第43話 秘跡。
「ねっくっと!ねっくっと!」
エアのネクトコールが止まらない。
身体は小さく左右に揺れてリズムに乗っているのも分かる。凄く嬉しそうだ。
今私たちは、秘跡産果物『ネクト』を手に入れるべく、森の中を歩いている真っ最中である。
これほどエアのテンションが高いのも、それだけ今日のネクト狩りには期待していると言う事であろう。沢山実っていてくれればいいと私も思う。
実を言うならば、もう少し期間を空けて遅らせて来たほうが沢山実るとは思う。
ただまあ、期間的に取れないわけでもないし、エアのご希望でもあるので、今回は出来るだけ沢山のネクトを手に入れてエアを喜ばせてあげたいと思った。
着くまでにはそこそこの距離もあるので、丁度いいかと思い、私は森を歩きながら秘跡についてエアに語り始めた。
秘跡産果物とは良く言っているが、そもそも秘跡とは何なのかと言うお話である。冒険者になるエアも是非覚えておいて欲しい話だ。
そもそも秘跡とは、ここではない何処かで実際に存在した場所。その遺跡が元となっていると言われている。
そして、その経緯は不明だが遺跡となった場所に何らかの理由で淀みが溜まり続け、ある一定を超えた時に、秘跡は発生するのだそうだ。
秘跡が発生すると、その場所への物理的な移動は一切閉じられ、秘跡は空間的にも切り取られたような状態になる。つまりは、秘跡と言う一個の不思議な別空間が世界に出来たわけだ。
そうなると秘跡は更なる淀みを貯める為に、元あった場所とは全く関係ない場所へと新たなる入口を移し、そこで周辺の魔素を吸収して、中に財宝だったり珍しい果物だったりを発生させては、それを餌に持っていこうとする者達を狙って罠にかけて襲い、『石持』に変える事で更に沢山の淀みを生み出していくのだと言う。
「んー?あれ、それって……」
私の説明の途中でエアも気づいたみたいだが、実は秘跡とはダンジョンと同じ様な働きをする。
いや、正確にはダンジョンが幾つも階層を持つ前の姿、と言った方が正しいかもしれない。
一般的には『一階層ダンジョン』と呼ばれる場所、それこそが秘跡なのであった。
ただ、秘跡との遭遇はとても希少で、ダンジョンを見つけるよりも価値がある。
一度秘跡とまでなった場所の淀みの溜まりは、それこそあっと言う間に広がり、普通は次の階層を発生させるまでに数日しか猶予がないと聞く。要は秘跡というのは大体がまだ誰にも手を付けられていない状態で、そこには新品の宝物がそのままであると言う事。
更に大体の秘跡は生まれたばかりのダンジョンと言う事なので、難易度がかなりお察しなのである。
ただ、そもそも元の場所とは空間的に切り離されてしまってどこに新しい入口が出るか分からない為に、その発見はとても困難であるし、大体秘跡の入口は最初は見つけにくい状態になっていることが殆どなので、まず普通は見つからない。
そうして見つからないまま、密かに階層を増やしていき、ダンジョンとして成長して淀みを溜めながら辺りにも撒き散らす様になる事で、漸くその存在が明らかになるのである。
私が、その秘跡に気付いたのもほんとただの偶然で、ただ森を歩いてたら、不思議で小さな赤い水溜まりがあって、怪しいなと思って近づいたのが最初である。こんな広大な森からそんな小さな水溜まりを探すなど、いくら水の色が赤くて多少は分かり易くなっていたとしても、普通は探そうとは思わないだろう。
私も最初、動物同士の争いでどちらかが怪我をした時の血なのかと思って近づいた位で、見た目は殆ど変わらず、近づくまではその存在の怪しさに全く気が付かなかった。
たた、近づいた時に少しだけ『ん?』と感じ、暫くジーっと見つめていても何も攻撃してこなかったので、更に近寄ってみて、それが血液の類ではない事を間近で見て確認し、とりあえずは木の棒で突いてスライムと言う軟体動物の擬態なんじゃないかと調べて見たり、試しに水を掛けてみたり、風をあててみたり、周りの土で覆ってみたり、火の扱いに細心の注意を払いながら炙ってみたりもした。
