第353話 呆気。
船旅は初めは緩やかに進んでいた。
交易船で普段使っている海路は、比較的安全だと言われている地域を通る様で、少しばかり遠回りをしている。その分だけ当然大陸に着くまで時間はかかるのだが、それで海の巨大な生物達を相手にしなくてもよくなるのであればそれはとても賢い選択であろう。
「嬢ちゃーーんッ!後方にも現れやがった!対処してくれーーッ!」
「すぐいくーっ!」
だがしかし、不思議な事に私は昔から海に出ると必ずと言っていい程に奴等と出会う。
と言うか向こうから寄って来る。それも安全だと言われる海路でもお構いなしだ。
だから基本的に私は、海を渡る際には最短距離を突っ切る事にしていた。
その方が結果的には遭遇回数が減らせるのである。
長く海に居ればいる程、敵との戦闘回数はどんどんと増えていくのである。
……そして、そんな状況が此度もまた『お約束ですね!わかっていますよ!今すぐに襲いに行きますからっ!』と言わんが如く、海の生物達を引き寄せていた。
船からは未だ先ほど出航したばかりの港街の姿が小さく見える範囲である。
それにも関わらず、奴らはどんどんと集まって来て居るようだ。
この遭遇率は流石に少し私も異常だと思う。
……もしかしたら、私が成長した事によって彼らとの遭遇率も上がったと言う事なのだろうか。だとしたら、なんとも嬉しくない。
それに、私が対処するならばまだしも、エア達がそれで苦労していると言うのだから何とも申し訳が立たない話であった。……これはちょっと、一度距離を置いた方がいいのかもしれないと私はお思った。
いくらエア達が優秀だとは言え、連戦に次ぐ連戦は流石に魔力の枯渇を招くだろう。それにエアに無理をさせるわけにもいかない。
──という事で、私は精霊達にも説明し、彼らにはエア達の様子を引き続き見て貰う事にして、私は魔力の探知をしながら一人だけ魔法で飛んで離れる事にした。
すると、案の定と言うか、海の生物達も私の後を追うように段々と船を離れる様になり、船には安息が訪れている。……やはり原因は私だったらしい。なんとも微妙な心境である。
それに、本来ならば海の生物達にも今の私の姿は精霊達の姿と同様に見えない筈なのだが、彼らは魔力にでも反応しているのか、バッチリとこちらを目標に追いかけ続けて来た。
……だが、魔力を抑えても別に普通に追いかけてきている様なので、とりあえずはこのまま奴等を引き離し続ける事にする。どこか遠くまで引っ張って撒いたら、【転移】でまた戻れば良いと私は考えたのであった。
──だがしかし、ある程度まで引き離したところで、私は水中の生物達から急な魔力の増大を感じたので、一旦空中で留まる事にしたのである。
そして、少々魔力の通りは悪いが、少し強引に海の中の様子も魔力で探知しよく視てみると、そこでは海の生き物達が急に『変質』し始めている事に気づいたのであった。
その変化は、先の『マテリアル』の変質と根本的には似た様なものである。
なので私は、前回の経験を活かしすぐさま【回復魔法】と【浄化魔法】を海の生き物達に施そうと思い魔法を使ったのだ……がしかし、不思議な事に今回は魔法を弾かれてしまったのだった。
『……ふむ?』
……正直、表情には出ていないかもしれないが、私はその事に驚きを覚えた。
そして、観察していると海の中の生物達の『変質』はどんどんと進み、遂には完全に別の生き物になってしまったかのように身体を攻撃的に変化させてしまったのである。
それまではただただ普通の魚の形だったものは、ヒレや鱗が硬質化しまるで刃の様に変化したり、歯はギザギザに尖り鋭さを増している。
当然の如く、海の生物達の中に混じっていたクラーケンなどは、更に身体が一回り以上大きくなり、彼らの攻撃方法でもある触手が沢山増え始めた。
そして、その『変質』を遂げた者達は一様に、空中に留まる私の事を水中から『ジーッ』と見上げ続けているのである。
……それによく視ると、奴等の瞳にはどれも『変質』を遂げる前までは無かった『知性』の様なものを感じさせた。
『……なんだあれは』と、流石に私も内心で感じた気持ち悪さを言葉に発していた。
正直言って、不気味が過ぎる。
普段ならば、こうしていると、クラーケンなどは愚かに触手を伸ばして叩いて来たり、【水魔法】を使ってこちらに攻撃してくるだけなのだが、そんな行為をする様子が全く無い。まるで私の様子を観察する事だけが目的かのようだ。
──と言うか、やはり奴らは完全に私の姿が視えているらしい。
私が少し魔法で横に移動すると、奴等の視線もまた私の事を追っているのである。
『…………』
ただ、私の癖の様なものだろうか。
