第421話 膠着。
『ダンジョンから魔獣が溢れた!』と、精霊達から叫びがあがった。
それも詳しく聞けば、精霊達が分かる限りにおいて、ほぼほぼ全てのダンジョンから一斉に事が起きたのだと言う。
……ただ私達がいる大陸に関しては、多くの精霊達が『大樹の森』の『別荘』へと避難している状態の為、現在の正確なダンジョン状況は詳しく分からないそうだ。
だが、エルフの青年達が里帰りした『里』の傍にあるダンジョンを始め、他の大陸にあるダンジョンの悉くが一斉に溢れ出した状況らしいので、恐らくはこの大陸でも起きているだろうと言う話である。
「…………」
「…………」
正直、これには流石に驚きすぎて私達も精霊達も直ぐには声が出なかった。
なにしろ急過ぎる上に、問題の大きさも半端ではないからである。
ただ、問題の大きさから考えても、直ぐに動き出した方がよいのは先ず間違いない。
……だがしかし、今回に限っては特に、私は咄嗟の判断をする事が出来ずにいた。迷いが出てしまったのである。
と言うのも、『先ずはどこから行けばいいのか』と言う問題に対して、色々と考えが浮かんでしまい、その決断を直ぐに下す事が出来なかったのだ。
そもそもの話、今更言うまでも無いが、大陸はここ以外にもある。
それもダンジョンの数はと言えば、国によっては複数個あるのは当然であり、場所によっては『ダンジョン都市』の様に街中に存在している場所すらあった。
そして、そんな各地のダンジョンから、一斉に魔獣が溢れ出している状況なのだと言う。
当然、それらを加味すると選択肢はとても多くなってしまうのである。
……それもこの場合、最悪を想定するのであれば、対応が間に合わない場合その溢れ出した魔獣によって多くの者達が命を失う事になる。
更に、その問題は人に限った話ではなく、魔獣によって荒らされたり『淀み』が広がる事によって精霊達にも被害が及ぶ程の深刻な問題に発展しかねない恐れがあった。……それこそ程度によっては、精霊達の命も危機へと陥る事になる。
なので、何を選び、誰を、どういう風に助けるべきか……。
それらが頭の中でぐるぐると回りだし、上手くまとまりそうにないのである。
普段から不器用な私ではあるけれども、今は呼吸する事さえも不器用になっている気がした。
それにこれは、既に一介の魔法使いに対処出来る範囲を大きく逸脱している問題でもある。
それこそ私が『探知系統の魔法』を使えればまだ、この場所に居ても各地へと『大樹』を通して遠隔で魔法を使い、皆を助ける事も出来た。
以前の『マテリアル』の時と同様に、回復や浄化でも攻撃魔法でも援護が出来た筈なのに……。
「…………」
……それを思うだけで、自然と心の中には冷汗に近い、冷たく嫌な感覚が滲み出てくる気がした。
近しい言葉で言うのであらば『焦燥』であろうか。
見た目の表情こそ変わっていないかもしれないが、私はいつになく焦りを感じていたのである。
ただ、現在の唯一にして不幸中の幸いだと思える事は、この大陸に関して言うのであれば、『別荘作り』を進めていた事によって、『大樹の森』の中に居る精霊達は避難が済んでいる状況であり安全が確保できている事であった。……この避難場所があると言うのはとても大きな意味を持つだろう。
因みに、他の大陸の中でも『白銀の館』がある大陸の、その街周辺の精霊達も避難が終わっている状況だ。
……だが、その逆を言えば、それ以外の場所は全く避難が済んでいないと言う状況でもあった。
その為、どうすればいいのか、どこから行くべきなのかが、非常に問われる現状なのである。
……正直、私の心情としては変わらず、精霊達の事を真っ先に優先して救いたいのは間違いない。
──ならば、『今回もまた精霊達の事をまた優先すればいいじゃないか!』と、普通であればそう思うだろう。
「…………」
だが、今回の場合に限っては、『被害の深度状況に微妙な差』が予想される事によって、以前の戦争の時の状況とはまた少しだけ異なる選択をする必要があるのではないかと、私は少し考えたのであった。
……と言うのも、今回『人側』と『精霊側』において、直接的に魔獣達から狙われる恐れがあるのはほぼほぼ間違いなく『人側』であり、命の危険性が高いのも『人側』であった。
それに、『精霊側』の場合は命の危険こそあるものの、戦争によって受ける被害よりもまだ魔獣達が踏み荒らしていく被害の方が環境的には被害も抑えられそうな上に、『淀み』に関しても精霊達ならばある程度は耐えてくれるだろうと言う信頼もある。……『マテリアル』に適応した精霊達と言う存在が居る事も、だいぶ私的にも心強さがあった。
なので、本当は気が進まないけれども、『精霊達に我慢を強いる』事により、『先に人側を助け、後から精霊達を助ければ、全員を上手く助けられるのではないか?』と言う、そんな『根拠のない希望が溢れる甘い作戦』を思いついてしまったが故に、私は迷っていると言う訳なのだ。
