第368話 背反。
注意・この作品はフィクションです。実在の人物や団体、事象などとは関係ありません。
また、作中の登場人物達の価値観なども同様ですのでご了承ください。
何やら屋敷の食堂にて、朝から言い合いをしている二人の元へと私はエアにおんぶされたまま近付いて行った。
「お願いします!その力はもう使わないでください!」
「……いや、そう言う訳にもいかねえ。俺は傭兵だしよ。命をかけて戦うからには戦力はどうしても必要になる。……何かを守る為にも、自分の命を守る為にも、この力は必要なもんだ。だから、すまねえがそれは聞けねえ」
「でもっ、それを使えばあなたの身体が」
「まあ、また悪くなるとは限らねえし、もしなったとしてもその時はきっとまた『聖人』が回復してくれるんじゃないか?あんまり心配し過ぎるのも──」
「一度起きた事は二度目も起きる可能性が高いと言う事です!楽観視はよくありません!──それに、いくら聖人様が慈悲深くとも、悔い改める気もない者に再び施しをしてくださるとも思えません。あの方の逸話はいつも、『心』の大切さについて教えてくれている。それはあなたもご存知でしょう?」
「……ああ確かに。それはそうだ。そうじゃなきゃ、魔獣を改心させようだなんて普通は思わねえからな。殺した方が早いと思うはず……だが、やっぱすまん。こればっかりはどうしようもねえんだ。俺はこの力と共に生きていきてえ。折角手に入れた力を、俺は手放したくはないんだ」
「そんな……それじゃ、その力と、……その、わ、わたしとだったら、あなたはどちらが大切ですか?わたしはあなたの身体が心配で、それでやめて欲しいと思っているだけなんです。その力が無くてもあなたは立派な傭兵だと私は思います。──でも、こんなわたしの気持ちは、あなたはとってはただただ迷惑なだけですか?わたしはもう、あなたに必要ありませんか?」
「…………」
……ふ、ふむ。
あ、朝からそんな少しヘビーな話をしている二人であった。
それにどうやら聞く限りによると、二人の論点にあるのは、傭兵が『マテリアル』を使っている事にあるらしい。
恐らくだが、修道女としてはあれだけ大規模な騒ぎがあった為、その力を強く危険視しているのだとか。
そして、彼の事を心配し、その力を使って欲しくないと頼んでいるようだ。
『それを使わずともあなたは大丈夫じゃないですか』と。
『敢えて危険な事をしたりせずに、普通にわたしと一緒に生きてはくれませんか』と。
彼女はそう必死に訴えかけている。
──だがしかし、傭兵にとってその力とは、彼女が考えている以上に彼からすると特別なものであった。
死にかけた上に、仲間達との関係までも全て失ってさえ、追い求めた力である。
傭兵と言う生業をする以上力は必要で、魔法の才能が無い彼にとっては、これ以上に頼れる力は他に無かったと言う面も大きい。
それに、これまでは自分の肉体と技術でなんとかやってこれたけれど、これから先の事を考えるとどうしてもその力を使わないわけにはいかないと彼は考えているのだろう。
だから、そうそう簡単に手放せるわけがないと言う強い想いが彼にはあるのだと、話を聞いていてよく分かった。
それに、そんな風に言い合いをしている二人が、相手の事を互いに凄く大切に想っている事もよく分かる。
交わる視線は悲しげではあるものの、怒りをぶつけ合うような激しさは無かった。
……純粋に、二人共に好意を寄せているのだろう。
本当はきっとこうして口喧嘩みたいな事もしたくない筈だし、離れがたくも感じている筈だ。
だが、それほどまで大切に想っているからこそ、引けない想いも両者にはあるのだろう。
本来ならば、どちらかが折れて相手の考えに合わせれば、それだけで直ぐ治まる話ではあるとは思うが、互いにそれを認める事が出来ないのである。
相手に合わせると言う事はつまり、片方がもしくは両者が、我慢を強いると言う行為でもあった。
だが、彼らは互いにこれまでずっと己の我を貫き通して来た二人なのである。
そうやって生きて来て、それ以外の生き方を知らない不器用な二人なのだ。
だから、二人からすると、ここで自分の考えを曲げてしまえば、これまでの自分と言う存在の在り方を損なってしまうと感じるのだろう。……それはとても不安な事である。
例えるならば私が、これまで魔法使いとして生きて来たのに、明日からはただの剣士として生きるようなもの、だろうか。
少し大袈裟かもしれないが、二人からするときっとそれに似た感覚なのだろうとは思った。
そして、そんな風に損なわれて変わってしまった自分を、相手に見せたくないのだ。
何故ならそれは、相手が見染めてくれて、求めてくれた自分ではないのだと、両者は言葉にせずともわかっているのである。
要は、この二人は似た者同士なのだ……。
この話は、単純な話の様に思えて、とても深い所で両者を繋げている。
そして、だからこそこの二人は拗れようともしていた。
頼りがいのある傭兵は、『マテリアル』と言う存在が身の内にあるからこそ、彼を支える自信ともなっている。それが無いと言うのは彼からしたら考えられない状態だろう。
修道女としては、『マテリアル』と言う危険なものは『汚れ』として払うべきものであると彼女は思っている。事実、あの騒ぎが再び起こらないと言う保証もない。そんな危険なものを彼に扱って欲しくはないのだ。
それが好意を寄せる相手だからこそ、特に……。
彼女は今の彼をそのままにしてもおける筈がない。
