第225話 決心。
注意・この作品はフィクションです。実在の人物や団体、事象などとは関係ありません。
また作中の登場人物達の価値観なども同様ですのでご了承ください。
「持っている者とそうでない者の本当の違いって言うのは、努力どうこう才能どうこうって言う小さな問題じゃないんだ。単純に怠惰が原因だと思うやつは多いし、実際に欠点を直して頑張って成し遂げるやつもいるんだろう。だけど、違う。俺が言いたいのはそんな事じゃない──」
三人の若い盗賊達と、近くの街まで同道している私達は極々普通に旅を続けた。
そして、そんな私達の旅に盗賊達はついて来る。
その間、魔法の練習に励むエアの姿には驚き、白くて糸目のプニプニドラゴンのぬいぐるみが本当に動きだした時には腰を抜かしたりもしたのだが、私の事は不思議と羨ましそうな瞳で眺めてきたりした。
それかあら、五日程経った時だったろうか、彼らの一人は普通に私達が出した夕飯の食事をたらふく食って、そのまま横になり寝入ってしまった事を、翌朝に酷く詫びて来た。
『ごめんなさい』と、『許してください』と何度も謝って来るので、私達は本当に何の事を謝っているのかわからず、『気にしていない』と告げて、昨夜たらふく食った分の倍は食料を出して食べる様に勧めた。
すると、その彼から出てきたのが、『た、対価はなんですか?俺は何をやらされるんですか?』と言う酷く困惑した言葉であった。
……彼は、彼らは、人の優しさに恐ろしい程に、慣れていなかった。
私達が何かする度に、これはおかしいと彼らは感じているようである。
こんな事が普通にあるわけがない。
あるとするならば、それは何か理由があるからだと。
理由が無いと幾ら言っても、彼らにはそれを信じる事が出来なかった。
そんな世界を知らなかったからだ。
彼らのこれまでの人生経験が、それを否定する。
彼らは私達と共に過ごしそれを感じる度、言葉に出来ない危機感を日に日に覚えているようであった。
だが、危険だとは知りつつも私達と同道せざるを得なかったのである。
何故なら、今の彼らは何かから逃げ出して、何も持っていなかったから。
このまま、ここからも逃げ出してしまえば、またあの寒風に手足を持っていかれるという恐怖がそこにはあった。
あれは酷く痛く、辛く、そして悲しい。
唯一無二の肉親である、弟と妹を、今度こそ守りきろうと、盗賊三人の内で最も大人である青年は、常に私達の隙を窺い続けた。
だが、食事時、睡眠時、会話時、訓練時、夜営時、そのどれもが魔法によって隙無く警戒されており、幾ら物を食べても浄化の魔法がある為、最大の隙になり得る冒険時の用を足す瞬間さえも見つからない。
街に到着すれば、私達が彼らを盗賊として突き出すのは間違いないだろう。
『こうして良くしてくれているのも、きっと今だけなのだろう』と彼は思っている。
だから、その前に隙をついて、彼は私達から何かを奪う必要があった。
金目のものでも腹いっぱいの食料でも、高価な魔法道具でも、宝石の付いた指輪でも、正直なんでも良い。
ただ『奪う』と言う行為をする事で、安心したかったのだろう。
それは最早、彼にとってはアイデンティティの一つなのである。
そんな生き方しかしてこなかったから。それ以外の方法を知らないから。
その肯定に縋る事でしか、もう進めなくなっていた。
私達とのゆったりとした日々は、たった数日だろうけど彼にとっては危険な時間である。
のんびりとしたその雰囲気も、思いやりも、優しさも、笑顔も、言葉も、何もかもが目に見えない毒の様に感じられた。
危機感は募り、焦燥が胸を焼く。
青年は日に日に、精神的に追い詰められつつあった。
そして、同道して九日目。
もう明日には次の街が見えるだろうと言う所で、青年の心は怒りを溢れさせてしまった。
そのきっかけは『街に行ったら、その後どうしようか』と言う、そんな普通の会話が弾みとなったのだと思う。
いや、元々我慢の限界だったのだろう。
私達と一緒に居るだけで、彼の心はジクジクと痛み続けていたのだ。
その怒りを私は悪い事だとは思わなかった。
仕方のない事なのだ。悲しい程に……。
最初に三人が倒れていた時、私が三人を盗賊だと思えなかった理由がある。
それは、彼らの傷を治す時に、彼らの身体に不自然かつ理不尽に残された異常な数の古傷を視て、私は彼らの悲しさを察したからであった。
彼らは被害者だ。何をされ、その傷を受けたのか、その傷ついた身体からは言葉以上の叫びが感じられる。
それはただ単に寒風に曝されただけの者達の身体では決してなかった。
まるで拷問を受けた者が命からがら逃げだした……そんな状態だったのである。
彼らにとって、きっと普通は普通じゃなかった。
きっと辛い日々を過ごし、それが日常に、それが彼らにとって普通になってしまった。
だから彼は、私達の生き方に触れて、怒りを覚えた。
たった十日でさえ、そのぬるま湯の様な時間に耐えられないぐらいに。
そこにある笑顔を見ているだけでムカムカしてしまう程に呆気なく。
そして、自分達が異常であるという事に気づいてしまったのだ。
彼は私達が尋ねてもいない事を語りだした。
