第406話 虎嘯。
『差異』を一歩超える事は、魔法使いにおいてある種の到達点だろうと私は考えている。
そこへと至るまでの大変さは言うに及ばず、至った時に得るものの多さや、その瞬間の感覚の変化には最初であれば必ず驚きと感動を覚える事になるだろう。
──なので現状、その感覚を得る一歩手前と言う所まで来ているエアの事を想うと、色々な意味で楽しみなのであった。
『差異』の一つの大きな目安として、『精霊達の事が見える』と言う事が挙げられるのだが、実際には越えた時に得られる感覚の変化の方が大事なので、厳密にはエアはまだ『差異』へと至った訳ではないのだが……まあ、エアに限ってはそんなのはもう時間の問題だとも思っているので、ほぼほぼ『差異』へと至ったものだと私は判断していた。
……よくここまで頑張ったなと、私は心の底からエアを褒め称えてあげたい。
長命である私達にとって、『二十五年』と言う月日は、そこまで長いとは感じないかもしれないが、それでも私がそこへと至るまでに数百年はかかった事を考えて貰えれば、習得までに個体差があるとは言え、エアがこの短期間にどれだけ頑張ってきたのかが良くわかるだろうと言う、そんな話であった。
エアは確かに魔法の才能は高い。だが、決してその才能の高さだけに甘えてきたわけではないのだ。
それに足るだけ、魔法使いとして濃密な時間を過ごし、魔法について多くの事を考え続けてきた結果なのである。
冒険者として旅をしながら、色々な出来事を笑顔で乗り越えて来たその裏側で、地道に感覚を磨き、訓練を重ねてきたエアの成果が今ここに実を結んでいるのだ。……エアはただの甘えん坊ではないんだぞ。凄く頑張り屋さんの甘えん坊なのだ。と私は自慢したくなった。
精霊達にはよく、やれ『過保護だ』やれ『甘やかしが過ぎる』と、散々言われて来た私ではあるけれど、そんなエアの直向きに頑張る地道な姿を近くで見ていれば、そりゃ甘やかしてあげたくもなると言うのが、私の言い分であり、人情というものである。
……『一日位は魔法の練習なんてしなくてもいいんじゃないか?』とか、『今日はここまで頑張ったんだ!明日は思い切ってゆっくり寝て過ごせばいいさ!』とか、『時にはゆっくりと寝てて良いんだよ!』とか、そんな事を言って甘い物でも沢山食べさせてあげたくもなるだろう。
実際に、私自身はそんな事を言っているつもりではなくとも、無自覚にそう言ってしまっていた可能性は十分に高かった。
精霊達なんか、聞こえていないのをいい事に、エアを応援しながらずっとそんな事を言っていた気がするので尚更だ。
精霊達だってエアに対しては甘々じゃないかと私が言いたくなる原因となるのは、まさにそんなエアを応援する彼らの姿が私にはちゃんと丸見えだったからなのである。……私以上に彼らの方が過保護なのは最早間違いがない。証拠は沢山挙がっているのである。
だからこの先、エアにも精霊達の姿が普通に見える様になって、声も普通に聞こえるようになってからがお楽しみであった。……私と精霊達、どちらが本当の『真の過保護』なのか、ハッキリと決着が着く時が来たのである。だからエアにその判断を下して貰う事が、私の密かな企み事なのだ。
「…………」
──だがしかし、一応言っておくけれども、結局私達のそんな『過保護』な部分に、エアは殆ど甘える様な事などなかった様に思う。
寧ろ、エアはどうしようもない場合を除き、その全てを魔法や自己鍛錬に時間を費やし続けた。例え私の背中に負ぶさり休んでいる時でさえ、エアはずっと魔法の練習だけは欠かす事なくやり続けていたのである。
私と言う『例』が傍に居た事も少しは影響していたのかもしれないが、エアもまた同様にほぼほぼ自分の呼吸に近い頻度で扱える位になるまで、魔法をひたすら扱い続けてきたのであった。
寝ても覚めても、常に魔法が傍にあり、感覚の中に留めて置いている状態を保つ……とでも言えばいいのだろうか。
魔法と言う『力』を意識しない瞬間はない……とでも言えばいいのだろうか。
分かり易く言うのであれば、前にも言ったかもしれないが、言わばひたすら『ふっ』と力を入れて、常に『お腹を凹ませている状態』を延々と続ける事に近い感覚だろうとは思っている。
ただ、今度はその意識をお腹だけではなく、頭や足から身体全体へと広げる様にしていき、そこから更に自分の見ている物や触れる物、聞こえる音などにおいても、感じ取れる物全てへと意識を広げていって、最終的には自身の魔力で『探知』出来る全てへと感覚を広げて意識していく事により、魔法使いは『差異』へと至っていくのである。
──そして、現状のエアがまさにほぼその状態なのであった。
当然の事ながら、それが基本的にできる様になる位じゃないと、精霊と言う存在には気づけないのである。
だから、これはとても大変な事で、素晴らしい事で、お目出度い事なのであった。
誰にでもできる事ではないのだ。
甘えた訓練を重ねているだけでは何百年かかるかわからない程、過酷でもあった。
危険の中に身を晒し、感覚を鋭くさせ、森の中で泥に塗れて這いずって尚、『意識する事』にどこかしら甘えが出ていれば、幾ら時間をかけようとも全く上達ができないまま終わると言う厳しい訓練でもあった。
だから、今一度言うが、エアがどれだけ凄いのか、より一層分かって貰えただろうか。
『数百年もかかったのは、私が不器用だったせい』と言う部分もあるとは思うのだが、それにしたってエアは、その感覚の極致を身につけるのに、百年もかからず到達してしまったと言う訳なのである。
そりゃ当然、祝わざるを得ないだろう──と言うか、既に精霊達によってエアは盛大に祝われていた。
エアは既に精霊達と一緒になって、大樹の前にある花畑の中で彼らと共に歌って、躍っている。
……その笑顔は、これまでに見た事がない程に美しく輝きを放っているようだ。
そんなエアの姿に、『こんな素晴らしく、嬉しい事はない』と、精霊達の中には自分の事の様に想って泣いて喜んでくれている者もいた。
精霊達の事は『普通』は見えない。誰にも気付いて貰えない。
だが、その『普通』を覆す為に、頑張ってくれた存在が目の前にはいるのだ。
人に見えないものを見る為、聞く為、感じるが為に、多大な努力をしてきた。
そして、そんなエアの頑張る過程のほぼ全てを精霊達は見て来たのである。
『感動しない訳がないだろう』と、精霊達の表情は語っていた。
そんな相手と想い合える事、一緒に喜びあう今日この日この時を、彼らは共に喜び、歌い踊って、笑いあった。
『大樹の森』には、『精霊の歌──喜びの歌』が美しくも響き渡っている。
──あの日、精霊の歌に包まれる様に生まれた魔法使いは、精霊と共に歩める偉大な魔法使いへと成長していたのだ。
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