第380話 獲物。
怪我を負った者達を回復していると、不思議な気配を放つ者がいきなり起き上がってきた。
その気配は明らかに男性商人の身体から感じられるのだが、その口から出てきた声音は聞いた事のない若い女性の声である。
そして、その顔は不気味にもニタァと意味深に微笑んでいた。
「……さて、ここはどこなのかしら?」
「…………」
その人物は、私の方へと顔を向けてそう尋ねてくる。
……まったく今日は、色々な出来事がよく起こってくれるものだ。
表情にこそ出さないものの、内心では思わずため息が零れた。
探知が使えない為に確信こそしてはいないが、長年の経験から相手のその雰囲気のみを感じて、私は目の前の人物が『何なのか』を察していたのだ。
「──エア、奴は恐らく『モコ』だ」
「うん。でもなんか、探知すると少しだけ不思議な感覚がする」
「奴らは人を喰らって己の力にする特性を持つのだが、その喰らい方には個性があるのだ」
いきなり現れた事と、その雰囲気の異質さから私は奴を『モコ』だと判断したが、エアはエアで探知を使って同じ推察へと至っていたらしい。……ただ、そこには少し不思議な感覚があると言う。
ただそれは、私は奴らの特性がその原因となっているのだろうと、己の推察をエアへと伝える。
『恐らくは身体の中に気付かれない様に入り込んで、先に内側から喰らっているのだろう』と。
『だから、外側はまだ完全に元の商人の気配が残っているのだろう』と。
それも大変に拙い事に、奴はその言葉の少なさや仕草から、私は『戦闘型のモコ』ではないかと察した。『知能型のモコ』に相手にした時の奴らは、もっと無意味に良く喋るのでこの違いはかなり分かり易いのである。
ただ、そうなると次に問題になって来るのが奴の姿だ。元々『モコ』は発生した時点で黒い塊の様な姿を普通はしており、喰らう事で段々とその姿は人に近づいていくのである。
だがそれは、高々一人二人喰らった位では完全な人の形に姿は変わる訳ではない事を、実際に奴らのその変化を見た事がある私は知っていた。
──そう、だからつまり……
「エア、気を付けなさい。奴は赤竜よりも強いぞ」
……正直な話、探知系統と回復系統の魔法が使えない事、そして未だ慣れないこの小さな体躯である事に、私は何とも言えない不安に感じていた。
かつての話、私は一度、同じく人の姿をした『モコ』と戦い、重症を負いながらも打ち勝ったことはあるのだが、現状でもそれを成せるかと言えば若干微妙だとも感じているからである。
あれから二つ目の『差異』も超え、魔法使いとしても成長を重ねたとは思うが、私の今の状態を思うと差し引きは零である様な気はした……。
『何を言われているのかさっぱりわからないわ。ほんと、ここはどこなのかしら?』と、そう言いながら、首を傾げて人の振りをしている『モコ』。
だが、その表情を繕う事はまだまだ上手いとは言えない。
……未だ不完全だと言う事なのだろう。
同時に今更になって気づいた事なのだが、周囲へと目を配ると、ここで怪我をしていた者達の中に旅人の姿が無い事に私は気が付いた。
商人と、それを追っていた数人の男女、それから私達、そしてもう一人、危険を察して若干離れ気味では居たが共に同じ道を歩いていた旅人の男がいた筈なのである。
そんな彼の姿が無い。
もしや、もう既に一人喰われたと言う事なのだろうか。
……いや、それとも。
「ねえ、あなた達?わたくし、先ほどから問いかけていましてよ?……まったくもう、聞こえていないのかしらぁ?──」
商人の身体の中で蠢きながら、男性商人の皮を被っている『モコ』は、可愛らしい女性の声で困ったようにそう告げる。
「──でも、別に聞こえていなくてもいいわぁ~。いつもの事ですものねぇ。わたくしはまたいつも通りすればいいだけよ……そう。きっとそうだわ。……それに、とっても美味しそうな子が居る。……これまでにこれほどまでに美味しそうな匂いは嗅いだことが無いわぁ~……だからねぇ、そこのあなた。もっと近くで嗅がせてくれません?あなたを是非とも味わってみたいの……」