『自分達は人から奪うしかなかった』のだと。それが自分達にとっての普通なのだと。
人が食事をするのと一緒の行為だと肯定し続けていた。
何かを喰らって、同じように命を奪って、生きるだけなのだと、彼は自分に言い聞かせている様に見えた。
大丈夫、これは俺達にとっての普通の行為なんだと。
だから、私達の事なんか『羨ましくなんかもない』と。
それに、私達の様な生き方を望んではいけない事も知っていると言った。
──それは『持つ者』が得られる普通だ。
自分達は『持たざる者』なのだから、そこに違いがあってもおかしくないのだと慰めてもいた。
青年は弟と妹である二人が見つめる中、私へと声を荒げる。
努力や才能と言う言葉だけでは、そんな不確かなものだけではどうやっても証明できない状況が世の中にはあるのだと。
──最初は出来なくても、出来る様になるのは、それはちゃんと『持っている者』なのだと。
隠れていても、ちゃんと『持っている』のだと。
だから、本当に『持っていない者』というのはそれとは全く違うのだと彼は言った。
持っていない者は、そもそもが足りない。
進もうとしても、そちらに辿り着けない様にさえなっている。
身体が動かなくなり、思考が向かない様になり、無理をすれば、時には命そのものが止まる。
まるで誰かに遊ばれ操られているかのように感じる瞬間があるのだという。
それを運命と呼ぶのかどうかは知らない。
だが、俺達はこういう風に生まれて生きる定めを帯びているのだと青年は語った。
それからは誰かが質問したわけでもない。
ただの青年の独白である。
元々非力で、今は魔法使いとして大成している?そんなのは成功体験以外の何物でもないだろうと憤っていた。
俺たちは、気づいた時にはもう盗賊として生きていたのだと。
羨ましくはないが、羨ましい。あんたらなんかと同じ様には生きていけない。
正直言って、あんた達を見ていると気持ち悪い。
何でそんなに、楽しそうで、俺達にも優しい言葉をかけてくれるんだ。
何故、優しく接する事が出来るんだ。分からない。
違うだろう。もっと世界は酷いものだ。言葉にできない程に汚いものだ。
だから、あんた達が見せてくれるその優しさは違う。嘘だ。全部偽善だ。
だから、見たくもない。知りたくもない。
そんな人達が居るわけないし、居て欲しくない。
じゃなきゃ、俺たちは今までどれだけの、そんな人達を手にかけてきたのかって考えなきゃいけなくなる。
これまでずっと普通だと感じてきたことが、全部、不遇の中に居た事になる。
これが世界の全てだと思っていたことが、ただの一部に過ぎないのだと知る事になる。
そんなのは嫌だ。
この汚い世界で、これで何とか俺達兄弟は支え合って、生き抜いて来たんだ。
だから、無理だ。そんなのは無理だ。信じられない。俺達はこうなってしまった。
もう違う生き方なんて出来ない。誰かから奪う生き方しかできない。変われない。
誰かを殺す事でしか生きていけないよ。殺さないならば、自分達が死ぬしかない。
他人の命なんかもう、ゴミ屑か、宝石箱にしか見えないんだ。
どう考えたって異物だろう。排除するか、されるかしかない。
街には行けない。あそこでは暮らせない。
どうすればいいってんだ。どうすりゃいいってんだよ!こんな俺達が、あんた達みたいに笑顔で満ち足りた人生を送れるわけがない。
……なんで、癒したんだ。
あのまま死んでいれば、俺達はきっと他の誰かをこれ以上傷つけずに済んだ。
弟と妹をこれ以上辛い思いをさせずに済んだ……。
くそ。俺はどうすればいい。
あんた達から何を奪えばいい。どうすれば生きていける。
命を救ってくれて、服を、靴を、飯をくれた。
こんなに優しくしてくれた。
だが、こんなにも良くしてくれたあんた達を、殺さねば俺はもう明日を生きられない。
武器が欲しい。落ち着かない。衝動が止まらない。
盗み、奪うのが俺達の普通の生き方なんだ。
それをしなければ、不安になってしまう。
食事をするのと一緒だ。
これは生きていくために欠かす事の出来ない必要な事──。
『──だから盗賊は、安心を得るために、生きる為に、奪うのだ』と。
まだ若い青年の身体は、既に数えきれないほどの古傷を負っている。
誰よりも傷を負い、人の痛みが分かる筈の青年は、心からの盗賊であった。
その心にあるのは、狂いや乱れではなく、安定である。
既に、それが普通であると本人が理解していた。
潜在意識、深層心理、思慮分別、それら全てにおいて青年は、いや、青年達は盗賊だった。
「お前ら……」
そんな風に嘆いていた兄の両隣には、何時しかもう一人の青年と少女が微笑んで寄添っていた。
苦労してきた事も、支え合ってきた時間も、みんな一緒だったでしょと。
兄の嘆きはそのまま二人にとっての嘆きでもあるのだと言いたげな表情であった。
その心を理解できない訳が無い。
『だから俺達もいつも通り一緒だ』と、視線を交わすだけでそんな言葉をやり取りしているかのようである。
「……分かった。全力で行くぞ」
──そうして彼らは、三人で息を揃えると、私達へと向かって走り出すのであった。
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