第361話 壁。
路地裏に倒れた腹ペコ修道女を介抱した強面の傭兵。
そして、彼に支えられる様にして食事を取り、少しお腹が膨れた所で彼女は『ふっ』と意識を失ってしまった。……どうやら体力的にも限界だったのか、眠りについてしまったらしい。
流石に、眠ったままの女性を連れて、このまま剣闘場に行くわけにもいかず、相談してエア達はその女性を連れて一度『白銀の館』に帰る事にした。
修道女を傭兵の背におんぶさせたまま来た道を帰るエア達。
ただ、そのおんぶしている姿を見つめるエアの表情はとても優しく、何か感慨深そうな雰囲気がある。……エアも一時期はおんぶばっかりだった時があるので、もしかしたらその時の事でも思い出しているのかもしれない。
屋敷に戻ると、老執事達は驚きながらも急いで部屋の準備を整えてくれた。
屋敷は空間を魔法で【拡張】している為に、未だに部屋は沢山あり、修道女の部屋が一つ増えた所で問題はない。
とりあえずは傭兵用にも客間を用意しようと、二人の部屋は横並びで準備される事になった。
……先ほどなにやら良い雰囲気だった二人の為、エアが密かに気を利かせて手回しもしたらしい。
まあ、その二人の関係がどうなるのかはまだ誰にも分からないだろう。
ただ、私の傍では精霊達が既に何やらワクワクし始めている雰囲気はある。
そして、エアやエアから話を聞いた屋敷のお母さん方も……実は興味深々らしい。
……何気に周りの者達はこの手の話が大好物のようだ。
私は、この手の話は苦手な分野な為、少し離れた場所で皆が暴走しない様にと見守っていようと思う。
まあ、何かが始まるかもしれないが、何も始まらない事も多々ある話だ。
なので、現状はまだ周りが勝手に騒ぎすぎるのは良くないだろうと、皆は冷静を装いつつワクワクしながら観察するつもりでいるらしい。……なんとも相反する状態に感じるが、私以外の皆はとても器用だ。
ただまあ、今回に限れば何か少し不思議な雰囲気が漂っているのは少しだけ私にも分かった。
何故なら、修道女を助けてからの傭兵の挙動が何やらだいぶおかしな事になっているのだ。
なんと言うのだろうか、それまでの硬派なイメージが崩れかかっていると言うのだろうか、いや既にもう崩壊してしまっていると言うのだろうか、……何とも表情が定まっていないのである。
彼が修道女を見る視線は、まるで『戦場に咲く花』を見つけてしまったかのような、そんな一時の安らぎを得たと言うか、一目ぼれをしているみたいと言うか、そんななんとも複雑な表情をしている事が多いのである。
彼自身、命の危機をエアに救われた所を助けられたばかりであり、空腹で倒れた彼女を助けた事で自身との共通点を感じ、自分の姿と少し重なって見えて居たりもするかもしれない。……まあ、気持ちは分からなくはないし、今のは私の勝手な想像なのだが、とにかく何とも言えない雰囲気がある様に私からも見えたのである。
……あっ、こらこら精霊達よ。見えてないからと言って、彼の背を突くのはやめてあげなさい。彼も何やら怪しげな雰囲気を感じるのか何度も背後を振り返っているではないか。
そもそも、修道女もまだ寝ている所なのだから、『頑張って距離をもっと詰めろ!詰めるんだ!積極的に話しかけに行け!』と応援しても、どうにもできないだろうに……。
だがまあ、私はそんな精霊達の姿を見るのが嫌いではないので、一人内心で微笑ましく思っていた。彼らが楽しそうと言うだけで私も不思議と自然に楽しくなるのである。
……ただ、そんな精霊達から少し離れた所には、今回は珍しい事にエアが一人だけ部屋の壁に寄りかかっており、傭兵と修道女の姿をこれまた微笑ましそうに眺めているのを私は発見した。
内心、エアのその様子を少しだけ珍しいと思いながら私は傍へと近づいてみる。
ほんの少し前までは屋敷のお母さん方と一緒になって、傭兵と修道女の間に育まれそうな『甘い何か』について楽し気に語り合っていたと思うのだが、彼が彼女の部屋に水差しやら柔らかい果物を幾つか持って行く姿をみてから、これまたおんぶを見ている時と同じ様な何やら感慨深そうな表情をエアはしているのだ。
私からすると、そんなエアの姿もまた、見た事がない姿の一つであった。
それに、傍に近寄ってようやく分かった事なのだが、自然とエアの周囲には不思議な魔力が小さく放出されている事に私は気が付いたのである。
……そして、簡単に言えば、それは『想い』であり、『声』であった。
精霊達に自分の想いを伝える時にも使う──例の魔力に想いを乗せる方法である。
その方法を使って、エアは無意識のまま自然と想いを乗せて、魔力で『私へと語りかけて』いた。
『ロム、聞こえてる?』と。
『わたしと初めて会った時の事、覚えてる?』と。
『昔のわたしもあんな感じだったのかな?』と
『ロムもわたしに、あんな風に世話をやいてくれたのかな?』と。
前はあんなにもたどたどしく単語でしか語り掛ける事が出来ていなかったのに、上手くなったものだと私は感じている。……そして、その問いかけてくる内容も含めて、私はエアのその『声』で胸がいっぱいになった。
エアは彼らの姿に、密かに『自分の昔の姿』を重ねて見ていたらしい。……いや、もっと正確に言うのならば『私とエアの姿』だろうか。
──まあ確かに、私から見ても今の彼らの状態と私達は少しだけ重なる部分はあると感じた。
エアも腹ペコだった所とか、食べて直ぐ寝てしまった所とか、おんぶも、今思えば確かにそうだったかもしれない……。
『…………』
そこで私は、エアの自然と漏れ聞こえてくるその魔力の『声』に、一つずつ『届かぬ返事』を返していった。
『聞こえているよ』と。
『覚えているよ』と。
『エアと私の出会いの方が、もっと刺激的な出会い方だったんじゃないか?』と。
『私がやりたくてやった事だから、世話を焼いているだなんて全く思っていなかったぞ』と。
互いに『想い』は魔力にちゃんと乗っているのだが──本来は目に見えぬ精霊とも『想い』を交わせるその方法でも──私はエアと直接干渉する事が未だに叶わなかった。
私の状態は厳密には精霊達と似た状態に近付けているだけなので、本質的には異なる為に上手くいかないらしい。……伝わって欲しい想いはまだまだ届いてくれないようだ。
『…………』
──だが、それでもエアは少し嬉しそうだった。
他の誰かに語っているわけではなく、エア本人としてはただただ昔を懐かしんでいるだけなのだ。
ただそれが、魔力に乗って、自然と少し漏れ出てしまっているだけなのである。
……例えるならば、それはちょっとしたハミングが横に居る人に聞こえてしまった、みたいな話だろう。
人も精霊も、他の誰にも気付けないそんな『小さな歌』を、壁に寄りかかりながら私達は互いに送り続けていた。
……そして、エアとは違い、『届かぬ歌』を口ずさみながら、私は少し苦笑する。
できる事は増えた筈なのに、他のどんな魔法よりもそれが今は難しくて、何とも言えないもどかしさを感じる私なのであった……。
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