結果、そのどれも反応が薄かったので、最後に食べ物は食うのかどうか調べるの為に、もっていた果物を二、三個程、ぽとぽとと乗せてやると、ゆっくりと果物が沈み始めたので、『おー、食ってる』なんて思って感動しながら、果物を全部飲み込まれたのを確認して、私もその中に入ったのである。
まあ調べている最中、ほぼ秘跡なんじゃないのかと、半信半疑のまま疑いながらやっていたので、自分で入って行く事自体には危険性をそこまで感じなかった。
だが、ダンジョンに入った事はあるが、如何せんその赤い水溜まりが小さくて、入れるのか不安だった記憶がある。
私一人がギリギリ立てる分の大きさしかないダンジョンの入口ともなると、流石に見た事がなかったのだ。
だから、私が色々とやっていたのも、ほんとに入れるのかを知る為にしょうがなくやっていた事で、決して遊んでいたわけではない。まじめだ。
「ほんとだ!あかーい!」
「これがその秘跡の入口だ」
今ではその赤い入口もだいぶ成長したのか、私が十人横並びで入っていける程には大きくなった。
しばらく前からこの大きさのままなので、これがもう最大なのかもしれない。
今まではどれほど大きくなるのか定かではなかったので囲いしか作っていなかったが、今度ここにも家を建てて良いかもしれないと私は思った。
まあとりあえず、今日はこのままネクト狩りが優先である。
私はエアを背に、先に赤い水溜まりの中へと足を踏み入れていく。
エアは少し入る事に戸惑い気味だったが、私が手を差し出すとそれに条件反射で手を乗せてきて、私達は一緒に入って行った。
……今でこそ慣れたが、入った当初は、私も少しだけ後悔した。
その時の私はまだ、秘跡と言うのがどういった性質を持つのかそこまで詳しくなかったので、こうなるとは全く予想できていなかったのである。
そうと言うのも、私が見つけた時、この秘跡はまだほんとに発生して間もなかったらしく、言ってみれば秘跡の赤ちゃんみたいな状態だったらしい。この先は秘跡ベイビーと呼んで行こうか。
それで、その発生したての秘跡ベイビーと言うのは、入口周囲の環境に強く影響を受けて、それに適した成長を考えてするみたいで、そこで発生する宝や恵みもその影響によりかなり左右されるのだとか。
分かり易く言うと、鉱山近くなら、秘跡ベイビーの中も鉱山洞窟の中と一緒の作りになり、発生するお宝は希少な金属だったりするのだそうだ。他にも、人の多くいる街の近くならそこも街中みたくなり、お宝は金銀財宝になる。海辺なら海岸線で珍しい海産物、森ならそのまま森の中で珍しい木の実や果物、みたいな感じになるのである。
そして、その希少さは周囲環境の魔素の濃さや淀みの量、刺激の過多によって、その変化の度合いは大きくと変わって来るのだとか。
要はこの秘跡ベイビー、最初私が木の棒を接触させたことにより……、『あー、この辺は森で、この様な木がいっぱい生えている場所なんだな。じゃあ木を増やそう』となり、水を掛けた事で、『あー、この辺は雨が良く降る場所なんだな、それも結構雨量が多めらしい。じゃあ雨を降らさなきゃ』となって、風をあてて『あー、この辺は強風なのか。じゃあ雨と風が一緒に続いて、良く嵐が起こる様な場所なのかもしれない。うんきっとそうだ』土で『あー、これだけの風雨があればそりゃ石や土の塊だって巻き上がって降って来るよね。落石も追加しなきゃね』火で『あー、そっかこれだけの嵐が渦巻く環境なんだ、当然雷もあるよね。そして、これだけの嵐なら雷も良く落ちるだろうし、こんな雷雨の中でも周りの木は燃えて辺りは火で溢れているのかも。もう周りの魔素も濃いし、ここは凄い場所だな。もしかしたら火がそのまま降ってる状況なのかもしれないよね。よっし、もう考えるのも面倒だし、いいや!全部降って来ることにしよ!』
となったわけで、最後に果物が入ってきて……『あー、こんな激しい環境でも、確りと立派に果物は成長しているんだなー。きっと美味しくて特別な果物なんだろう。うん。じゃあここは特に珍しい果物が生産して、それをここのお宝にして、大事に大事に育てていこう』と、なったのだと思われる。
──ピシャンドゴン!グゴゴゴゴ!ボアッ!ブオオオオオ!ドギャアアアアアアアンッ!!