そして、『モコ』はニタァとした笑みを更に深めると、私に対して瞳をぎらつかせて舌なめずりをし、とてもうっとりとしている。……その外見と言葉とのギャップとでも言えばいいのだろうか、小太りの男性商人がそれをしていると言う事もあって、中々に気色が悪い。
そして、そんな奴の言葉を聞くと、私の隣に居るエアからは怒りの雰囲気が魔力を通して凄く伝わってくる。
私の事を想っているのか、守ろうと思ってくれている様で……『ふざけないで!』『ロムに近づかないで!』『気持ち悪い!』『嗅がないで!』『どっか行って!』『消えて!居なくなって!』と……それ以外にも色々と、言葉にこそ出さないもののエアの内心は罵詈雑言の嵐を相手へと向けているようであった。イライラしているらしい。まあ、標的にされている私としても同じ気持ちだ。
「……断ろう。君にくれてやれるものは何一つない」
「あらぁ、残念。……でもね、結局欲しいものがあるならば、その為に頑張ればいいと思わない?」
「…………」
「お腹が空いたのなら食べる。食べる為には獲物を捕らえる──それはとても普通の事でしょ?自らの為に他の命を貪り喰らうのが生き物。それこそが人の常……だからわたくしは頑張ろうと思うわ。あなたをこれから捕らえるつもり──あっ、そこの美味しそうな人の隣に居る可憐な鬼のあなた……そんな、気味が悪いなんて言いたげな顔しているけど、あなたも一緒よ?誰かを汚いと思う時、それはいずれ全部己に跳ね返って来るの。汚く貪り喰らう者である限り、いくら綺麗ぶった顔をしていても、醜さは何も変わないわ……愚かよねぇ」
『モコ』は急に何かを語り始めた。
……もしかして、こいつも『知能型』だったのだろうか。
いや、それにしては、酷く拙い気はする。異質であり、歪だ。
『戦闘型』でもあり『知能型』でもあると言う事か?だとするならば『万能型?』どちらにしても、今まで見て来た『モコ』の中でも、この相手かなり危ない存在だと言うのが分かる。
……ただ、なにやらごちゃごちゃと、己の持論を話し始めて、エアとも会話しようとしているが、正直、長い話は聞いているだけで眠くなるので私は辺りの状況の方へと半分だけ意識をやっていた。
探知系統の魔法が無い為に、視覚を使って事前にちゃんと確認していないと万が一戦闘になった場合、私の魔法で他の者達まで傷つけてしまう可能性がある。それは避けなければいけない。
……後方からは段々と例の集団も近づいて来ているし、戦闘をするならば早い方がいいかと思い、相手の話の途中ではあるが私はもう動き始める事にした。
「それにねぇ──づッ!?」
生憎と奴に隙も多かったので、容赦なく攻撃させて貰ったのである。
全身をとりあえずは魔法で消し去ってみた。
そもそも私は戦いになる相手といつまでもベラベラと喋り続ける事を好まない。
ただ、その利点は十分に理解をしているつもりではある。
なので、長話をしたい者達は自然と何らかの『時間稼ぎ』をしていると私は普段から思っている。
だから、敵にその利点を活かさせない様に、長話を始めた敵にはとりあえず攻撃するのが私のお勧めなのだ。
……正直、これで終わるようならばそれまでの相手であったと言う事で時間の短縮にもなるし、もし終わらない様な相手であれば──
「──酷いわぁ~、いきなり攻撃するなんてぇ~、まだ話の途中だったのにぃ~。……うふふふ、でもまあ、嫌いじゃないわぁ~」
──それは真の強者と言う事である。
……寸前まで商人が立っていたと思われた場所には、いつの間にか見覚えのない一人の女性が立っていた。そんな彼女は、私に向けて口角だけを釣り上げると、ニタァと不気味に微笑むのであった。
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