第348話 一飯。
エア達が『白銀の館』に向けて森の中をひた走っていた。
今回は急ぎなのであまり街には寄らず、最短距離を突っ切っているようだ。
だがしかし、私もそうであるのだが、何故か最短距離を進んでいる時ほど不思議と想定外のトラブルに見舞われる事も多く、エア達もまた今回は面倒な場面に遭遇してしまったのである。
と言うのも、エア達が森の中を走っていると、その途中で木に身を預けながらお腹を押さえ、血に塗れて倒れている筋肉質で強面の男性を発見したのであった。
その男性の息は荒く、視界は霞んで揺れているのか、エア達の姿はあまり良く見えていない様だ。
付近は彼から流れ出た血で真っ赤に染まっており、まさに命の灯が消えるその寸前であった。
エア達は最初、そんな彼の事を横目にしながらも、スタタターと走り抜けていく……。
「…………」
……だが、暫く進んだ後にピタッと立ち止まると、少しだけエアとバウと白い兎さんは見つめ合い、『仕方ないか……』と頷きを一つ交わして、彼の元へと走り寄って戻ったのであった。
エアは魔力の探知で辺りに危険が無いかを探りつつ、彼へと近寄って行き、白い兎さんは少しだけ距離を取ってスンスンと鼻を鳴らしながら周囲の臭いなどを嗅ぎまわっている。
「だれ、だ……」
エアが近寄ると、血に塗れの彼は身動ぎしながらも傍らにある血に塗れた剣を手にしてエアへと誰何してきた。
そんな状態になってもまだ彼は戦おうとしている様子である。
命尽きようとも最後の瞬間まで彼は戦士であろうとしているのだろう。
志は立派かも知れないが、時には素直に助けを呼ぶ事の方が私は大事だと思うが……。
ただまあ、とりあえずそのまま剣を握られて攻撃されてはたまらないので、エアは彼の武器を魔法で【浮遊】させると、少し離した場所でブスっと地面に深く刺して抜きにくいようにした。
「警戒しなくていいよ。大丈夫。回復するだけだから」
そして、エアはそう言って一声かけると【回復魔法】と【浄化魔法】で彼の傷や汚れの一瞬で消し去ってしまった。
「なッ!?こりゃ」
それによって、少し前までは瀕死の重体だった筈なのに、それがまるで嘘であったかのように彼の身体は完治しきり、驚きで彼は目を見開いている。……どうだ、凄いだろう。エアの回復や浄化は既に私から見ても完璧な腕前なのだ。
エアは回復が終わったのを見ると、それ以上は何も言わずに立ち去ろうと踵を返す。
……彼がここで怪我をして倒れていたという事は、何かしらのトラブルが近くで起きたという証であり、あまり余計な事に深く関わり過ぎるとこれ以上は面倒な事に発展するかもしれない、とエアの冒険者の勘が囁いたのだろう。
ここで直ぐに立ち去れるのは、危機察知が働く良い冒険者である。
そして、現状のエアの立ち振る舞いは全て完璧であった。
私と四精霊達はそんなエアの姿を見ながら、エアには聞こえていないだろうけれども、密かに拍手喝采し『エアっ!かっこいいぞー!』と声援を送っていたのであった。
「……あっ、い、いや!おい待てっ!待ってくれっ!お嬢ちゃん!」
だが、そうしてそのまま走り去ろうとしていたエアに気づくと、傭兵の男はエアに向かってすぐさま立ち上がり、大声でそう呼び掛け始めた。
ただ、彼のそんな大声の呼びかけを聞いてしまった私達は、エアも含めて全員が少し困惑する。
そして、内心では皆きっと同じ事を考えていた筈だ。
『……うわ、トラブルが向こうから近付いて来ようとしている』と。
エアなんか、既に散々私との旅の間でも似たような展開を目にした事がある為に、『あー、これはきっと、もうこの後何かが起こるぞ』と油断なく身構えてすらいる。……流石はエア。気が早いけど達観している。
……だが、ふむふむ。
聞けば、どうやら命を救ってくれた事を彼はエアに感謝したいらしい。
そして、出来れば命の恩人に何か恩返しをさせて欲しいと言って来ているのである。
「──ううん。要らないよ。恩とかも返さなくていい。ただわたしがやりたくてやっただけだし」
「いーや、そう言うわけにはいかねえ!」
ただエアとしては、用事もあるし出来る事ならこの場から立ち去らせて欲しいと訴えた。
だが彼は、それでは自分の気が済まないと言って首を振り、エアを引き留めてくる。
私であればこういう場合、面倒だと感じればさっさと逃げ去ってしまうのだが、エアは私なんかよりもずっと優しい為、彼と確り会話をしてあげているのが何とも偉い所であった。
……だがしかし、流石のエアと言えども、善意の押し付けと言うか、恩返しをどうしても返したい彼との平行線の会話に、暫くして面倒を感じてきたようで遂には困ったような表情を浮かべ始めると、小さくため息を零している。
こういう時にはまともに付き合うと疲れてしまう事が多い。
ほどほどに人付き合い悪く行動する事も時には重要だ。
その点、私くらい口下手だとこういう時だけは大変便利である。
