第269話 胡蝶。
注意・この作品はフィクションです。実在の人物や団体、事象などとは関係ありません。
また作中の登場人物達の価値観なども同様ですのでご了承ください。
今回の話は、ただの悪夢の一端であり、現実には起こらない、関係ない話であると言える。
──その時、私は夢を見ていたのだ。
これを直ぐに夢だと判断できたのは、隣に居たバウが今とは違い遥かに大きく見上げる程に育っていた事と、そのバウの背に乗っているエアが今より少し大人な雰囲気を帯びていたからである。
私はそんな二人の姿を見て、最初は呑気に、将来二人はこんな風になるのだろうかと思いながら、これだけ立派に育ってくれたのなら素晴らしいなと、夢の中にも関わらず私は感動していた。
そして、そんな夢の中で、私は二人にならば漠然と自分の後を、その全てを任せられるのではないだろうかと思っている。
それに、その夢の中ではもう、私はきっと動けない状態だったのだろう。
何をしている最中なのかはわからなかったが、もう二人に託すしか道がないと思っていた。
その時の私の視点はずっと、二人の姿から動かせず、隣に居る二人をただただ見上げるようにしていて、不器用ながらもきっと微笑んでいたのだと思う。
そんな私の事を見下ろしながら、二人は悲しそうな表情をしているのだが、暫くすると、突然に何かに気づいたのか横を向き、見た事も無い様な憎悪に満ちた表情でそちらに居る何かを睨みつけていたのだ。
私は、その時になってようやく、視界が動かせないだけではなく、自分にはもう魔力さえも無い事に気が付いた。普段ならば魔力で探知すれば良いとする所だが、身体の中にはもう魔力が全く残っておらず、幾ら吸収しようとしても魔力を吸収できない状態であった。
それ所か、魔力があった所でそれをどうすればいいのか、どう扱えばそれをもって魔法と言う未知なる奇跡の術を起こせるのかを、その全てを、私は忘れてしまっているようである。
その時の私の胸に感じる空虚さは、今までに感じた事が無い程に深く果てが無いのだ。
もしかしたら、その時の私はもう魔法使いではなかったのかもしれないと思った。
そして、なんとも無力であった。
だが、そんな無力な私を、バウとエアが必死に守ってくれている様であった。
激しい音と影が踊り、その陰りで二人が何かから私を守っている事を察する。
ただ、私はずっと一点を眺めたまま、視界を移動できないので、その影の揺らぎだけを感じて、二人が頑張っている事を理解した。
……がんばれ、がんばれ、と。
無力な私が出来る精一杯は、声にならないそんな応援だけである。
ただ、立派になった二人ならば、誰が相手でも負けはしないだろうと。
無力な私は、それを信じ切っていた。
満足そうに微笑みながら、続く限り世界を見続けている。
だが、そうしている内に私の視界は、段々と見える範囲が狭まっている事に気づいた。
もう少ししたら、二人が頑張っている影も分からなくなってしまうのかもしれない。
全部を喪失し、なにもかもが分からなくなったとしても、二人が頑張る所位は最後まで見ていたかったのにと、その夢の中で私はとても残念がっていた。
最後の最後に、私の視界に映っていたのは空の青さだけになっている。
ポツンとした青だけが、わたしに残ったものだった。
だが、暫くして、もう点ほどにまで視界が狭まってしまったまさにその時。
私の視界には急に空の青さから、どこか見覚えのある赤へと、美しくて目が離せない赤へと染まった。
……きっとそれは、角の色。
それを見て、私は二人が、エアとバウが無事に帰って来たのだと思った……。
それで、私は良かったなと、心が満たされた気になった……。
そんな最後の光景に、私の視界は完全に幕を閉じるのである……。
──私が見たのはそんな、言い様も無い夢であった。
ただ、それを見て目を覚ました私は、今視たそれが『何かを暗示しているかもしれない』などとは全くもって考えなかった。
何せ、結局これはただの夢に過ぎないのである。
これを不安に想う必要は全くない。
そもそも、この夢の中の私は、二人に何かを託し委ねるだけで、何もしていなかった。
それも、あんなにも悲しそうな表情をした二人を残して自分だけは去るなど、なんともダメダメな師匠であると思った。……私はそんな風には絶対になりたくない。
それに、何が起こってその様な状況になったのかは分からないが、そもそも自分が全く動けない様な状態になっているのに、何の備えもしていないのかただ見ている事だけしか出来ないのが、魔法使いとしてあまりよろしくないと私は判断する。
それはつまり、『魔法が使えない状況になっても魔法使いは魔法を使う為の方法を何かしら用意していなさい』という話で、直接的に攻撃できる何か魔法道具でも良いし、魔力を回復する為のポーションでも良いから、備えをしておくべきなのだ。
だが、そんな何かしらをあの夢の中の私が何も準備できていないのが、凄く気になった。
流石に、いくら時々ポンコツを発揮してしまう私でも、そんな初歩的な事にまで気を配っていないのは流石におかしいと思ったのである。
……よって、それで何が分かるかと言えば、あれはきっと私ではなかったのだ。
それにだ。ほら、よく見てほしい。
今この私のお腹の上で、無邪気かつ優し気な表情で幸せそうに眠る二人が、あんな顔をするなんて、信じられないだろう。
この幸せそうな二人が、あれほどの憎悪に染まった顔をする様になるなど、想像しただけで私は悲しくなった。
夢の中の私は、二人が無事なだけで心満たされていたが、それだけじゃ嫌だと、悲しいと、今の私は感じてしまうのである。
これはきっと夢の私よりも、本当の私の方がその点に関しては欲深く、エア達にはいつも笑っていて欲しいと思っているからであろう。
……だから、それを守るためにならば、私はもっと何でもする筈なのだ。
その為に必要ならば、何だって用意するし、大切な備えを怠るなど、そもそもあり得ない。
私は例え動けなくなっても、視線だけになろうとも、無理して動くし魔法も使って見せる。
最後まで諦めず頑張って何とかするだろう。
それこそが野生に生き、足掻き続けてきた、私と言う魔法使いの唯一の矜持である。
……まあ、結局はただの夢の話なので、そこまで熱くなる必要も、気にする必要もないのだが、先の光景はなんとも生々しく、夢の中の私の感情は今の私の心にも凄く響いてきたので、何となく感傷的になってしまった。
だが、敢えて再度告げさせて貰うけれど、夢の中の私と、今の私は全くの別人である。
これだけは間違いがない。
私はもっと上手くやるだろう。
だから、信じて欲しい──。
「落ち着いて。もっと安心して眠りなさい」
そう言って、私はお腹に頭を乗せている二人の頭をそっと撫でると、回復と浄化を強めに施しておいた。
……時として、魔力に気持ちや言葉を乗せて伝えるのと同じく、こういう夢や不安な気持ちなども自然と魔力を通して傍に居る誰かに伝わってしまう事がある。
つまりは、先ほどの夢ももしかしたらと、どちらかが見ていた夢だったのかもしれないと私は悟った。
なので、こういう時には回復や浄化を使ってあげる。
そうすると、悪夢も薄れ、気持ち良く眠れるようになることを知っていたので、私は二人にそれを施したと言う訳だ。
私はその魔法を掛けながら、この二人がどうか『夢の中でも笑顔でいられますように』と、沢山の想いを込めておいた。
またのお越しをお待ちしております。




