第392話 月光。
式典にて『スピーチ』を終えた私は、エア達と共に一旦王城の自分達の客間まで戻って来ていた。
今はまだ式典の最中ではあるのだけれど、私がちょっと疲れてしまったが為に、早めに抜けさせて貰ったのだ。
因みに、向こうはまだまだこの後も色々とイベントが続くらしく、式典が終われば今度は街全体でお祭りが始まる予定である。
ただ、私はお祭りには参加せずにこのまま少し寝かせて貰うつもりだった。
「ロム、だいじょうぶ?」
「ああ。大丈夫だ。私はこのまま少し眠るから、エア達はお祭りで美味しいものでも食べてくると良い」
「うん!行って来るね!」
「ばうっ!」
エア達にはそう言って、お祭りを私の分まで楽しんで来て貰おうと思う。
バウも折角の機会だからと、皆が騒ぐ姿などをよく見ておきたい様で一緒に楽し気について行った。
と言う訳で、私はそのまま一人静かな部屋の中で、瞼を閉じて眠りへと入ったのである……。
「…………」
──そうして、次に目が覚めた時は、既に深夜を過ぎる時間帯だったようで、辺りはもう真っ暗になっていた。
祭りも完全に終わっている様で、部屋を出て外へと少し風に当たりに行くと、昼間の混雑が嘘だったかのようにそこには静寂が広がっている。
ゆっくりと街の風景を見回すと昼間の光景が思い出され、まだそこには熱が燻っているかの様な雰囲気を感じた。
祭りの後の名残みたいなものだろうか。人のいない夜の街に、良い意味での倦怠感を味わいながら、私は一人、夜風にあたりながらちょっとだけお散歩をしてみる事にした。
一歩一歩地面を踏みしめ、昼と夜で表情を変える街の姿に、まるで別の世界へと迷い込んでしまったかのような面白さを感じながら、私はゆっくりと月を見上げる。
「──おや。目を覚ましたのか」
──すると、月を見上げていた私の頭上を何か黒い影がいきなり通り過ぎ、私の目の前へと降り立つと、その影は何か器の様なものを持っており、それを私の方へと差し出す様にして手を伸ばていた。
「……飲むか?」
少しだけツンとする様な、発酵した独特の薬草と酒精の匂いに、それが街ではよく飲まれる安酒の類だと私は理解する。
そして、その影──友レイオス──が差し出したそれを受け取ると、私は一口だけ口に含みながら、またのんびりと歩き出した。隣には友も一緒について来ている。
横に並んだまま、夜の街を歩き、友と二人で行儀悪くも酒を飲みながらぽつぽつと会話をしていく。
……悪くない。とても心地良い時間だった。
私達の話題は自然と式典や、祭りの話になり、彼は少しだけニヤついたまま、『スピーチ、良かったぞ』と微笑んでいる。
それが本心から言っているのかどうかは分からないけれど、私的には精一杯を尽くした結果がアレであったので、素直にその称賛は受けておく事にした。
「……ありがとう。だが、どうしたのだ?君がこうしてティリアと離れて街中で酒を嗜んでいるなんて、とても珍しい事だと思うのだが」
普段から、友(淑女)と一緒であるレイオスがこうして単身街を歩いている姿は、少しだけ私には異質に感じられた為、その事を尋ねてみる。
すると、彼らはふっと笑って、『だって、お前が言ったんだろう』と、微笑みながら返してきた。
「お前が『まだあの二人と関係の薄い者は声を掛けてみろ!きっと喜ぶぞ』と言ってくれたからだろうな。普段は話した事がない者達も今日は積極的に声を掛けて来てくれたんだ。ただ、流石に夜遅くまで淑女を連れ歩くわけにはいかないからな。俺だけ参加してきた。……凄く楽しかったぞ」
結構飲まされたのだろうか。この月明かりだけしかない薄暗い状態でも分かる程に、彼の顔は良い笑顔だが中々に赤くも見える。
足取りに目を配ると、若干怪しい雰囲気もある為、どうやらかなり酔ってもいるようだ。
……彼の性格からして酒を飲んでも自失するほどまで無理はしないだろうが、中々上機嫌であるらしい。珍しい姿が見れて私としては微笑ましさを感じた。
「倒れるなよ?今の私は回復と浄化が使えないのだ。君を負ぶっていくにも今の身体だと若干きつい」
「ふふふ、その時は、魔法で運んでくれ。荷物扱いで構わん」
「そうか」
「うん……それにしても、こうやって一緒に飲むのは最近無かったんじゃないか?久々だな」
そんな友の言葉に、私はどうだったろうかと頭を捻る。
確かに最近どころか、数十年から数百年単位で一緒に飲む機会など無かった気がするので、前回がどうだったかなどもう忘れてしまった。
「そうだな」
「なあロム、お前、俺達の思い出話の件だが、全然話さなかったな。もっと話しても良かったんだぞ」
友は私の『スピーチ』の件を何度も聞きたがった。そして、その度に彼は『もっと良い話題があっただろう!それを話して欲しかった』と、ぶーぶー文句を言って来るのである。
だが、傍目にはどう映ったのか分からないけれど、私としては余裕なんか一切なかったので、何を話した方が良かったのかなんて文句は一切受け付けるつもりがなかった。無茶を言わないでくれ。
……とりあえずは、『忘れてしまったんだ』と言って誤魔化しておく事にした。
そうすると彼は『俺はちゃんと覚えているぞ!』と語り、『あの時はこんな事があったろ!』と言って、私に教えてくれるのであった。……大丈夫だ。本当は私もちゃんと覚えているよ。口には出さないけれど、私は彼の話を聞きながら何度も何度も相槌を打った。
