。
「…………」
……だがしかし、そんな彼は今や、この街の数少ない生存者であり、この街の誇り高き『金石』冒険者であり、家族の仇を討とうとする復讐者でもあった。
ただ、そんな彼が倒そうとしている者は、私が先ほどからどうにか救えないかと思案し模索していた相手でもある。
……見た目は確かに、完全に巨大な樹木の魔獣と言える姿をしているけれども、動きを止めた今の彼女には元の意思と心が残っていると私は感じているのだ。
『どちらの方を助けたいのか』と、もしそう尋ねられたのであれば、当然『どちらも助けたい』と思える二人だった。
当然、樹木の魔獣が行った事は私も理解もしている。彼女によってどれだけ多くの者達が傷つき命を失ったのかも。『ダンジョン都市』と言う場所が一瞬にして崩壊に至ってしまった事もだ。
だが、それを彼女が望んで行ったとは私にはどうしても思えなかったのである……。
「…………」
私の感覚は、そう判断した。
そして魔法使いとしては、その感覚を信じるのみであった。
先ほどからずっと動きを止めている彼女の事を、私は信じたいと思ったのだ。
幾ら姿が変化しようとも、彼女は彼女なのだと。
その姿は私の知るものとはだいぶ変わってしまったけれど、そこにはちゃんと心があるのだと。
例え、他の誰が信じなくとも、私は私の知る彼女を信じたいと思ったのである。
「──ウオオオオオオオオオオオオオオーーーーッ!!」
……だが、それは私だけが抱ける気持ちだ。
復讐者の顔をしている『道場青年』にとっては、私のその想いは一部理解できるかもしれないが、到底受け入れられるものではないだろう事も分かっている……。
彼の歩みは途中から段々と駆け足になり、助走をつけ一気に加速すると、肉体の魔力を高めてその身体強度を上げ、止まったまま動かぬ巨木の丁度中心となる腹の部分に飛び込み、全力の拳を叩きつけたのであった。
──それも彼は、拳を樹木に当てる瞬間、一瞬だけ空中に魔力で自分の足場の様な物を形成すると、その特殊な踏み場を用いて、上半身の力だけではなく下半身も含めて全身の力を余すことなく拳に乗せ、魔力と共に強烈な一撃を放ったのだった。
すると、その衝撃は一部巨木の身体を突き抜け、衝撃は拳大の貫通力を伴い──『ズドンッ!』と言う重い音を響かせながら、巨木に穴を穿ったのだ。
「…………」
……それは私が視てきた中で、人が拳を用いて放った技の中では、最も威力がある攻撃だと感じる程に素晴らしいものだった。
だが当然の様に、それは人の肉体内にある魔力操作のみで出していい威力ではなかったのである。
──なにしろ、今の一撃の威力は人の限界とも呼べる『領域』を超えた先にある衝撃であり、『無理』を通したが故の結果でもあった。
当然の如く、そのリスクは彼の肉体へと返って来る……。
「ぐぐうっ──ッ!!」
ただ、その拳にはそれだけの想いがこもっていたのだ。
……怒りや悲しみ、そして多くの人々の想いが、彼の拳には乗り移っていたのかもしれない。
そう思えるほどの全力であり、その拳はそれほどまでに重いものだった。
……だがその代わりに、彼の鍛え上げられた強靭な肉体もまた、その想いを全て受け止めるには些か『器』が不足していたらしく──。
──彼の身体はその一撃を放った瞬間から、いきなり『ブチッブチッ』と言う、まるで太い綱が引き千切れるかの様な痛ましい音を響かせ始めたのである。
「…………」
──だがしかし、彼はその痛みと音で多少なりとも顔を歪めはしたものの、その勢いは未だ変わらず、その状態のままで更なる追撃を放ち始めたのであった。
……彼の心とその想いは、『たった一撃で終わらす訳にはいかない』とばかりに、止まる事を知らない。
その身体が動けなくなるまで、その心が止まってしまうその最後の時まで、彼はひたすらに動き続けた。
その頃にはきっともう、既に彼は己の未来を見ていなかったのだろう……。
その瞬間、彼は己の全てを費やすつもりだったのだ。
激情のまま、目の前の魔獣を倒せるのであれば、もう他には何もいらないと──彼のその拳は幹を何度も撃ち抜き穴を穿ち、蹴り足はまるで巨大な鉞かの様に鋭く巨木を抉り続けた。
「…………」
……だがしかし、幾ら撃ち抜き、どれほど抉り削ろうとも、巨木は揺ぎ無くそこにあった。
確かに穴は穿たれ、幹は多少削られた訳だが、樹木の魔獣は動きを止めたまま、変わらず私の事を視ていたのである。
彼がどれほどの想いを込めてその全てを費やしても、巨木を倒すまでには至らなかったのだ。
そして、それは本人にも痛い程分かっていたのか、途中からの彼の様子には悔しさが滲んでいる様にも視えた。
それに当然の如く、彼がやっているその『無理』も、長くは続かなかったのである……。
「…………」
──そうして結局は、数分後には一切動けなくなり空中の足場も維持できなくなると、彼は儚くも空から地面へと向かって落下してしまったのだった……。
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