第247話 利害。
気づいたら芽吹きの季節は終わっており、既に日差しの暑い季節へと入っていた。
ただ、こちらの大陸はその名からも分かる通りにかなり涼しい。
いや、いっそもう寒いほどで、暑い季節でも普通に過ごすには厚着をせずには居られない程である。
寒さが深まるにつれ、段々と吹雪の大陸に近付いている気配を感じつつものんびりと海路を進む私達であったが、実はもう目的の大陸へと到着してしまっていた。
と言うのも、のんびりとしていたら大樹の森で毎年開いているイベントの開催時期に間に合わないと途中で気づき、私が魔法で全力で土ハウスを飛ばしたからである。
「きゃあーーーっ!速いーーーっ!!」
とエアと元講師の彼女は絶叫していたが、二人ともそこまで嫌いではないらしく笑顔で大喜びしていた。
ただ、流石に背面飛行や螺旋飛行をした時には怒られてしまったので、最終的には普通に飛び続けている。
当然、そんな事をずっとしていれば、通常航路で数か月はかかる距離も数日で済むと言う訳で、吹雪の大陸の姿が見えた所で私達はそれぞれ魔法や『天元』を使って飛翔し、こっそりと吹雪の大陸へと入ったのだった。
元講師の彼女が言う学園と言う場所は、ここの国の帝都にあるという事で、そちらもサクサクと飛翔をして進んだ。
そこまでしなくても、開催時期は好きに出来るのだから、後にずらせば良いと思う者がいるかもしれない。
……だが、私は楽しみにしている彼らを待たせたくなかった。
精霊達は本当に自分達の話と言うものを普段は全くしてこない。
長年連れ添った私ですら彼らが何が好きで、何が嫌いなのか、数えるほどしか知らないのである。
だから、前回の皆の溢れんばかりの笑顔や歓声を見て、これは大事にしていきたいと強く思ったのだ。
そして、契約の妙により、先に精霊達とのイベントを優先するという事も出来ない為、私達に出来るのは先を急ぐ事だけだった。
元講師の彼女からしたら、こんなに急ぐのは『どうして?』と思わずには居られないだろうが、『早く着けた方が嬉しい』と言ったら同意して貰えて良かったと思う。……大樹の森の事は基本的に誰彼構わず話していい内容ではないので、彼女にも詳しい事は秘密であった。
正直、今の彼女達は早く行く事よりも、『夜空』、と見た目からそのまま名付けられた縦横一メートルほどの『氷竜亀』の鱗の方に夢中である。
移動時には飛びながら魔法の訓練も重ねてやっているので、そこまで余裕はないのだが、魔力を粗方使い果たしかけると回復を待つ間を使って、その鱗の研究をし始めるのだ。
……普通であれば気を失いかねない状態だが、それでも続けるのだから彼女はなんともタフだと私は思った。
ただ、これくらいは学園の講師陣や生徒達でも普通なのだという。……やはりだいぶレベルが高い場所であるらしい。心から楽しみである。
──そうして、深い雪と氷の世界に包まれた国と、その国の中で一番大きな帝都にある最も権威ある魔法学園へと私達は辿り着いた。
「あの、お久しぶりです。学長へと取次ぎをお願いできませんか?」
この学園の元講師である彼女についていき、私達は学園の敷地に入る為の受付に来ている。
そこで彼女は、恐らくは顔なじみの一人であろう男性講師へとそう話しかけた。
男性の方は彼女の顔を見ると、『おおっ!お久しぶりですっ!……あ』と最初は知り合いとの久しぶりの再会を喜ぶ顔をしたのだが、その数秒後、いきなり何かを思い出すと突然感情が抜け落ちたかの様な表情へと変わってしまった。
その変化は最早劇的としか言いようがなく、『炎』が突然『水』に変わったという様なレベルで、エアも隣で息をのんでいる。
どうやら彼女の噂はちゃんと末端まで知れ渡っているほどに、有名だったらしい。
「『先生』……未だ学長に確認を取っていませんので、敢えてまだ『先生』とは呼ばせて頂きますが、この学園の理念はご存知の筈ですね?」
「はい……存じております」
「そんなあなたが、余所の大陸にまで研究の為に赴くのはその理念に沿った行為ですから問題は無いのですが、『花街狂い』まではその範囲に含まれていない事はご存知ですね?」
「……はぃ、しってます」
「当学園には、優秀な魔法使いの少年少女達も在籍しております。それはかつて『神童』とまで呼ばれたあなたならば重々にお分かりの筈です。──当然、そんな優秀な彼らに、悪影響を与えないのは我々講師側の義務であり、重い責任でもあるのです。……ですから、『いかがわしい場所に連日連夜、ろくに研究もせず入り浸っていた様な人間に、戻って来られるのは大変に迷惑で、そもそも戻って来られる資格等無い』、と考える人間がここには多い事も、勿論ご存知ですね?それをちゃんと理解した上で、それでもまだお忙しい学長先生へと、取次ぎを望まれるのですね?」
「……はいっ。どうか、お願いします」
彼女へと説教交じりに説明する男性は、言葉こそ厳しくはあったが優しき正論であった。
彼女に如何なる理由があろうと、どれだけの功績があろうと、それはその正論をねじ曲げて良いものではない。
私には彼の言葉が、『皆があなたにそれだけ期待し、あなたがそうなってしまった事を悲しみ、そして残念がっていたんですよ』と遠回しながら伝えようとしてくれていることが、よく分かった。
彼自身、未だ彼女の事を評価し続けて応援してあげられる人物なのだろう。
そして、本当に想っている人物であるからこそ、他の道を指し示してくれてもいた。
ここに居る人間はもう『あなたの帰りを待っていない』と、その現実を非情にも告げて、彼女が中に入ってから傷つかない様に、『帰るのならば今ですよ』と忠告してくれているのである。……なんとも良き人物ではないか。
ここは優秀な人物が多いと聞き、興味を引かれてやって来たわけだが、最初に目にした人物がこの様に優しい人物であったことに、私の期待も更に高まった。
魔法使いとして、同士が人格者であるという事は単純に嬉しいのである。
……ただ、それは元講師の彼女であるにしても同様に言える事であった。
どういうことかと言えば、彼女はこの場所に居る者達の事を何だかんだと言いながらも、深く想っていたのだと、ここまで一緒に来た私達はちゃんと理解しているからである。
彼女は今、学園の皆に伝えられる事があるならば伝えたいと、良き変化を与えたいと考えている。
そして、もしそれでもダメだったらここから去るだけだとも言っていた。
地位や名誉なんかに拘って来たわけではなく、単純にこの場所に居る者達の事を想ったが故に帰って来たのだ。
もう歓迎されてないと分かっていても、自分がこの場に戻ればどういわれるかも重々に理解しながら、それでも期待してくれた者達に返したいものがあるとでも言うかのように、ここまでやって来たのである。
今は、知り合いの男性講師からお説教を受けて少ししょぼんとしているが、その言葉と想いの方向には揺らぎは無いようであった。
『学長に取次ぎをお願いします。見せたいものがあるんです。その魔法を一度見れば、私の言いたい事が理解できる筈。そうすれば、もっとこの学園に居る皆は成長できます!役立つ筈です!』と。
彼女が望むのはそれだけであった。
そこに彼女の利がどれほどあるだろう。
『上手くいけば学園に戻れる?』そんな事は微塵も考えていない者の目だ。
『単純に名誉挽回の為?』それも考えてないだろう。
彼女はここに来るまでに研究し続けていた『夜空』すらも添えて、『皆の為になれば』とただそれだけの為に、学長への取次ぎを熱望し続けるのであった。
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