第357話 無垢。
「そうですか!あの方は無事なのですね!」
食堂に入り、美味しそうなお茶と焼き菓子を頂きながら、エアは『白銀の館』の皆へと今回の旅の経緯を話し始めた。
ただ、全部をそのまま語ると精霊達の事までも言及しなければいけないし、皆を混乱させてしまうだろうからと、今年の冬から暫くの間は私が忙しくて顔を出せないけれど元気にやっていると言う事と、皆を心配させたくなくてエアが私に頼まれて今回は一人でやって来た事、それからその度で偶々怪我をしていた傭兵の彼を治療をする機会があり、その縁で今回は彼がエアの護衛役としてここまで一緒に来てくれた事などを、分かり易い様にと簡単にエアは説明していた。
子供達も居るし、お母さん方に血生臭い話をするのも嫌だったようで、エアの説明はだいぶオブラートに包まれたものであったが、それでも屋敷の皆は十分にエアが言いたい事を理解してくれたらしい。
特に、老執事は私が無事だとエアからハッキリ聞いた瞬間から、殊更に嬉しそうに微笑んでくれたのが私としても嬉しかった。
恐らくだが、彼は私が亡くなっていたと思っていたのではないだろうか。
彼の『ホッ』とした表情を見ていると『深読みし過ぎました。でも、ただの勘違いで本当に良かった』と言う安堵がここまで伝わって来るようである。……大丈夫だ。私はそんなに軟じゃない。
「あの方ってのは、嬢ちゃんの師匠さんの事か?」
「うん。そうだよ。ロムの事」
「じゃあ、嬢ちゃんの師匠が貴族って事か?」
「……?ううん。ロムは貴族とかじゃないよ」
「こんな屋敷を持ってるのに?」
「うん。ここって別にロムのお屋敷ってわけじゃないし」
「……ん???」
そして、エアの話を聞いていると、今度は傭兵が私の事に興味をもったらしく、色々と質問をし始めた。
どうやら彼からすると、私やエアはどうにも貴族に思えるらしい。
商人でもないだろうし、これだけの屋敷を持っているのならばきっと貴族なんだろうと漠然と思ったのだろう。
正直言って、老執事の雰囲気はまさに爵位の高い執事のそれだろうし、そう思ってしまうのも分かる話ではあった。
それに、彼の勘違いを正そうとエアが説明しても、傭兵からすると私達と屋敷の皆の関係性が不思議に感じたのだろう。
『じゃあ、この屋敷の持ち主でもないのに、何で皆して師匠の屋敷みたいな言い方をしているんだ?』と、彼がそんな疑問を抱くのも分からなくはない話であった。
……まあ、実際はただ私が色んな場所から彼らを連れて来てしまっただけの話である。そこまで大した理由もないのだが──
「──それは、我々があの方を尊敬しているから、ですね」
「夫も子供も私達も、前に居た場所に居られなくなっていた所を、ロムさんに救われたんですよ」
……だが、私が大した事はないと思っていた事は、老執事を含めて屋敷で暮らすお母さん方には充分に大した事であった様で、皆は口々に私やエアの事を褒め始めてしまった。
傭兵の問に対しても、屋敷の皆は自分達がどれほど私達に感謝しているのか、一人ずつ語り始めたのである。そして、『これだけ感謝しているんですから、そりゃ屋敷の名前に恩人の名前くらい入れたくなるのが普通でしょう!』と、そんな極論まで持ち出し始めている。
……正直言って、私はそれを聞いていると流石に途中から恥ずかしくなってしまった。
素直な好意と言うのはなんとも気恥ずかしいもので、嬉しいのだけれど、なんとなくもどかしい気持ちがが止まらなくなるのである。だから、それ以上の私に関しての褒め言葉は割愛させて頂いた。
それにもう、助けたと言っても何年も前の話なのである。
既に、私がした事以上に皆から色々と良くして貰っているのだから、そんな永遠と恩義を感じる必要もないだろうと私は個人的には思っていた。
『…………』
何より、私は少なくとも、もう彼らを……か、かぞくだと、そう思っているのだから。
