第305話 伝播。
大きさとしては、私達が貰った物の数倍はあろうかと言うその『壁画』は、とある二人の男女が壁の一面に仲睦まじい様子で描かれていた。……その画の近くに刻まれた文字を読むに、タイトルはどうやら『微笑み』と言うらしい。
「…………」
それは、どこからどう見ても見た事がある人物画であった。
……と言うか、私達だった。
ただ、私達が持っているあの絵と似ているが少し異なる部分もあり、こっちの画は私がエアをおんぶしている時の姿を、『横から見た光景』なのである。
……同じものを描いてある筈なのに、たった少し違う角度から見るだけで、こうも新鮮に感じられるのは凄く不思議な感覚であった。素直に面白いとも感じる。
それに、最近ではとんとなくなったが、あの頃はエアはいつも私の背に居た事を思い出して、『そう言えばそんな感じだったな』とほっこりした。……懐かしい話である。
「わぁー、ロムがおおきいー」
壁一面を使って大胆に描かれているその画は、確かに実際の私達よりも画の二人の方が一回り以上に大きくなっていた。
それも、あの日の私達よりも、画の中の二人は更に良い笑顔で見つめ合っている様だ。……これは少し意味深である。
……ただ、きっとそれは小さな変化に過ぎないのだろう。
これを描いた画家がどんな思惑で描いたのか、その全てを推察する事は適わないだろうが、なんとなく描かれた私達には伝わって来る想いがそこにはあった。
『今なら、あの二人はきっとこうなっているだろう』と言う、そんな『幸福な未来』を空想し、そうなっていて欲しいと願われながらこの画は描かれたのだろうと、私達は感じ取ったのである。
画が大きくなったおかげだろうか、絵の中の二人の表情は前よりも微笑んでいる事が凄く分かり易い。
とても嬉しそうで、あたたかい笑みを向け合っている。
きっと……強く願われて描かれたと言うよりは、描いていたら自然とこの画にその画家の想いが乗ってしまった様な、そんな雰囲気を感じた。
……まあ、そんな小さな変化に気づけてしまうほどに、私が前の絵を好んで見ていた事はここだけの秘密である。
ただ、そうして私が眺めていると、今おんぶしている白い糸目のプニプニドラゴンのぬいぐるみことバウも、私の背中から興味深そうに『ジーっ』と壁の絵を見つめている事に気づいた。……どうやらバウもこの画が良いと思ってくれているのか、凄く楽しそうに見つめている様子である。
……と言うか、バウだけではなく周りの人々の殆ども、私達を見て微笑んだり話し合ったりしていたのだ。
『あの二人……壁の二人とそっくりじゃない?』と言う小さな話し声は、先ほどからちらほらと聞こえてくる。
まあ、私達が何かやった訳ではないのだが、周りの者達からするとこの画の関係者だと思われているに違いない。実際、無関係ではないのでそれも仕方ないのだが、あまり注目され過ぎると私的には少し恥ずかしくもあった。
そもそも、道場の皆もきっとこの『画』がある事を知っていたからこそ、エアへと勧めてくれたのだろうとは思うが……何か企みがあるかもしれないとは思っていたけれど、まさかこんな企みだとは思いもしなかったのである。
……ま、嬉しくないわけではない。うむ。どちらかと言えば喜ばしいと思う。
それに、この画を描いた人物は、私がこの街で再会したいと思っている人物の一人だ。
……この画を見る限りでは、どうやら元気にやれてはいるらしい。
彼女にかけた『おまじない』は少しでも効果があっただろうか……。
いや、『おまじない』の効果がどうであろうと、この画を見れば彼女の頑張りは一目瞭然だった。
この壁画を見続けていると、私は彼女に『感謝を告げたい欲』がどんどんと沸きだして来てしまう。
彼女から頂いたあの絵は、今や私の宝物の一つであると同時に、目標でもあった。
それにこの壁画も、あの絵に負けず劣らず、とても素敵で素晴らしいものだと、私は心から思ったのである。……一目で気に入ってしまった。
時に、感動は言葉を超えるのだ。
上手い説明こそできないが、彼女の描くこの絵が私は純粋に好きなのである。
ただ、それがどう好きなのかを説明する為に、陳腐な言葉を並べたくはなかった。
それこそ、その画に何らかの価値を当てはめる事は無粋にも思えたのである。
気持ちで描かれたその画には、先ずは気持ちで答えたいと思った。
だから、先ず『感謝を告げたい』と思う。
そして、それが満たされたのならば、これだけの良い物を見せてくれた彼女が、喜んでくれる何かを返したいと言う感情に私は包まれていた。
正直、ここで彼女と再会できるとは思ってもいなかったのだが……もしここに居るのならばそれこそ『心からの感謝』を告げて、何か『お返し』をしたいと思う。
いや、もし会えなかったとしても、せめて彼女へと伝言を残してお土産だけでも渡したいと思い、私は意気込んでこの宿のカウンターへと近づいていったのであった。
──そうして、私達は周りの注目を浴びつつも、宿のカウンターに居た従業員だと思われる女性に、あの壁画を描いたであろう画家タマ彼女の事について尋ねてみたのである。
「これはこれはっ!ようこそいらっしゃってくれました!か、歓迎いたします!でもまさか、あの絵のお二人がこの宿を訪れてくれるとは、思っても見ませんでしたっ!」
──すると、宿の女性も大歓迎で話をしてくれて、私達が尋ねる間もなく、あの壁画や画家の彼女の事について教えてくれたのであった。
……それによると、先ず彼女はこの街にもう居ないらしいことが分かった。
そして、あの壁画はこの街での彼女の最後の仕事であり、この画を描き終わった彼女は街を出ていってしまったのだと言う。
因みにだが、彼女はこの数年でとても有名な画家の一人になっていたらしい。
その上、彼女の描く『微笑み』と名付けられたシリーズの作品はどれも人気が高く、数多くの人達から愛されているのだとか。
目の前の女性もそんな彼女が描く『微笑み』の大ファンだったようで、何とか伝手を頼って彼女にこの壁画を描いて貰えたのだと言う。
そして、この画を最後に、急に彼女は何かを思い立つと『新しい世界を見せてくれたあの二人に、私は会いに行きたい』とだけ告げて、私達を探しに旅に出てしまったのだとか……なんとも驚きの話である。
……それに、もしもこの画を二人が見に来た時には、『いずれまた、旅の途中で会いましょうね』と、そんな微笑み交じりの伝言を頼まれていたのだと宿の女性は興奮気味に教えてくれたのであった。
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