第422話 『泥』。
かつて、私はとある『聖人』から不名誉な『名』を頂いた事がある。
その名は、古き冒険者時代、私が年がら年中それに塗れていた事から始まった。
昔、まだ私の魔法がそれほどまで達者であるとは言えなかった時分、今の様に直接的な攻撃に魔法を使ってもそれほど効果が望めなかった為、使う魔法の大部分は相手の行動を妨害するのに使う事が殆どだったのだ。
そして、自然の中に常に身を潜めていた私にとって、無駄に出来ない魔力を最も有効的に扱えるのが『水』と『土』であり、その二つは這いずる私にとって最も大きな戦力であった。
それこそ、その二つより生み出された『泥』には、私は何度命を救われたか分からない。
絶妙に性質を変化させる事によって、『泥』は如何様にも変化してくれる。
それが例え、たった数センチ積み重なっただけの『泥』であったとしても、それに一度足を掬われてしまえば生き物は簡単に転倒するのだ。……私はこれまでずっと、その隙を突く事によって生き残れて来れたのだと言っても過言ではないだろう。
時に厚みを、時に性質を変えて、自分自身すらもその『泥』の中に混じって敵の目を欺き、私と言う魔法使いは森の中で多くの敵と戦い、そして生き抜いて来たのである。……なんともかっこのつかない話ではあるが、その実績の高さだけは折り紙付きであった。
ただ、最近ではそんな魔法も使う機会が殆ど無くなり久しくしていた。なので、その有用さを私も少し忘れかけていたのだが、この魔法は──『泥』の魔法は、私にとっては少し特別な魔法である事に変わりはなく、大変に使い勝手の良い得意な魔法なのである。
──『泥の魔獣』……その名は『聖人』が私に向けて名付けたものだが、あながち間違いではない。
……なにしろ、私の使う『泥』とは、それだけ厄介な物であると言う自負がある。
だがまあ、まさか彼があんな風に、後世にまで語り継ぐような逸話を仕立て上げるとまでは思っていなかったし、彼の浄化によって私が改心したとか、そういうのもちょっと否定させて貰いたい所ではあるけれども、なんにせよ、私と言う野生に生きた魔法使いは、その『泥』の扱いに大変長けていたのであった。
それも、『差異』二つを超えた事により、私は昔とは比べられない程の魔力量を備えるに至っている。
なので、今の私ならば、空飛ぶ『第五の大樹の森』を除く、残り周辺四つの大陸の全土へと、自分の言わば『領域』とも呼べる『泥』を降らせる事位は最早造作も無い事であり、そして、そこに追加して己の『奥義』とも呼べる魔法である『ドッペルオーブ』を混ぜ込む事によって、疑似的な『探知魔法』の役割を持たせる事は思ったよりも容易い事だったのだ。
未だ『探知系統の魔法』も含めて、幾つか使えない魔法はあるものの、最早そんな縛りも私には関係なくなった。
私は四つの大陸全土へと、人の邪魔をせぬ様に街や都市周辺は極力避けるように魔法を使って『泥』を降らせていく……。
──すると、その各地に降り積もったたった数センチの『泥』により、私は各地にあるダンジョンからどれだけの魔獣が溢れたのかを大まかに認識する事ができる様になったのであった。
咄嗟の思い付きではあったが、まさか『探知系統の魔法』をこんな方法で補えるとは、私自身も少々驚いている。だが、やってみて大正解であった。
……まあ、いきなり『泥』が降って来た事によりちょっと不吉な光景が広がってしまい、それを見ていた人々がどことなく戦々恐々としている雰囲気も感じるが、それは少しだけ勘弁して貰うとしよう。
だが、なんにしてもこれで、援護の体勢は整ったのである。
なので後は、エアや皆の力を、そして各都市にいる人々の力を信じるだけであった。
「…………」
正直、『泥』を降らせ終わった現状、遠隔から更に追加で攻撃魔法等も使える様にはなっているが、四大陸分の『泥』の制御で大変私は忙しい。
それも、魔獣の進行を出来るだけ遅らせる様に妨害工作も色々と『泥』で行っているので、攻撃は皆に任せる事にしたのであった。
食糧等の問題もあると聞くし、人の力で上手く倒して貰って、この機会を有効活用して貰った方が良いだろうと言う考えもある。
それにこの『泥』によって、各大陸の精霊達の『領域』が誤って燃やされたりしていれば、直ぐに助けを出せる様にもしていた。
更に更に、もっと言うのであれば、四精霊を含めて既に避難してきた精霊達にも協力を貰って、この『泥』に付属させた『ドッペルオーブ』を介して『大樹の森』へと各地の精霊達の避難誘導も進めて貰っている。……この機会に『別荘作り』も一気に進められればかなりおいしいと言えるだろう。
よって、そんな一石二鳥も三鳥もある狙いをもって、此度の『騒動』も解決へと向かい出したのだ。
問題が起きるのも急であれば、解決するのもまた急である。
だが、そこに命がかかわるのであれば、一秒でも救助が早いに越したことはないだろう。
ただ、唯一懸念すべきは都市の中の状況だが、街の中にまで『泥』を降らせてしまうと、人の邪魔になってしまうと思いあえて降らせなかった。
その為、街の中の動きや様子は分からないけれども、そちらはどうにか人々の頑張りに期待したいと思う。
エアや精霊達には『別荘』の方の管理や調整をお願いしており、各大陸から避難してくる精霊達に備えて準備を進めている筈だ。きっと恐らく向こうの方は順調にやってくれるだろう。
魔獣の討伐も終わりこの件が治まってくれれば、『泥』はそのまま大地へと戻せばよいし、私の魔力で作った『泥』は、何気にその後の土地の作物の育成にも中々良いと精霊達からも評判が良いらしいので、この魔法を使った事は良い事尽くめだったのかもしれない。
……初めて経験が活きたと言える気がする。うれしい。
久々に使った魔法であったが、上手くいって内心で私はとても『ホッ』とするのであった。
「…………」
──そうして、結果的にこの『泥』の魔法を使った事によって、『精霊側』にも『人側』にもそこまで大きな被害は無いまま、なんとか『魔獣の氾濫』は上手く鎮める事に成功したのである。
……だがしかし、今回の件で唯一の欠点を挙げるとするのであれば、あの魔法を使った事により世間では『泥の魔獣が蘇った』と言う、そんな嫌な噂が広まる事になってしまったのであった……。
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