「…………」
……正直、これは中々に決断が難しいと思っている。
なにしろ、上手くいきそうな雰囲気があるのが、この甘い作戦の悩み所なのだ。
ただ、再度告げるけれども上手く行く『根拠』は全くない。
もっと言うのであれば、『ダンジョンから魔獣がいつ溢れ出なくなるのか』についても、予想すら全くついていない状況なのである。
その為、場合によってはダンジョンの一つ一つへと入って行って奥まで行き、全ての魔獣を駆逐するまで止まらない可能性だってあるし、ダンジョンによっては魔獣の個体差もあって討伐に恐ろしく時間がかかってしまう場合もあるだろう。
更には、賢いダンジョンなどの場合は尚更、どれだけの戦力を温存しているのかも分かったものではないのである。
だから、下手をすると想定している以上に時間ばかりが掛かってしまい、結果的には精霊達の方も間に合わなくなる可能性があった。
「…………」
……だが、そうは言っても今回の場合、『精霊側』を優先してしまうと『人側』の被害が尋常ではなくなる可能性は大いに高い。きっとその被害は何十人、何百人どころの騒ぎではない筈だ。
それこそ幾つもの大陸で、数えきれない程の人々の命が失われる……。
──いや、待て待て、また視野が狭まっている気がする。
落ち着こう。このままではダメだ。もっと広くを見なければいけない。
こういう時こそ最も冷静に在らねばならないのだと、私は以前にも学んだはずである。
……その教訓を活かすべき時は今であろう。
もっと冷静になって考えれば、きっといい考えだって浮かんでくる筈で──
「──ロムッ、わたし達も居るからっ!」
すると、この緊急事態に急に沈黙していた私を見て、心の内で悩んでいる事を察してくれたのか、突如としてエアのそんな大きく私の名を呼ぶ声が聞こえてきた。……その声はよく通り、一瞬で私の意識をエアの方へと戻してくれる。
そして、その言葉は私の胸へと確りと響いたのだ。
それに私は、エアの傍に立つ──まるでエアを守る様にして並んでいる様な──精霊達の姿も見つけたのである。
「…………」
皆のその表情は『もっとわたし達を頼っていいのだ』と雄弁に語っていた。
そんなエア達を見て『……そうだ。私はまた一人で何を考えているのだ』と気づき、反省する。
昔から、こういう状況だと独りでどうにか対処しなければと、焦りがちになるのは悪い癖だ。
ついつい切羽詰まった状況になると周りが極端に見え難くなってしまうのである。
一人では手に余る状況だと言いながら、自然と一人で解決できる方法を模索しているのだから、どうしようもない。……これはもっと意識して、気をつけていかねばと強く思う。
それに、エア言葉はまさに正論であった。
今はこんなにも頼りになる存在が目の前にはいるのだから、もっと頼るべきである。
先ほどの作戦であっても、分担し手分けして役割を熟すだけでも大幅に難度は下がるだろう。
『精霊達に我慢を強いる事も無く、人側を助ける事』だって、それならばもっと容易に出来る筈だ。
それこそ、『人側』だって自分達の為に戦うはずだし、彼らの戦力をあてにしたっていい。それすらも考えから抜けていた事に私は遅れて気づいた。
また、現状の最大の懸念事項としてあるのも、『時間経過と共に魔獣が増えて対処が困難になる事』だが、それだって昔は似た様な状況が沢山あった訳で、その度に私は解決してきた筈なのだ。
……私が多くのドラゴン達から襲われた事だって、もう何度あったか数えきれない程だろう。
だから私のそんな経験もきっと活かせると思う。……正直、最近は冷静さを欠いてばかりで、私は自分の最大の利点でもある『経験』を上手く活かせていなさ過ぎだと思った。
──なにせ、古き冒険者時代には、こういう沢山の敵と戦う時にはいつだって『あの魔法』が役にたっていた訳で……それを使えばきっと今回も……ダンジョンに溢れた魔獣達の対処が、らくに……。
「…………ん?」
すると、『……そう言えば、あの方法があったな』と、その瞬間私は一つの閃きを得てしまった。
……これもきっと、エアが声をかけてくれたおかげである。
解決策は最初から私の中にあったのだ。これを活かさない手はないだろう。
私は、この状況においても役立ちそうな方法を思い出す事が出来たので、早速それをエア達にも話してみる事にしたのである。
まあなに、その話の内容も別に大した事をするわけではないのだが……。
ちょっとどちらの魔獣が真に厄介なのかを、皆にも教えてあげようと思ったのだ……。
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