静寂で暗い街並みに、そこだけ思い出と言う光が灯り明るくなっている気がした。
夜闇でいい塩梅の薄暗さと、私が幼い体躯になっている為か、友の姿も少しだけ幼くなっている様な幻視をする。……まるで私達は今だけ昔に戻ったかのようだった。
「ティリアは、お前が話している間。ずっと嬉しそうにしていたぞ。お前があれだけ長々と話す事なんて、奇跡だと言ってな。そして、お前が途中途中で急につっかえては暫く沈黙する度に、若干俺達はハラハラもしていた。ふふふ、楽しかったな」
酔いも更に回って来たのだろうか。友の話が行ったり来たりしている。
『スピーチ』の話題がさっき終わったかと思えば、また戻ってくるのだ。
そして、終わればまた少し経ってから思い出したかのように話し出す。その繰り返しであった。……ただ、悪くはない。私はそんな話をしているだけで楽しかった。友も同じく楽しそうであった。
友は酔った勢いなのか、普段はあまり言わない様な事も沢山話してくれる。
……気づいているだろうか。君の口から出る話題の殆どは、ティリアに関係している事を。
そんな友の事を想うと、未だにその想いが変わっていない事を知って、私としては少しだけ切なくもなった。君達の仲が上手くいって欲しいとは思うけれど、そこにある複雑さを感じると、何とも言えない気分になるのだ。
もちろん、私達は長命な種族であるからして、例え数百年かかろうとも大した問題ではない。
焦らずにじっくりと進展はしているのだろうと思う。……だから、私は内心で密かに、これで何度目になるかわからない『頑張れよ』を、心の中で友へと伝えて応援していた。
すると、ちょうどそんな事を想っていたからだろうか、友からも似た様な話題になり、彼は私とエアの事を持ち出して、しみじみと語るのである。
『ロムは変わった』と。
私が、『確かに、背丈は今は縮んでしまったが、その内戻る予定だ』と返すと、彼はニマニマと悪戯な笑みを浮かべて、首を横へと振った。
「背丈の話ではない。人との付き合い方の話だ。お前、昔はもっと人に無関心だっただろう。今回の『スピーチ』にしたって、本当は引き受けたりはしなかった筈だ。……きっと、あのお嬢さんのおかげなんだろうな。あの子と居る時のお前の雰囲気の柔らかさは見た事がないほどだ。……幼馴染として、俺とティリアは羨ましくなったぞ。エアさんと言ったか?……出会えて良かったな。ほんとうに、よかった」
レイオスはまるで、自分の事の様に嬉しそうに語る。
そんな友の姿に、私までも嬉しくなった。
──だがそうしている、次の瞬間には友は少しだけ悲し気な表情を浮かべて、ボソッと小さくだが呟きを零した。それはきっと、思わず心の底の言葉が出てしまったと言う雰囲気だった。
「……あとは、表情だけなのにな。ごめんな。俺のせいで。あの時、俺が変な事を言わなければ……」
……そう言う友は、きっと私が思っていた以上に酔っていたのだろう。
彼の口から、まさかそんな言葉が出てくるとは私は思いもしていなかったのである。
彼が言うその『あの時』が、私が思う『あの時』であるのならば、それはきっと故郷を出るきっかけとなった一言の事だろうと私は察した。
かつて私は、彼のとある言葉を聞いて、とある理由から『世界で最初の一人』になると決意をし、強くなるために森を出ていったと言う、割愛するとそんなとんでもなく昔の話があるのだが、その時の事を彼が気にしているとは、私はこの瞬間まで全く知らずにいたのであった。
旅をする中で、私はいつしか表情と呼べるものをどこかに無くしてしまったのだけれど、それを彼の気に病んでいて、自分のせいだなんて思っていたとは、これまで一度たりとて聞いた事が無かったのである。
私は、彼の言葉をきっかけにして旅を始めはしたけれど、それを決意したのは自分で選択した結果なのだ。だから、表情を失った事までを彼のせいになる訳が無い。
……でも、密かに気にしていたのか。ぜんぜん知らなかったよ。
「レイオスのせいではない。私が自分で選んだだけだ。──ほら、気にするな。飲みなさい。忘れてしまえ」
私は、少しだけ魔法を使い自分を浮かべると、自分が持っていた器を彼へと押し付け、残りの酒を彼へとあげてしまった。酔った彼は素直に受け取ると、それをグビグビと飲んで、クラっと大きくふらついている。
なので私は、そんな彼を魔法で浮かべると、一言だけ『寝てていいぞ』と声を掛けた。
彼はそれに頷くと、急にがくんと身体を脱力させて、そのまま寝息をたて始めてしまったのであった。
……どうやら、本当に酔いが限界だったらしく、一瞬で寝てしまったらしい。
彼のこんな隙だらけな姿は大変に珍しくて、私は内心で思わず笑みを浮かべた。
「…………」
──そろそろ散歩も終わりにしようかと、私は眠ったままの友を連れて王城へと向け踵を返した。
夜闇の中、私はゆっくりと歩く。
だが足取りに迷いはない。いっそ力強くすらあった。
横では友が気持ち良さそうに寝息を立てており、その顔を見ているとなんだか私まで眠たくなってきてしまった。……戻ったら二度寝をしようかと、少しだけ悩む。
……だが、そうやって悩みながら歩きつつ、沈んでいく月を眺めていると、夜明けが近い事を私は悟るのであった。
またのお越しをお待ちしております。




