第218話 晴雲。
訪ね人はどちらも黒いローブを着ていた。
どこかで見覚えがあるのだけれど、その片方はローブだけではなく顔にも見覚えがある。
浄化教会の男女の二人組。
少女の方は分かるがもう一人は壮年の男性であった。
契約は確りとかかったままなので、この少女が私の事を何か漏らしたわけではないだろう。
「何用かな?」
私がそう尋ねると、少女はキラキラとした瞳を向けて来る。
そして、そんな少女の表情を見た男性はふむふむと何かを観察しているようであった。
「……どうやら間違いはないらしいですな」
「何がかな?」
「失礼。名乗りが遅れましたが、私はこの街の浄化教会にて──」
──どうやら、この二人はやはりこの街の教会に普段から務めている者達で合っていたらしい。
そして、この度、急に教会の数人へと『神託』として聖人の言葉が届き、大騒ぎになったのだとか。
こんな事、教会全体としても百年以上ぶりの珍事であり、この街の教会関係者はこれを慶事であると判断し、教会全体で対応していこうと急遽決まったのだと言う。
聖人様からは『あまり騒がない様に』とは言われていたらしいが、こればかりは長年の謎と言われていた真実の解明であり、『世紀の大発見』でもあるので、教会としても全力を尽くさざるを得なかったのだとか。
なにせ『聖人トゥオーが残した聖書』にも出てくるかの伝説『泥の魔獣』が未だ存在しており、その存在と対話する為に、力を貸して欲しいという『神託』だったのだ。
それも驚いた事にその『泥の魔獣』と言うのが、美しい姿のエルフの男性であったと言う事で、教会内では今、話題沸騰中なのだという。
……アイタタタタ、頭が痛いのである。彼の持っていた手帳、燃やしとけばよかっただろうか。
つまりはだ、私が少女に私の事を漏らさない様にする以前から、既に聖人によって『泥の魔獣』と対話してくるという情報は漏れており、その為に教会全体で動き出していた状態であったと。
そして、私がその少女と昨日揃って会話しながら帰って来た時点で、私は最も怪しい存在となったわけだ。……なるほどなるほど。今回は言逃れが出来そうな状態ではないのだな。
ただ、だからと言って魔法を全員に掛けてこの事を忘れさせると言うのも──
「──既に、ロム様の事は冒険者ギルドにも確認をとっており、『白石』の冒険者様としてお姿をお隠している事はお察ししております。そして、これらの情報は一部を伏せ可及的速やかに教会全体へと知らせている最中でもあります。当然そうするだけの慶事でありまして、なおかつ決して失われてはいけないだろうと、既に各地の教会へと全力で通達しているわけで──」
──既に手遅れと。
……ぐう、動き出しが早すぎるし、対応が完璧だ。
冒険者ギルド側も何か不利益が発生するような情報を渡したわけではないのだろう。
契約が損なわれてい様な気配もない。
これはいけない。とても面倒な事態に発展しそうな気がする。
ここはダメもとで、一度強く否定してみるのはどうだろうか。
「私は、君達の言う『泥の魔獣』などでは──」
──サッと。
だがしかし、私が『泥の魔獣』だと否定しようとしたところで、浄化教会の壮年の男性は、隣にいる少女の顔をグイっと自分の方へと向けさせて、少女へと彼の顔を見させた。
私は『急に何を?』と首を傾げたが、彼の顔を見た少女はその瞬間からしょんぼりと肩を落とし始め、また彼が私の方へと顔を向けると、少女の顔はパアッと花が咲くかのようにキラキラと笑顔が輝きだしたのである。
……ぐう、こ、これは。
「誠に恐れ入りますが、この者、私の娘でして、昔から聖人様の説法を子守唄代わりに聞かせて育てていた為に、すっかりとこの様に聖人様のファンになっておりまして、そして聖人様の説法の中でも特に『泥の魔獣を改心させた話』が──」
──大好きなのだそうだ。
……なるほど、彼がこの少女を選んだのも信心が最も強かったからという理由がありそうである。
「この度、娘が聖人様の『神託』を最もハッキリと受け取る事に至り、その使命を全うした訳なのですが、普段はもっと大人しい筈のこの娘が、帰って来てからは『何か幸せな事』があったかのように、ずっとこの状態でして、それも何があったのかを聞いても、『は、話せません!何も言ってはいけないと約束したのです!』と繰り返すばかりでしたので……」
「…………」
契約がポンコツになる瞬間が、時々ある。
それがこの様に、善意しかない者が意図せずに周りへと情報を漏らしてしまう場合であった。
本人は漏らしているつもりがなくても、周りが勝手に察してしまうだけなのだから当然、そこには問題があるわけもなく。
契約内容自体がそこまで深く決めてあれば話は別だったろうが、今回の場合は完全に契約は無意味であった。
「なるほど……話は分かった。認めよう。私はかつて、あの男からその様に呼ばれていた事もあった」
『おおおっ!!!』
私が観念して、その事を認める発言をすると、周りで聞いていたエルフの青年達や魔法道具職人であるお父さん達や、お母さん達、子供達、老執事や女中少女、全員からも歓声に似た声が上がった。
当然、目の前の壮年の男性も感動しているのか、隣に居る少女とそっくりな笑顔を浮かべて喜んでいる。……よく似た親子だな。
