第381話 信任。
2020・11・25、後半部分、加筆修正。
商人に扮した『モコ』を魔法で消し去ると、次の瞬間そこには、背丈はそれほど高くなく茶色の髪を三つ編みにした普通の街娘──に見える女性がいきなり現れていた。
その女性が明らかに普通ではない事は、既に私もエアも一目で察している。
……姿形が幾ら変わろうとも、その表情の歪さだけは先ほどと全く一緒であったからだ。
瞳は一切笑っておらず、口だけが大きく横に広がり笑みを作っていた。
笑う気などまったくない。ただ人を装っているだけの何かがそこには居たのである。
そんな女性の登場を見て、私は『……さて、これは少し困った事になった』と思い、警戒を強めていた。
……奴が本当に『モコ』においてかなり強い方だと確認できてしまったからである。
『傀儡を壊したら、本体が来る』と言う性質を、奴ら(モコ)が持っている事は知ってはいたのだが、その際に必ず核となる『石』の存在が必要だと私は思っていた。
だから、それを壊すか浄化して消し去ってしまえば、傀儡の方には本体は移って来れないだろうと、これまでは思っていたのである。
だがしかし、どうやらその考えは浅はかであったらしい。
既にこうして目の前に女性が現れて居る所を見ると、私が消し去るのとほぼ同時でも刹那の間でこちらへと移って来れると言う事である。
それに奴は、少なくとも私の魔法に反応できる者である、と言う事も分かった。
「酷いわぁ~、身体は大切にしなきゃいけないのよぉ~、幾つも用意できるわけじゃないんだからねぇ~。うふふふ……」
何がそこまで嬉しいのかわからないが、『モコ』はそう言うと笑い始め、そして一歩ずつ私の方へと歩みだしてきた。
『狩り』をする前の高揚とでも言えばいいのだろうか、獲物を前にして喜んでいる様な雰囲気を発しているのが分かる。これはフリではないらしい。
……さて、こうなったらもう戦闘は避けられないだろう。
あの反応の良さから、ある程度は動きも速い事が予想出来る。
探知がない分、私はそれに対応するのが難しいかもしれないけれど、そこはある程度範囲の広い魔法を使う事で的確に相手に攻撃をしていくしかないだろう。
ただ、あれ位の『モコ』だと魔法に対する耐性も高いので、一撃では終わらないかもしれない。
となると、やはり周りへの魔法被害は大きくなりそうだと私は懸念した。
このままだと、辺り一面は更地になるかもしれない。
私達の周辺に居る者達は否応なしに巻き込まれるだろう。
……ならば、周りの怪我をして気を失っている者達を連れて、一旦後方の集団の所まで引いて貰うようにエアへと頼んだ方がいいかもしれない。
後ろの集団に戦いへと介入されるのも避けたいので、これは良い考えだと思う。
出来るだけ離れて貰って、私の魔法だけではなく『モコ』の攻撃からも彼らを守れれば言う事なしである。
そうと決まれば、早速私はエアにその事を伝え──
「──ロムは後ろに離れてて!倒れた人達をお願い!この子の相手はわたしがするッ!」
──ようとしたのだが、今まさに私がエアに伝えようとしていた事を、逆に私はそっくりそのままエアから頼まれてしまったのだ。
……私はその瞬間、正直言って、凄く悩んだ。
私の心の内側では、『エアを信じ、任せてみよう派』と、『エアが危ないなら私が戦うべき派』が半々に分かれていたのである。
勿論、私はエアの事を信じている。それは単に口先だけで言っている話ではない。
魔法使いとして、その力が確かである事は傍で見て来た私はよく知っている。
エアは強い。それは間違いない事だ。
その成長速度は素晴らしく、その内私よりも上を行く魔法使いになる。断言しよう。
……だがしかし、現状においてはまだ、この相手はそんなエアすらも凌ぐ実力を備えている事を、私は理解してしまっているのだ。この『モコ』は見た目以上に、本当に嘘偽りなく、強敵なのであった。
戦えば、おそらくエアは負けてしまうだろう。