あまり感謝され過ぎるのも、その、違うと思うのである。
迷惑など全然迷惑ではないし、いくらでもかけてくれて構わない。
困っていたら解決する位なんでもないのだ。
……まあ、今の私はそんな言葉を伝える事が出来ないのだが、もし仮に今の私の姿が皆に見えていたとしても、ちょっと伝えるのは気恥ずかしさを覚えてしまって、上手く伝えられる自信は全くないのだけれど。
なんにしても、とりあえずはもう良いと思うのだ。
この話はそんなに広げなくてもいいと私は凄く思った。
だが、そうは思っていても全然この話が止まる気配がない。……や、やめてくれ、もうあまり私を褒めないでくれ。
私は屋敷の皆が思う程、そんな高尚な存在でもないのである。
え、エアも皆になんとか言ってあげて欲しい!と私は心の中でエアに願っていた。
「そうだよ!ロムは本当に凄いんだからっ!わたしなんて全然だから、もっとロムみたいにがんばらなきゃ!」
……むぐぐぐ。エアのその言葉によって、最初はエアと私の二人に向いていた矛先が、いつしか私のみに向く事になってしまった。
そして、そこから先はエアも屋敷の皆と一緒になって嬉々として私の事を自慢し始めてくるのである。
普段のエアならば、冒険者として人の力を勝手に吹聴したり、目立つ様な話をする事を避けてくれる筈なのだが、どうやら今日はノリノリのようだ。いやむしろ『もっと話したい!もっと話をさせろ!』と言いたげな表情でもあった。
──どうやらエアも参加した事によって、新たなる燃料も追加され、話は私の想いとは裏腹に更に大きく盛り上がろうとしている……。
「……それに、恐らくですが、少し前にありましたが『マテリアル』の影響で発生したと思われる各地の騒ぎについても、『癒しの魔法』で我々を守って下さったのは我らが主なのではないかと……わたくしはずっと密かにそう睨んでいたのですが……エア様、実の所は如何なのでしょう?」
「うんっ!実はねそうなんだっ!各地に回復と浄化の魔法を使ったのはロムなんだよっ!」
──おおおおおおお!
老執事とエアのそんな会話に、屋敷の皆は大いに湧き上がっていた。
……だが、その話をきっかけにして、場の空気はまた少しだけ風向きが変わっていく事になる。
老執事の言葉にエアが同意すると、屋敷のみんなは『やっぱりそうだったのか!』と、歓声を上げて盛り上がっていたのだが……そんな中ただ一人だけ──傭兵の男だけはその話に心底驚愕すると、急にその強面を顰めて不機嫌な表情を浮かべ始めていた。
世界各地に突如として発生した『マテリアル』の件は、どの街でも大きな騒ぎにはなったが、屋敷の者達は元々危険性を考慮して『マテリアル』にあまり関わらない様に生活していた為に、被害は殆ど無かったのである。
だから、それだけ大きな問題を解決していたのが、実は自分たちの身内であると知って、彼らはただただ素直に喜んで、盛り上がってくれただけなのだ。
──だから、一つ言える事は、彼らに悪気なんてものは何一つなかったのである。
私の事をただ褒めようとしてくれただけで、『自分達は被害にあわなくて良かった』等と思ったわけでもない。……ただ喜んでいただけ。
だがしかし、時に人の心とは難しいもので、同じ言葉を聞いていたとしても受け取り方が異なる事が多分にある。
そして、違うとは分かってはいても、自然と心に湧き上がってくる感情が止められない時はどうしてもあるものだ。
だから……
「……あんたら、あれだけの騒ぎがあったのに、随分と嬉しそうだな」
……と、少し棘がある声音と共に零れ落ちたその言葉は──その騒ぎによって命を失いかけ、仲間との関係も全て失い、ここまでただただ恩人に恩を返すためだけにやってきた傭兵にとって──無意識の嘆きそのものであった。
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