不思議で不気味な奴等に忌避感はあるが、ちょっとだけ試したい欲も湧き出てきてしまったが故に私は敢えて奴等に向かって接近する事に試みたのであった。
『奴等はあのまま視ているだけなのか?それとも近寄ると攻撃を仕掛けてくるのか?』と言う単純な疑問が浮かび、敢えて飛び込む事で奴等の考えや狙いがどこにあるのか、またはその瞳に感じる『知性』は真なのか、色々探ってみる事にしたのである。
同時に私はすぐさま魔力の探知を広範囲へと広げ、この『変質』が海中のどれほどの範囲にまで広がっているのかも調べ始めた。
もしかしたら、海の生き物達の全てが目の前の奴等と同じになってしまったのだとしたら、それは前回の比ではない程に大変な問題であろう。
それに、一番は船に乗っているエア達にも何かしらの危険があるかもしれない。
船から距離は離したが、このまま放っておける様な問題ではなくなってしまった。見逃す事は出来ないだろう。
──ただ、そうして私が奴等に近寄って行くと、一際大きなクラーケン以外の海の生物達は私から離れていき、そのクラーケンだけが沢山の触手を私へと伸ばして攻撃してきたのであった。
『変質クラーケン』の触手は今までにない速度で海を突き抜けてくる。
それも、今は増えた大量の触手によって、四方八方から私を包むように攻撃が迫って来ている。
……クラーケンがそんな複雑な攻撃方法をとってくる事などこれまでは無かった事だ。
やはり『変質』によって奴等は『知性』を得ているのだろうか。
奴の瞳からは『これなら逃げられまい!』と言いたげな、まるで勝利を確信するかの様な仄暗い喜びと、決して逃がさないと言う強い意思を感じる。
……どうやら今までのクラーケンとはひと味違うらしい。
ならばと、私は今までクラーケンを倒すために使ってきた手段が、『変質したクラーケン』にも通じるのか試してみる事にした。
そこで私は先ず、四方から迫りくる奴の触手や身体の動きを完全に魔法で固めて、そのまま海の上まで引っ張り上げてみる。
全長百メートルを優に超すその巨体は、確かにこれまでに見て来たどれよりも大きく育っており、幾分かここまで引っ張りあげるのが大変だったような気がする。
『…………』
……だが、それだけであった。
そしてついでとばかりに、私は他の『変質』した海の生物達──恐らくは私達の戦いを離れて観察でもしていたのだろうと思われる奴等──も、まとめて海の上まで引き上げて、何か反撃でもして来るのだろうかと調べてみたのである。
空に浮かぶ沢山の海産物達……と言う中々に珍しい光景が目の前には広がっていた。
ただやはり、どの海産物も姿形が多少変わっただけで、クラーケン同様それ以上何かをして来る事はなかった。
『マテリアル』による『変質』が海の生物達にも影響がある事は驚きであったが、危険は今の所あまりなさそうである。
『……ふむ』
それも、先ほど弾かれた回復や浄化も今では普通にかかる様になっている。
そして、魔法を施された『変質』した海の生物達は、それによってまた直ぐに元の姿へと戻り始めたのであった。
──だが、そうして元に戻ると、今度はまた海産物達から『知性』が失われてしまっている様に私には視えたのである。
……これは、どういうことなのだろう。
それと、広範囲を魔力で探知していた結果なのだが、どうやら海の生物達で『変異』をしたのは私の事を追いかけて来た海産物達だけで、それ以外の生物達には何の影響も出ていない事が分かった。
『…………』
正直、現状では突然どうしてまた『変質』がいきなり起こったのか、私にはその原因がなにもわからなかった。……きっかけはなんだ。偶々なのだろうか。
ただ何にしても、元には戻ったとは言え奴等を見逃すのは嫌な予感があった為に、空に浮かんだ海産物達には魔法で存在ごと消えて貰う事にしたのであった。
もし私の見ていない所で再度『変質』してしまったらと考え、ここで放っておくのは何か恐ろしい事が起きる気がしたのである。
『……まて、やめろ、我を殺せば、この海がどうなるか知ら……あっ──』
『……ん?なんだ?今、誰かの声が──いや、魔力で焦ったような想いが伝わって来た様な気がしたが……気のせいだったか?』
空に浮かんだ海産物達を魔法で消している途中、最後に一際大きなクラーケンを消し去る所で何かが聞こえた気がしたのだが、どうやら空耳であったらしい。
──結局、海でも『マテリアル』の影響があるのだと知れた事以外は大した情報も無く、内心モヤモヤっとしながらも、私はエア達の元へと【転移】で帰るのであった。
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