第375話 齟齬。
空の先、その遥か遠くに映える威容を見て、私は素直に想った。
『あれは、強い』と。
かつて、エアと共に『赤竜のもどき』は一緒に討伐にした事があるけれど、あれとは比べ物にならない程に立派な成体のドラゴンである。
どいつもこいつも、最近は住処に引っ込んでしまい全然姿を見かけなくなったが、いる所には普通にいるらしい。
もしかしたら、強いドラゴン達はもうみんな亡くなってしまっている可能性もあるかと、そんな推察もしていたのだが……なんてことはない。どうやらただの杞憂だったようだ。ピンピンしている。現役バリバリだ。
それも、奴の飛んでいるその様から、外敵の事など全く考えずに堂々としているのがわかった。
……ふむ、見ているだけでもなんとなく憎たらしさを感じてしまうものだ。
バウの可愛らしさを少しでも見習って欲しいものだと思う。
……だが正直な話、今はそんな事を考えている場合ではなかった。
と言うのも、奴がどうこうというよりは、『そもそも何故、あんな奴がこんな場所に居るのか』という事の方がこの場合真っ先に考えるべき重大事であるからである。
そもそもの話、あんな個体が何の理由もなく自分達の巣も近くにないこんな何もない場所で、都合よく飛んでいる事など有り得い事だからであった。
勿論、私と奴等との戦いは根深いものなので、此度もまた運命の悪戯とも言える様な奇跡的な出会いで、接敵しかけている可能性はある。
……だが流石に、今回に限っては私の視線の先にある、とある生物の方が、私などよりも余程奴との関係が深そうに見えた──。
「──見ろっ!ドラゴンの子供だ!間違いないっ!」
「……ぴー、ぴーー……」
視線の先で、商人の馬車から聞こえてきたそんな声と姿に、観察していた私達は皆一瞬固まった。
そして、馬車の荷台へと入り込んだ者達が、鎖でグルグルに縛られた状態の『幼き赤竜』が入れられた小さな檻の様なものを完全に外へと運び出すと、いよいよもって商人の顔色は青ざめて白くなり、周囲の男女は表情を怒りに染めて彼へと問い詰めだしたのである。
『ほら見てみろ!これが動かぬ証拠だ!』と、『これでも言逃れするつもりか!』と、彼らは商人を取り押さえ、彼に背後関係を吐かせる為にか尋問までする始末であった。
「……何をしているのだ」
だがしかし、当然そんな光景を見ていた私達からすると、『今はそんな事をしている場合か!』と詰りたくなる。
何しろそんな商人の事よりも先に、碌にご飯が食べられなかった為か既に危険な程まで衰弱しきっており、命が風前の灯火となってしまっているその幼竜の事の方を、何よりも先ずは優先すべきであろうと思ったからであった。
喚かない様にと口元まで鎖で縛られた状態のまま、か細くなったその声で、幼竜はずっと助けを呼び続けているのである。
──だからもう、私としては、見て居られず、直ぐに動き出した。
そう言う訳で、彼らの方へとズンズンと近寄って行く私なのだが、その途中でエアへと『あちらを頼む!もし来たら時間稼ぎをっ!』と、一声かける。
「──うんっ!任せてっ!!」
するとエアは、その言葉にすぐさまそんな気持ちの良い返事が返してくれる。……それに、なんとも頼もしい。
正直、今は私よりもエアの方が、奴とはきっと上手く戦う事が出来るだろうと私は思った。
なのでもし、奴がこちらに気づいて飛んでくるとしても、エアならばどうにかしてくれるだろうと私は信じている。
「…………」
……だがしかし、よく見ると既に赤竜の顔はこちらを向いている様で……例え声が幾ら小さかろうとも、確りと我が子の助けを呼ぶ声は聞き取ったのか、あの赤竜はこちらを凝視していたのであった。
──そして、その瞳に鎖に囚われた我が子の姿を映した赤竜は、その後にまるで憤怒の塊とも呼べ程の絶大なる怒声を響かせて、奴の周囲の空間を軋ませている様に見える。
まあ、流石にそんな叫び声を聞いてしまうと私の耳の方が酷い事になってしまう為、咄嗟に私達の周囲には半球状の【消音】の壁を作って外部の音を聞こえなくしたのだが……純粋な魔力を通して想いがこちらにまで伝わって来たらしく、奴が猛り狂っている事が十分に分かった。
奴はきっともう見境なくこちらへと突っ込んでくるつもりだろう。
怒り過ぎて周りが全く見えてない状態になっているようにも見える。
誰が敵で誰が味方なのかも既にわからなくなっているかもしれない。
下手をすれば奴の攻撃にあの幼竜が巻き込まれる可能性すらあった。
……それほどまでに危険な状態である。
だが、エアならば大丈夫だと、私は確信している。
少しの間、頑張って奴を押し留めて貰いたいと思う。
その間に、こちらの事は私が何とかしよう……。
勿論、状況的に私が奴の相手をする事も最初は考えた。
だがしかし、その場合は私は自身の『魔法使いの誓い』によって、奴を加減する事もなく殺めてしまう可能性があったので、それを避ける為に今回は自重して馬車の方へと向かったのである。
……流石にこの竜の親子を、このまま引き裂くのはあまりに哀れが過ぎる。
それだけは避けたいのだと私は思った。
あれだけ弱った身体で、あの子はずっと親を呼び続けている。
だから、あの幼竜だけは親元に返してやりたいのだ。
「──そこの者達、その幼竜はこちらに渡して貰うぞ!」
だが、そうして幼竜の事を想ってかけた一言がきっかけになったのか、状況は少しだけおかしな具合へと変化した。
どうした訳か、突然馬車の周囲に居た者達が、私に対して急に武器を向け始めたのである。
……あれ、これはもしや、また私の口下手が何かしてしまったのだろうか。
「──見ろッ!あっちにもドラゴンの子がいるぞ!」
「それにこの幼竜も奪うつもりのようだっ!気を付けろ!」
「この商人の仲間か!くそ、道理で護衛もいないと思ったが、後方に離れていたのだな!」
「……でもまさか、エルフがこの事件に関与しているだなんて」
「とりあえずはこの商人は俺に任せろ!皆はあちらを確保してくれ!それに、急いだほうがいいぞ……なにやら悪い予感がする!」
「──いくぜっ!突撃ーー!!」
「…………」
──何やら、とんでもない勘違いが始まろうとしていたのであった……。
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