第363話 仁。
2020・11・07、後半部分、加筆修正。
老執事から夕食の用意が出来たとの知らせが入った。
修道女の話とその後の傭兵のお説教で気が付いたら随分と時間は過ぎていたらしく、結局は全員で食堂へと移動し夕食を取る事となったのである。
彼女の分だけならばもう少し早く出来てはいたらしいのだが、話が弾んでいたから状況を察して老執事が区切りの良い所まで声を掛けるのを遅らせて待っていてくれたらしい。
まあ、主に話をしていたのは二人だけで、その他の私達はどちらかと言えば周りでそんな二人の姿を眺めてほっこりしていただけなのだが、『二人の事を見ているだけで充分に楽しかった!』と、エアやお母さん達の満足げな表情が言っている。それを見れば老執事の判断が正解だったことがよく分かるだろう。彼の観察力は相変わらず素晴らしい。
それに、修道女がベットから立ち上がろうとしたのだが、力が上手く入らなかったのか少しだけ『ふらっ』と体勢を崩しかけてしまい、その瞬間にサッと傭兵が横から支えに入って彼女を助けた時には、エアとお母さん方はもっと大喜びしていた……『うんうん!そうね!そうじゃなきゃね!』『やっぱこういうのって、いいわよね!』と何度も頷きを繰り返している。
その上、支えに入った事で二人の距離は自然と近くなり、彼女は少し恥ずかし気に彼を見て、彼もまた至近で彼女を見返した事で、二人の視線は交わり、見つめ合ったそこには一瞬二人だけの『間』が生まれた。……その『間』を見た、エアやお母さん方は『あっ』と小さな声を漏らすと、それからはもうずっとニヤニヤしている。
そんな不思議な『間』を……はてさてなんと言ったらいいのか、この手の話を苦手としている私にはよく分からなかったが、何となくその瞬間二人以外の存在は全て背景と化していた事だけは確かであったと思う。
二人からすると、私達は今強めのぼかしが入ったかのように霞んで見えなくなっている事だろう。
そんなぼかしの入った背景の先で私達は、微笑ましくそんな二人を見守り続けたのである。
そして背景達は二人の邪魔をしない様にと、一人一人空気を察して『そろーりそろーり』と静かに部屋を出ていき、食堂へと先に向かう事にした。
廊下に出たお母さん方は『甘酸っぱいわね~』と囁きながら心の底から楽しそうに笑っており、エアもまた少し感慨深そうな表情で部屋を出て行ったのであった。
「うっ……」
すると、姿が見えない私と精霊達しかいなくなった部屋の中で、二人は顔を真っ赤に染めている。……どうやら廊下に出たお母さん達のそんな囁き声は、小音でも静かな室内の中にはよく響いてしまったらしい。
ただ、恥ずかしさで二人共顔を赤らめてはいるけれど、決して悪くはなさそうな表情だった。
未だ彼女が弱っているのは本当の事なので、彼女を支える傭兵の表情からは彼女の事をこのまま放ってはおけないという強い意思を感じるし、彼女の方もそんな傭兵の頼もしさに安心を感じているのが見ていてよく分かる。
修道女は傭兵へと素直に身を寄せると、重さを半分だけ彼に預けるかの様に腕に確りとしがみ付いて寄りかかっていた。
出会ってまだ間もない二人だろうけれど、もう互いに相手に対して好意的に想う部分がある様に見える。『信頼』を育み始めようとしている──そんな新たな関係を築こうとしている二人の、とても心地良い雰囲気がそこにはあった。
『…………』
……さてと、それでは私もそろそろ食堂へと向かう事にしようか。
正直、姿が見えていないと言う事もあって、私は少しのんびりとし過ぎてしまったようだ。
こういう時には見守る方にも『思いやり』が必要なのだと、昔友から教わった教訓を思い出しながら、私も急いで食堂へと向かう事にした。
……因みにだが、精霊達は普段からこういう話題が大好きらしいので、最後まで密かに二人を見守り続けていたらしい。逆に見守り続ける事が彼らなりの『思いやり』なのだとか。
そう言う訳で、私達が去った後に傭兵と修道女の間でどんな会話が交わされたのかは、二人と精霊達だけの秘密なのであった……。
「……あのー、あのお部屋って何ですか?」
──その後、食堂へとやって来た皆で一緒に夕食を取ると、修道女もようやく元気が戻ってきたのか顔色もだいぶ良くなっている。