屋敷に居る者達も喜んでいるけれど、ちょっと待ってほしい。あまり盛り上がらないでくれ。
というか彼らも『泥の魔獣』と言う言葉を知っているのか……。
「ただし、始めに言っておくが、私は君達に担ぎ上げられる様なものではないし、そのつもりもない」
喜んでいる皆には悪いが、ここだけは譲れない部分である。
君達教会にとって『泥の魔獣』がどんな扱いなのかは知らないし、興味もない。
どんな噂をしようが全然構わない。
だがしかし、それでこちらが迷惑に感じる行為をするようであれば、私は容赦はしないぞ。
と、軽く怒気を滲ませた感じを装いつつ、全身から魔力を『ぼわ~~』と放出して威圧する演出も込めてみると、エア以外は皆シンっとして場が静かになった。……エアだけはニッコニコで笑っている。だめだぞエア。笑ったりしたら皆にバレてしまう。抑えてくれ。
「『泥の魔獣様』のお気持ちは、こちらも重々──」
「先ず、その呼び名は止めて欲しい」
「こ、これは失礼しました。……ただ、ロム様のお気持ちはこちらも察しております。それに聖人様からも事前に教会へと『泥の魔獣』の正体についてご本人を断定する様な情報の周知は禁止するとのお達しを『神託』で受け取っておりますので、ロム様を『泥の魔獣』だと直接皆に知らせる事はしておりません。ただ、長らく謎となっていた『泥の魔獣』が生存していた事と、その存在が此度聖人様と対話を果たした事、それがとても美しいエルフの男性であった事……等、でございます」
……ぐううう、色々と危うい気がする。
この手の者達は、しないしないと表では言っても裏ではガッツリとしている者達の集団だと私は認識している。
だから、まったく信用は出来ない。
疑ってかかるくらいで丁度いいと、何度も痛い目を見て来たこれまでの長い人生経験が教訓として私に教えてくれているのだ。
「じゃあ、私の名を知っている者は君達ぐらいか?」
「名でございますか?……そ、それは」
「密かに、伝えているのではないか?」
「……それは確かに、一部の者には」
「では、約束をしてもらおうか。君達の関係者で、『私の名や種族、それから冒険者である事等々』私の情報を知っている者達は、それを利用したり周知したりしないと言う事を。……君が代表で良い。教会としてそれを約束できるかな?」
「それはっ。……で、ですが、これは教会としてはとても喜ばしい事でありまして──」
「──私には関係ないな。興味も無い。さて、約束はどうする?」
「…………」
「答えないか。そうか、なら話は終わりだ。もし君達が約束してくれるのであれば、当時のトゥオーの話の一つでもしてみても良いかと思っていたのだが、そんなよく知りもしないエルフの名一つに拘って、君達が聖人として崇める人物の逸話を、教会関係者である君達が蔑ろにするとは思わなか──」
「──お約束します!ですから聖人様のお話をどうか聞かせてくださいっ!!」
「おっ!おいっ!」
「もういいでしょ!お父さんが達が何を企んでいても、これは聖人様と『泥の魔獣様』の思し召しなの!尊いの!わかるでしょ!浄化教会が優先するべきは綺麗である事の筈!大事なその本質を見失っちゃいけないでしょ!」
……おお。なんとも真っ直ぐな娘である。
なるほど、彼がこの少女を遣わしたのも理由も分かった。
彼女は純粋に信仰に生きている者なのだな。いわば彼にとっては綺麗好き仲間である。
だから、わざわざ契約も使わなかった。使う必要が無いと判断したのだろう。
そもそも使っても意味が無い事も察していたに違いない。周りにはバレる。だが、大事なのはその後だと。
無駄を嫌って、私を『信じた』か。物は言い様だが、あの男は本当に、口と浄化だけは達者であるな。
……はぁぁーまったく。
「だが、ロム様は最初は名一つと言ったが、その後は『ご自身の情報』と言う風に言葉を変えている。これでは『泥の魔獣様』について私達が各協会に周知できるのは、殆ど何も無くなってしまうのだぞ!」
少女の父親である壮年の男性が、そんな事を言っているが、元々君達は『泥の魔獣』が生きている事と、聖人と『泥の魔獣』が対話した事を伝えるつもりだったのだから、それだけでいいではないか。
私は、それがエルフだなんだという事まで伝える必要はないと思うのだ。一個伝えられる事を削ったくらいで『殆ど』とまで表現するのは大袈裟だと思う。
「えっ!?じゃあ、あの絵も!!」
「そうだ。密かに絵師に描かせていたロム様の肖像画もこれでは……」
前言撤回である。なにこの者達。やはり恐ろしい。全然大袈裟とかじゃなかった。
既に私の似姿の絵を描いて勝手に広めようとしていたのである。
他の耳長族達に迷惑をかけてはいけないと思って、言葉を足したけれど、足して本当に良かったと私は心から思う。
この分だと、密かに伝えようとしていた情報の方がメインで、一体どれだけ私についての情報が周知され拡散される事になっていたのか知れたものではなかった。……ちゃんと対策が出来て一安心である。
「さて、では私が知るトゥオーの話を代わりにしてあげよう。約束だからな」
私にこんな面倒を押し付けたお返しである。
精々、聖人らしくないエピソードを語っておくとしよう。
……後から聞くと、その時の私は、エアからは満面の笑みであった様に見えたのだとか。
またのお越しをお待ちしております。




