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鬼と歩む追憶の道。  作者: テテココ
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第36話 スパルタ。



 エアが魔法を使って水を浮かべ、それを自分で『天元』に水の魔素として通せないかを試していた。

 漸く暑い季節が終わりにさしかかっていくそんな中で、エアは【回復魔法】も覚え順調な成長を見せている。


 毎日基礎である体内循環を意識し魔力をスムーズに動かしていくエア。

 無意識で出来てしまうからこそ自分で意識して負荷を強めて行く事で、更に基礎力を上げていく。

 この地道で果ての長い行為が魔法使いの技量を大いに高めてくれるのだから、ここを疎かにしている者は魔法使いとしての終わりである。



 その困難さを例えるなら、腹筋を常に意識して、お腹を凹ませている様な状態。それを全身で行う様なものである。


 流れが滞らないように、変に意識し過ぎて歪にならないように、繊細な意識配分と、気が遠くなるような時間を集中し続けていく。

 魔法使いになる。その技量を上げると言うのはそういう事の連続なのであった。



 だが、そういう辛い時期も過ぎてしまえば日常へと変わる。常に腹筋を意識し凹ませるのも、続けていればそれが無意識で出来る様になる日が来るのだ。


 そして、今のエアの魔法使いとしての技量を説明するならば、それを乗り越えた先に踏み出そうとしている。そんな状態であった。

 漸く意識しなくても凹ませられるようになったお腹を、また更に意識して凹ませていく。そんな感覚である。

 この作業にも終わりはない。どれほど技量が上昇するのかも不明である。個人差によるものであるとしか言えない。

 だが、この先に、精霊と出合える道が待っていると知っているエアの集中力は凄い。



 見た目は十分に成人しているが、中身は幼子のまま。

 だけれど、そのおかげか、夢中になったことには対する貪欲さは純粋で、脇目を一切振らず延々と繰り返す事が出来る。それがエアの日常になろうとしている。



 私の魔法に対する教えはスパルタだ。自分の時が毎日死と隣り合わせに居ながらこの作業を繰り返していたのだから、これが出来なければ死ぬと言う思いで、毎日毎日必死になってやっていた。

 だから、エアにも私は甘えさせる事は一切なかった。




「ふむ。エア、少し疲れたろう。フォローを多めにしておく。少し果物も食べて甘い物成分を補充しておくとよい。頭がスッキリする」


「うんっ!」



 本日のエアのやっている事は少しレベルが高かったので、私は隣に居て、少しだけ、ほんの少しだけエアのサポートに徹していた。

 魔力の流れが歪になりかけていたらそれとなく私の魔力で手を引いてあげる感覚で正道に戻してあげる。

 バイタルに乱れが有ってはいけないので、無理をし過ぎだと判断したところで適度な休息を入れる。

 ご飯も食べずにただ根性論だけで馬鹿正直にやり続けてきた私の時の反省を活かし、適度な食事、適度な運動、適度な休憩、適度に魔法、それらをローテーションで繰り返していくのである。


 そうする事でこのトレーニング全体の効果を無理なく最大限に高めていき、要は効率が良く質の高い物にしていくのであった。



 ……さっきと言っていることが違う様に感じてしまうかもしれないが、基本的な大変さは変わらない。エアはひたすら魔法的腹筋を意識している。

 ただ、エアの場合はその合間合間に追加でそれらを適度なタイミングで挟む事によって、私の時よりも更に無理なく効果高めに進める事が出来ると言うだけの話であった。



 "オーバートレーニング"と言うのを聞いたことがあるだろうか。

 私が冒険者時代に行っていたのはまさにそれである。

 結果的に私の場合はそれで成功に繋がったから良かったものの、過剰な訓練によって慢性的な疲れが積み重なり、著しく回復やパフォーマンスが落ちてしまうその様なトレーニングは、本来やらない方が絶対に良い事なのであった。


 私が今サポートしているのも、エアがそうならないように注意しているだけの事で、これは甘えとは違う。……ん?なんだい精霊諸君。反論があるなら聞こうじゃないか。それでも過保護じゃないのかって?いやいや、そんなわけないだろう。これはあくまでもスパルタ教育だ!




 ──今になって時々私は思うのだ。


 なんで私は、冒険者時代、あんなにずっと森で戦いながら魔法の練習をしていたのだろうかと、少し前まではずっと思っていた。エアと出会う前までは特に。


 あの時はあれが最善だとは思っていたが、よくよく思えば、あんな泥水を啜りながら訓練をして、体調を崩しながら死にかけて続けるよりも、普通に街で生活しながら確りとした食事をとって毎日疲労なく全力でやった方が良かったんじゃないだろうかと。


 ……何が本当に正解なのかは分からない。私のあれにも全く意味がなかったとは思わない。


 ただ、ずっとしこりの様に残ってはいたのだ。私の行いに意味を与えるならば、それはいったい何で、どうすればいいのだろうかと。


 だから、今になって私はその答えを得られた気分になった。

 エアに教える立場になって、私のアレにも意味がちゃんとあったのだと。あれを経験したからこそ私は今、エアにこういう教え方をする事が出来るのだと。


 全てが間違いだったとは言わないが、胸を誇れないあの日々にも意味があったのだと、こうして思える日が来たのだ。



 あんな馬鹿みたいな地獄の様な日々を、毎夜の寂しさと嘆きを、もう誰にも味わわせることない。それのなんと幸せな事だろうか。

 そして、そんな反省を受けて、すくすくと育っているエアを見ていると、あの時の自分に許しを、癒しを与えてやれるような、そんな気分になる。私はこうする事で救いを得ている。



 もちろんエアの頑張りはエアだけのもの。

 そして、私の頑張りは私だけのものだ。



 時として、自らの経験の方が他者よりもきつかったなどと自らの不幸を吹聴し、他者へとそれを押し付けるものも居るが、それはただの愚者の発想である。

 それがもし私と同じ誰かを教え導く立場ならば、それほど教える事に不向きな者はいないだろう。


 何故なら、きつかったと、あれは失敗だったと本人が自覚しているのに、それをわざわざ繰り返させているのだから。


 それ以外に全く方法がないなら話は別かもしれない。

 だが、そうではないなら、変えるべきだ。変えなければいけないだろう。

 そうしなければ、己もまた救われないのだから。



 私は、エアの顔を見た。

 エアは私へと無邪気に笑みを返してくれる。

 これが私の救いである。


 過保護?いや、何度も言うがこれはスパルタだ。

 私にとっては特に。

 過去の自分の過ちを正すと言う、自分にも厳しいスパルタ教育なのだ。

 過ちを否定するのではなく、改善していく日々なのである。



「……うううーー、できたあーーーっ!」



 そうして、寒い季節が来る前に、一日を掛けてではあったが初めてエアは『天元』に水の魔素を身体全体へと通す事に成功した。



 普段の艶やかで綺麗な黒髪は、どこまでも透き通るかのような青色へと変わっている。


 エアはその青色の髪を揺らし、いつもとはちょっと違う雰囲気で、いつもとは変わらない無邪気さのまま、それはそれは綺麗な笑顔を見せた。

 



またのお越しをお待ちしております。

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