……そんな想像が、戦う前から私の脳内にはノイズの様にちらついていた。
なにせ、先の赤竜とエアとの戦いでは勝利条件が『時間稼ぎ』と言う事もあって、相性的にもかなりエアの方に有利があった事は否めない。『天元』で火の魔素を通してしまえば、例え赤竜が遠距離でブレスを放ってきてもほぼ全て無効化できると言う強みもあったので、間違いなくエアが勝つだろうと言う勝ち筋の予想が立っていたのだ。
だがしかし、この『モコ』との戦いにおいては、そんなエアの勝ち筋が……私には殆ど見えなかった。
『私が周囲の者達をこの場から引き離し、安全を確保する』と言うたったそれだけの短時間でも、戦えばエアが負けてしまう可能性の方が高いと思ってしまったのである。
エアの勝利条件として『私が戻るまでの時間稼ぎ、または相手を撃退もしくは討伐』が求められる。
だが、このレベルの『モコ』に対して、エアの魔法はまだ少し威力不足が否めず、ダメージを碌に与える事ができないだろう。その上、逆に『モコ』の攻撃をエアの防御では防げないのだ。
攻撃も防御も通じない相手に、エアはどうすれば勝てるだろうか。
どれだけ頑張れば撃退できる。どれだけの時間を稼げると言うのだ。
……それらが刹那の内に脳内に浮かんでいた。
それもダメ押しをするかの様に、エアの特技とも言うべき『天元』を用いた戦い方も『モコ』にはあまり通じないだろうと私は察していた。
そもそもが、私の魔法にも苦も無く反応できる相手であり、運動能力においてもエアよりも高いと見ている。
エアが華麗に空を駆け、どんなに素早く動いた所で、相手はそれを超える動きをして来るのだ。
それに奴は、膂力と肉体の強さにおいても、今のエアと同じかそれ以上かもしれない……。
『旦那……』
私には優先順位がある。大切な者を守る為に私は自分の力を揮いたい。
エアの命と他の者の命を私は等しく扱えない。当然、エアの方が大事だ。
……だから、エアを危険に晒すくらいならばいっそ、例え一人二人周りの者達が私の魔法に巻き込もうとも、エアと二人で共闘してあいつを倒してしまった方がいいとも思っている。
──それが、私の心の半分、『エアが危ないなら私が戦うべき派』の考えであった。
……そして、そんな大きな不安と等しくしてあるのが、『エアを信じ、任せてみよう派』の考えである。
私は、心の底からエアを信じている。
それは何も、戦う力だけの事を言っているわけではない。
エアと言う存在が、彼女と彼女がこれまでに培ってきた全てを私は信じている。
私に心がある様に、エアにも当然心がある。
私には私の考え方がある様に、エアにもまたエアの考え方があるのだ。
道は一つじゃない。答えは如何様にも求める事が出来る。
エアの魔法は私のそれよりも、どこまでも自由で、どこまでも無邪気だ。
エアならば、私の想像してない事が出来る。
エアならば、『なんとか出来る』と私は信じる。
そして、そんなエアが自分から、『──ロムは後ろに離れてて!倒れた人達をお願い!この子の相手はわたしがする』と言うのであれば──
「──分かった。任せたぞエア」
──私は、その言葉を信じるのみである。
……体感では、少しだけ長い時間思い悩んでいた気もするが、実際には数秒固まっていただけのそんなお話。
そもそも、悩みはしたけれども、最初から答えはほぼ決まっていた様なものでもあった。
……だって、私の心の天秤はいつだってエアの事を特別に想っているのだから。
──それに、途中でちょっとだけ声も漏れ聞こえていたけれど、私と同じように考えている者達の存在が居てくれた事も、私にとっては大きかったと思う。
傍にいる四精霊達や、草むらの中に隠れながらも、もしもの時には飛び出す気満々のバウや白い兎さん──そんな皆が、私の方を見つめながら表情だけで語って来たのであった。
『エアを信じよう』と──。
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