第435話 相違。
「おそい……」
傷ついた友ティリアの治療を終えて私が少し考えごとをしていると、気づいた時には彼女はもう目を覚ましていた。
それもティリアは、不思議と無言のまま私の事を『ジッ』と見つめていたのである。
そして、その視線に私が気づいた事を察すると、彼女は直ぐにプイっと横を向いて、そんな一言を私に向けたのだった。
「…………」
……そんな彼女の言葉と仕草を、私は不快に思ったりする事はなかった。
寧ろ慣れたものである。
ただ、それにより私の心に急に浮かんできたのは、強い懐古であったと思う。
今の私には、目の前で顔を背けるティリアがとても懐かしく見えた。
それも、幼き時分の彼女の姿に重なって見えていたのである。
特に、ティリアは昔から私に対して色々と無茶な要求をして来る事がとても多かった。
『わたしの事はお姫様の様に扱う様に!』とか、『他の女の子とはあまり会話をしないで!』とか。
そして、『なんでそんな事をしなければいけないのか分からなかった当時の私にとって』、当然その要求は受け入れられるものではなく、その度に私達は縺れ合い、最終的にはいつも一方的にティリアが怒りを浮かべては捲し立てて喧嘩になって、追いかけっこへと発展していたのである。
私の心の中ではそんな昔の光景が思い浮かび、思わず『……懐かしい』と想ってしまった。
……あの頃は、その追いかけっこで何度も捕まってはボコボコにされたものだが、今となってはそんな事ですらも良い思い出の一つの様に錯覚しかけてしまう。
そして、今のティリアの雰囲気は、まさにあの頃のそれに近いように感じたのであった。
──そう。だから今、私に向けて言って来た『おそい……』と言う発言然り、この後に続く言葉ももしかしたら何かしらの理不尽を伴う要求である可能性が高い事を、私はなんとなくだが予想できてしまったのである。
……そもそも、彼女は私の何を指して『おそい……』と言って来ているのだろうか。
いや、当然の事ながら、友二人がこうなるまで気づく事が出来なかった私は、遅きに失した感しかない。それは事実だ。……だが、恐らくではあるけれども、この場合、彼女が言っている内容はその事から少し離れた意味合いを含んでいる様に私には感じられたのである。
何しろ、この雰囲気を放つ時の彼女は、本当に難解だ。
『女心を知らないからだ』と言われてしまえばそこまでなのかもしれないが、それにしたって私に理解できる範疇を大きく超えた所に彼女の論点はいつもあって、その度に私は──
「──ロム、なんでもっと早くに迎えにこないの?……ずっと来てくれるのを待って居たのに」
──この様に、私はいつも、彼女のそう言う発言に頭を悩ます事になるのであった。
「…………」
子供の頃から、こういう時の淑女達との会話は本当に難しいとよくよく感じる。
『なんでそうなるのだ?』と。『そんな話をしていたか?』と、そう問い返したくなる事もしばしばあった。
相手の気持ちを慮るにしても、いきなりこうも話が飛躍したり、突如として新しい話が始まったり、一瞬で全然別の内容に変わったりすると、不器用な私としてはその難解さからついて行く事が全然出来なくなって、凄く困った覚えが幾度もあったのだ。
こんなに歳を重ねた今でさえも、未だに上手く理解できてはいないのだから、当時は今以上に、子供心ながらどうしてこんなにも淑女達の相手と言うのは難しいのだろうかと、深淵を覗くが如く感じたものである。
──特に、ティリアはそれが尚更顕著であった。
彼女との話は、学べる教訓も沢山あったけれども、同時に頭を悩ませる事柄もまた沢山あったのだ。
それも私が『良かれ』と思ってやったことでも、逆に彼女にとっては『不愉快』でしかなかった事なんて、それこそ数えきれない位あったし、私が『こうしたい』と思う事は、いつだって彼女の『して欲しくない』と思う事とかぶってばかりであった。
だから、そうしていつも私とティリアはすれ違いばかりで、反発し合う事も多く……。
でも、だからこそ一緒に居て楽しいと思える『友』と言う間柄だったのだ。
それに、彼女とそう言う間柄だったのは、何も私だけの話ではない。
『里』の同世代の男達はだいたい皆こんな感じであった。
……違うのは、ただ一人だけ。レイオスだけが、唯一いつも彼女の隣に居て、並ぶに相応しい立ち振る舞いをしていた様に私は思う。
周りから見て、あの二人は特別だった。いつも仲が良く。見ていて心が落ち着く程に。一緒に居ないとそれこそ違和感すらあった。
あの二人は、幼馴染達の先頭をいつも二人で引っ張って走ってくれていたリーダー的な存在だったのである。
私も周りの仲間達と一緒に、いつも二人の後ろ姿をずっと見て来た。
だから当然、仲間達と一緒に私も、自然と想っていたのである。
ティリアと、レイオスこそが『お似合いの二人』なのだと──。
だから昔も今も、私の想いはずっとそのまま変わらなかった。
──なので私はその影響もあってか、これまでティリアの事を、そう言う目で見た事がほぼほぼ無かったのだ。
だから、彼女の方から私に対して『友』以上の感情がある様な事を匂わしてくるなんて、考えた事もなかったのである……。
「……なんでもっと早くに助けに来てくれなかったの?そんなにあの子の事が大事?もうわたし達の事なんかどうでもいいの?」
「…………」
──こちらから顔を背けて横向きに涙を流すティリアのそんな姿を見るまで、私は『その想い』に全く気付けていなかったのだった……。
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