ただ、食堂から先ほどの部屋へと戻る途中で彼女は足を止めると、とある部屋の扉をジーっと見つめだして突然そう尋ねてきた。
見るとそこは『第三の大樹の森』がある部屋であり、彼女はその部屋から何か不思議な雰囲気を感じとったらしい。
部屋から魔力や何かが漏れ出ているわけではないと思うのだが、なんとも不思議な話であると私は首を傾げる。……いったい彼女は何を感じたのだろうかと。
──まさか、ここに『大樹の森』があるだなんて分からないとは思うけれど、屋敷の皆も内心少しだけ『ドキッ』とした表情を浮かべていた。
「──この扉の先からは、まるで教会の礼拝堂の様な雰囲気を感じます。──もしかして、お屋敷の中に礼拝できる場所があったりしますか?」
……流石に、いきなり『森があるでしょ!』と言い当てられる様な事は無かったようだ。
ただ、どうやら彼女からすると、『第三の大樹の森』の雰囲気は教会の礼拝堂に近い雰囲気があるらしく、扉越しでも何やら神聖な雰囲気を感じるのだとか。
日頃から『祈り』を習慣にしている彼女にとって、その感覚は間違えようもない筈だ。
……そう言えば、確かに『マテリアル』対策として各地の『大樹の森』には浄化を強めに施していた為、それを感じ取っていると言う可能性もあった。
だが、何にしても彼女はだいぶ神聖な空間に対する感知能力が高いようだ。
普通は扉越しでそんな気配を感じるのは……無理とまでは言わないけど、かなり難しい事だと私は思う。これは恐らく彼女だからこそ成せる特技なのだろう。
そんな彼女からすると、屋敷に礼拝堂の様な部屋を作っちゃうほどの人達ならば、きっと自分と同じく信心深い人達だろうし『祈り』も習慣としているのかもしれないと……思わず共感してしまって素直に嬉しくなったようだ。
『……良かったらわたしと、一緒に祈りませんか?』と、そう誘って来る彼女の表情は凄くキラキラと輝いて見える。
その表情からは同じ趣味の人と楽しい時間を分かち合えたら嬉しいなと言う、そんなワクワク感が感じられた。
「…………」
……だがしかし、当然の如くエア達は『祈り』を習慣としているわけではないし、その部屋もまた礼拝堂などではない。扉の先には『大樹の森』が広がっているだけだし、『祈り』に興味を持っているわけでもない。
「ごめんなさい」
だからエア達は、素直に彼女の誘いを断る事にしたようだ。
『大樹の森』は特殊な場所でもある為、その存在を伝えるわけにもいかないだろうし、『祈り』に対して興味はないからと素直に答えた。
「……そ、そうですか、残念です」
「……ごめんね」
「いえいえ、わたしこそお世話になっている方々に、急にこんな事を言ってしまってすみませんでした……」
『ただの自分の想い違いだったのか』と知った彼女は、少しだけ『しゅん』としている。
仕方がないとは言え、少し前まであれほど楽しそうに笑って誘っていた姿を思うと、彼女のその『しゅん』とした姿は中々に心苦しくなる光景であった。
だから──
「──お、俺は結構、普段から『祈る』事も多いなぁ。傭兵だし、命をかける場面も多いしよ」
「そうなんですか!」
「お、おう!もちろんだっ。教会の事も実は少し詳しい。逸話も大体知ってる。『聖人』の事も、まあまあ好きな方、だな……だから、何だったら俺が一緒に『祈り』に付き合うし、話も聞くが、どうする?」
「ほんとうですかっ!わーっいいですね!嬉しいです。良かったら一緒に逸話の話とかできたら……」
「ああ、もちろんだ!喜んで──」
──きっと、彼は修道女の落ち込んだ表情を見ていられなかったのだろう。
彼は咄嗟にそう言った。すると、彼女は凄く嬉しそうに微笑んでいる。
……そんな彼の優しさを感じる一幕に、彼女もにっこり、周りもにや……ニッコリしていた。
そうして、二人が楽しそうに『聖人』談義を語り始める姿に、皆間違いなくほっこりしている。
私も含めて全員が、『二人がこのまま仲良くなってくれたらいいな』と想っている様な気がした。
……思いやりを感じる、とてもいい一日であった。
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