「……でも、やっぱりわたし急いでいるから。やっぱり恩返しなんて要らないよ。もし恩返ししたいなら、私の事は忘れて、それで十分」
「待てって!そんなこと言うなよ!それに、こんな森の深い所からお嬢ちゃん一人でどこに向かうつもりだ!見れば冒険者の『白石』だよな」
「うーん……まあ、そうだけど。わたし達はただお屋敷に行くだけだし、別に森も得意だから問題ないよ」
「屋敷?つまりは家って事か?」
「うーん、まあ、そんなところかな」
「そうかっ!なら、こんなのはどうだっ!」
すると、恩返しをしたい彼はエアへと『その屋敷に帰るまでエアの護衛をしたい』を提案してきたのであった。
彼曰く『こんな森深くの危険な場所に、可憐なお嬢ちゃん一人じゃ危険だ。俺は長年傭兵として生きて来たから、是非ともお嬢ちゃんを家まで送らせて欲しい』と言う事らしい。
「結構ですっ!」
「良いから良いから。大人の言う事は聞いておくもんだぜ?お嬢ちゃんだってこれまでなんでもかんでも一人で生きて来たわけじゃないだろう?誰かしらの大人の助けを得て来た筈だ……違うか?」
「…………」
「だろう?それにまあ、俺がこうしてピンピンしているのはある意味ではお嬢ちゃんのお節介の結果なんだ。助けたからにはそれなりの責任ってやつも生まれるんだぜ?」
「……何が言いたいの?」
「いやなに、すまねえな。ちょっとズルい言い方をしちまったが、こんな風に嫌な大人も街には沢山いるって話でよ。──お嬢ちゃん、あんたはあんまり世間慣れしてない様に見えてな?……綺麗な顔してるし、そのローブも見た所かなりの値打ちものだ。だが、森に住む筈の鬼人族が、そんな高級品を着て、恐らくは森の外のどこかの屋敷を目指しているのだと言う。だが、あんたの周りに護衛を一人もつけていねえ。装備品からどこぞの貴族のお嬢さんか、どこぞの豪商の箱入り娘にも見えるが、そりゃあまりにも不用心が過ぎる。……だからまあ、何にしてもあんたみたいなのが街に行けば誰かしらに騙されそうでな。俺みたいなもんからすると心配になるわけよ。それこそ命の恩人だし、守ってやりてえ」
「……わたし、これでもちゃんとした魔法使いだし、凄腕の冒険者なんだけど?仲間もいっぱいいるし問題ないよ。街だってこれまで色んな場所に行った事があるんだから」
「分かった分かった。だが、そん時は大人と一緒だったんじゃねえのか?」
「…………」
「だからお嬢ちゃん、あんたはきっと世間知らずなままなんだ。自分がこれまで守られて来たんだって事をちゃんと知っておいた方が良い。一人の時は特に、その違いに気を付けるもんだぜ。──もちろん、回復には心底助かったのは本当だし、感謝もしている。ありがとな。……だが、『白石』のままで自称凄腕の冒険者ってのはちょっとあれだ……まあその、なんだ盛り過ぎと言うか、なんと言うか。……まあ、とにかくはその仲間がいっぱいいるって場所まで俺も一緒に連れて行ってくれよ。そうすりゃ俺も心配しなくて済むんだ、な?」
「……心配してるの?」
「ああ。だから、頼むぜ」
……ふむ。
どうやら話を聞いている限りでは、この男性は悪い男と言うわけではない様だ。
それどころか、ちゃんと心底エアに恩を返したいと思っているし、心配もしてくれているのだろう。
私もなんとなくだが、彼の気持ちが少しだけわかる気がした。
……だが、四精霊達からすると彼はどうやら不人気らしく、『エアちゃんに気安く話しかけんな!』と言うかの如く『ガルルル』とみんなして睨んでいる。……これこれ、君達落ち着きなさい。
──そうして私が四精霊達を宥めていると、どうやらエアと傭兵の男の話し合いも決着がついたようで、彼らは少しの間だけ同道する事にしたようである。
エアは旅の仲間として白い兎さんとバウがいる事も彼に伝えたらしいのだが、どうやらそれだけでは彼の不安を解消しきれなかったようで、こうなったら一緒に少しでも旅をすれば彼も納得するだろうと説得するのを一旦諦めたらしい。
エア達は彼に自然と力の差を知って貰って、『なんだ、これなら心配する必要はなかったな』と彼に思わせたいようだ。
──という訳で、一時的にではあるが、ここにエアとバウと白い兎さん、それに見知らぬ傭兵一人と言う不思議なパーティがここに結成される事になったのであった。
そして、エアはそのまま彼の度肝を抜いてやろうと思ったのか、白い兎さん達とも目配せをして、ここまでの道中と同じ様に急に凄まじい速度で走りだし始めたのである。
……内心『しめしめ』とエア達は思っていたのだろう。
この速度で走るなら彼も実力を認めてくれるだろうし、下手すれば全くついて来れなくて既に諦めているかもしれない……そう思って、エア達は少しだけ後ろをクルっと振り返った。
すると──
「『マテリアル』解放……」
──何かを呟いたかと思えば、驚く事にその傭兵の男は全く遅れる様子も無く、エア達へと難無く付いて来たのであった。
またのお越しをお待ちしております。