次に起こった時に、また『聖人』様は救いの手を差し伸べてくれるかもわからないし……それを考えるだけで不安で仕方が無いのだと思う。
それにこれは、彼女がこれまでずっと信じて来た『信仰』の観点からも、彼の『汚れ』は決して見逃す事が出来ない問題であった……。
そうして、互いが互いに、信じるものが身の内にあり、相手を想う強い気持ちもある。
彼らの身の内にある『信念』は、これまでずっと彼らを支えてきてくれた凄く大切なものだ。
それは、己の考え方や意識を構成する一部でもあり、既にもう自分の『性格』の一部と言ってもいいほどのものであった。
だから、それを損なってしまう事は、それこそ自分が自分ではなくなってしまう事にもなる……。
例え自分の考えを曲げて最初は我慢して合わせたとしても、性格とは中々簡単に変えられるものでもない。いずれは無理が出て破綻する事が目に見えているのだ。
だが、互いに一緒に居たいと言う気持ちもまた本心なのだろう。
だから、こうして揉めているのだ。
二人の間には今、『マテリアル』に対する考え方の違いという『見えぬ壁』がそびえ立っているのであった。
二人は互いに、相手を好ましく思う気持ちがあり、求める気持ちがあり、大事にしたいと思っている。
相性も良いのか、両者は強く惹き合ってもいた。
毎日と言える程に、食堂の一角で、暇さえあればいつまでも話をしていられる。
そんな関係の二人だった。
周りから見ていても、二人は楽しそうだなと、一緒にいて嬉しいんだなと、一目で分かるそんな素敵な関係である。
彼らの引き合う姿からは、互いに『この人とこれから先もずっと一緒に生きていたい』と言う思いが伝わって来る気がした。
だが──
「──俺は、俺の信じる部分を捨てられねえ。だからお前が、『マテリアル』を認められないなら……俺達は、きっと一緒には居ない方がいいと思う……」
「──っ!?」
──どれだけ想い合っていても、ままならぬ時はある。
……誰かを想う気持ちと言うのはとても大切なもの。
ただ、それと等しくして、自分の事を大事にしたいと言う想いもまた、大切なものだ。
だが、相手が大事なのであれば自分の事より相手を尊重して当然だと、優先してしかるべきだと、思う人も中にはいるだろう。
──でも実際は、想い方に、絶対に正しい正解などないのである。
考え方の違いにより、幾つもの関係性がそこには生じるだろう。
だから、彼や彼女の様に、『誇りや考え方。そして自分にある大事にしたい曲げられない何か』を、優先させたいと考える者も当然いるのだ。自分を大切に想う事自体は決して悪い事ではないのである。
そして、互いを想う気持ちのせいで、その自分の大事な何かを損なうのであれば、その『気持ちの方を諦める』と言う選択をする事も……往々にしてあるものなのだ。
──そう。だから彼は、彼女に『一緒に居ない方がいい』と告げたのである。
『お前の事は嫌いじゃないけれど、これ以上深い関係になるのはやめよう』と。
『もう一緒に生きる事はできない』と。
……当然、その言葉の意味が分からない彼女ではない。
「……うっ、うっ」
気付いた時には、彼女は自分の顔を手で覆い隠していた。
そして、そんな彼女の姿を見た傭兵の方もまた、苦しそうに顔を背けている。
彼らが互いを想う気持ちは、真実だと思った。
その気持ちに一切の嘘や間違いはない筈だ。
修道女は傭兵の事が好きになっていただろうし、傭兵も彼女の事を本当に好きだったのだろう。
だが、二人共に『己を曲げる』と言う事が出来ない二人であった。
私はそんな二人を見ていて、どうしようもない我の強さと、不器用さを感じる。
……いや、もしかしたら、無理に相手を合わせて一緒にいる事を選んでいたとしても、いずれ自分達は上手くいかなくなると彼らは互いに判断したのかもしれない。
だから、完全に仲が悪くなってしまう前に、互いがまだ好きでいる今の内に離れてしまおうと、その方がまだ辛くはないだろうからと、二人はそう思っているのかもしれない。
『マテリアル』を使わなくなれば、傭兵は『自信』と言う支えを失う事になる。
そして、『マテリアル』を受け入れてしまえば、修道女は『信仰』と言う支えを失う事になる。
まるで二律背反の様に、どちらかを立てればもう片方が立たなくなると言う状況だった。
そんな二人に、いっそ『自信や信仰なんか無くても良いじゃないか』と言うのは何とも残酷な話である。
だが、それでもいいから『互いが互いの支えになってあげればいいだろう』と、そう言いたくなるほどに、二人にはこのまま仲良く一緒にいて欲しいと周りは思っている様に見えた。
だが当然、周りで見ている私達がそんな言葉を差し込める雰囲気ではない。
私達が言って変わる程の問題であれば、既に二人で話し合って解決しているだろう。
……でもそれでも尚、周りの皆はきっと二人に仲直りして欲しい気持ちでいっぱいだったと思う。
正直言って、今の私達はどこまでいってもただの背景にしか過ぎない。
きっと二人の心を動かせるのは、引き合っている二人だけなのも分かっている。
だが、二人の仲の良さを知っているだけに、私達としても二人のそんな姿には切なさを覚えずにはいられないのだ。
互いに想い合っているのが分かるからこそ、離れようとしている二人に何とも言えない歯痒さと辛さ感じている。
……正直、このまま二人が離れてしまうのは嫌だと、私も思った。
「…………」
だから私は、少しだけ彼らに手を貸す事にしたのである──。
またのお越しをお待ちしております。