「…………ぽけー」
おお。久々に見たなエアのぽけー状態。
まあ今回はそういう顔になった理由が私にも少しはわかる。
きっとエアは、もっと穏やかな場所を想像していたのだろう。
秘跡ベイビーが生まれたばかりのダンジョンと聞けば、その難易度もお察しで優しいものだと普通は思うからだ。
だがしかし、実際私達の目の前にある風景は、そこそこの地獄絵図であった。
強烈な横殴りの雨と風、それに紛れる様に降り注いでくる鋭利な岩の塊と一瞬で聴覚を奪うとんでもない数の雷、辺りの木々を根こそぎ炎に包んでいく地を這う様な火炎放射が縦横無尽に駆け巡る空間。中々に極まっていると言える。
そんなわけで、今私達はネクトがある秘跡の中、そんな地獄絵図の中にへと入ってきた。
この秘跡は恐らく、この世の秘跡の中で、最も人や獣の寄り付かない超危険地帯へと変化してしまっている。
大凡人が住める環境ではなく、そもそも入った瞬間に死にかねないレベルで、全方位から水風土火、それに雷までが襲いかかって来るのである。
その激しさは言うに及ばず避ける事叶わず、辺りにある木々はそんな必殺の嵐の中でも消える事なく雄々しく燃え続けていた。
燃え尽きて木が灰になると、その数秒後にはまた生えてくると言う驚くべき成長速度。
だが、それもまた降って来た火炎や雷で次々と燃えていく……とまあ、ここはそんな環境であった。
一応、魔法が使える者が防御を固めれば平気なのだが、平均的な者だと全力で努めてもどれほど持ち堪えられるだろうか。魔法使いと言えるレベルになって漸く歩くことができる感じである。
因みに、私や精霊達は時々来るのでもう慣れっこだった。
今もエアの周辺を含めて、私は薄い透明な膜でそれら全てを弾きながら歩いている。
恐らくは元々の遺跡の名残なのだろうが、少し遠くには立派なお城だったものが見えるけれど、今となってはその形は見るも無残なものとなってしまった。ボロボロである。
私がそんな風に説明しながら歩いている間。エアは私の白いローブに何故か必死にしがみ付きながら目を大きく見開いて辺りをキョロキョロとしていた。
確かに毎秒で直撃すれば致死しかけるレベルの魔法を浴びている様なものなのだから、怖くなるのも仕方がないだろう。
だがまあ、あくまでも"直撃すれば"の話なので、当たらなければどうと言う事もない。それにこのくらいならば冒険者ならまだ楽な部類だ。
エアも慣れれば歌を歌いながら行き来できるようになるだろう。そういう意味でも、今回のネクト狩りはエアにとってもいい経験になったと思う。
話によく出る羽トカゲどもは、このレベルの魔法を使いながら、更にこれを超えてブレスも吐き、尚且つあの巨体で襲い掛かって来るからな。ほんとうに。たまったものじゃない。イライラする。
それほど長い距離ではなかったが、私達が歩いていくと、少し斜面になって小高い丘の様な場所が出てきた。
ここが目的のネクトが収穫できる特殊な木々ゾーンである。
辺りには十本ほどの木に、そこそこの実がなっているのが見えた。あれがネクトである。そこそこの数があるように見えるので、これにはエアもにっこりと喜んでくれる事だろう。
……だが、そう思ってエアの顔を見てみると、エアは未だにポケ―状態から抜けていなかったようで、少し遠い目をしていた。
ふむ。感動していると見た。
それなら私が収穫してきてしまっても良いかなと思い。私は魔法でどんどんネクトを収穫していく。
同時に、私はいつも通りに木の一本一本に『またいっぱい実ってくれ』と想いを込めながら、目一杯魔力を込めていった。これで幾分かはネクトの成長も早まる筈である。
因みに、ここの秘跡は淀みを吸収する事を止めてしまったらしい。
ダンジョンへと成長しなくてもいいのだろうか?と思うが、そもそも生き物があまり近づかない上に弱い『石持』が発生したところでこの環境では直ぐに消滅してしまうだろうから、ダンジョンになる為のいい方法があまりないのかもしれないけれど……。
秘跡の維持自体はこの辺りの魔素の濃さがあれば十分な上に、時々こうして私が収穫に来た時には目一杯魔力を注入しているので平気らしい。時々多めに魔力を込めると『あっ、もう十分です』と不思議な感覚が伝わってくる時がある。今後も頑張って美味しい果物を育てて欲しいものだ。また次もよろしく頼む。
外敵となる鳥などの動物もいないからか、ここのネクトはいつもキラキラと輝いて凄く美味しい。
恐らく世界で最も美味しいネクトなんじゃないだろうか。
まあ、ここ以外で採れる場所があるのかは分からないけれど、エアの大好物になるのも納得であった。
「これがぼうけんしゃっ!もっとがんばらなきゃっ!ぜんぜんたりない!もっと!もっと!」
帰り際、秘跡から出てきてポケ―状態が少し治ったエアは、こぶしを握り締めて何かを呟いて気合を入れていた。
ふむ。今回は少しだけ冒険者ごっこみたいなものをしたわけだが、ちょっとは楽しんで貰えたのだろう。
……その後何故かネクトを食べる時にだけ、エアは前の様に齧り付いて食べなくなり、暫くジーっと見つめたかと思うと、どこか噛み締める様に確り味わうようになった。元気いっぱい食べる姿が見られなくなるのは残念だが、これも成長かと思うと感慨深くなる。
精神的にも確かに成長している様で、そんなエアの成長を見られて、私も嬉しく思うのだった。
またのお越しをお待ちしております。




