第212話 祈り。
部屋の中には悲しい音だけが流れた。
胸の奥が酷く痛む。
大事な何かを失う事の喪失感に、前後不覚になりそうな感覚。
何度経験しても、この気持ちには慣れる事などないだろう。
どうにも出来なかった己への無力感と共に、私の心は今暗く沈み込んでいる。
そして、それは私だけではなく、屋敷にいる皆が同じ気持ちを抱いていた。
この屋敷の中で彼がどれだけ想われていたのかがよく分かる……。
そして、私達の中でも一番、彼の死に最も傷ついている少女は、死した彼の顔に手を当てながら、何度も『じいじっ、起きてっ』と繰り返した。
私はその声を聞く度に切なくなり、何度も何度も胸が締め付られる様な痛みを感じた。
だが、それも何度目かの呼びかけで少女は彼を呼ぶ声を止めると、私の方へと顔を向け普段よりも幾分も目尻に力を入れた目つきで、止めどなく涙を溢れさせながら私へと頭を下げて来た。……少女のいつもの鋭い眼差しはそこにはない。
「……じいじ、ずっと言ってました。こっ、ここは夢のようだって」
少女の口から語られたのは、彼がどれだけこの屋敷での生活を楽しみ、愛し、大切に想っていたのかの全てであり、皆にどれだけ感謝していたのかを伝える素直な告白であった。
老執事との思い出を語りながら、彼の代わりに彼女は私達に礼を言う。
『じいじは幸せでした。ありがとうございます』と。
だが、『こちらこそ、ありがとう』と私達は皆、言いたい。
彼に対して、言いたい事、伝えたい事が、それぞれの胸に詰まった。
エルフの青年達は、人の死を目の当たりにしたのが彼らの師匠に続いて、これが二度目であった。
どうやらその時の光景も蘇って来たのか、五人は口を押さえて、声を押し殺して泣いていた。
その表情からは『信じられない』と言う気持ちが痛い程伝わって来る。
少し前までは、普通に居たのだ。いつも傍に、この屋敷の中に、皆の近くに。
老執事はいつも穏やかな微笑みを浮かべ、優しい話し方で、キビキビと仕事をしていた。
彼らはずっと彼に日常を支えて貰っていた。色々な事を相談し、助けてもらっていた。
『少し前まではあんなに元気だったじゃないか』と『なのになんでだ、おかしいじゃないか』と、その表情からは痛い程に伝わって来る。
この屋敷で彼に関わらなかった者はいない。だからその気持ちは周り皆にも良くわかった。
何度も話をし、何度も食事を共にし、笑いあった。
短くとも、確かに我々は共に生きて来た家族だったのだ。
魔法道具職人であるお父さんたちは沈痛な顔をしていた。
お母さん方や子供達は、まだ呆然としている様子である。
バウはエアの抱っこの中で大人しくしていた。
エアは私の顔をジッと見つめている。
私はエアのその顔を見て、切なさと申し訳なさを覚えた。
エアは屋敷の者達の多くが悲しみに沈む中、ただ一人、まだ悲しさ以外を見つめていたのだ。
その目は、『きっとどうにかしてくれる』と、信じる者の目をしていた。
今までと同じように、私ならばきっとこの現実さえも、最後には笑顔に変えてくれるのではないかと、エアは期待し続けていたのである。
『ロム、ロムならなんとか出来るんでしょ?これも全部、いつものやつなんでしょ?』と。
声に出さずともその気持ちは痛い程良くわかった。
何故なら、それを一番望んでいるのは、私だったからだ。
私が今まで培ってきた全てを使ってでも、何とか出来るのならば、何とかしたいとずっと考え続けている。
頭を捻り、記憶をあさり、身の内に今にも弾け飛びかねないばかりの魔力を溜めこんでは、必死に『対処法』を考え続けていた。
もちろん、どうしようもない事が世に溢れていることは理解していた。
だが、今回のこれは本当にそうだろうか。
そもそも、何かおかしくは無いだろうかと、私の頭には疑問が浮かんだ。
何故急に、彼は体調を崩したのだろうか。
『第三の大樹の森』が完成したその日に、まるで当てつけの如く……。
それに彼はそんなやわな身体をしていたわけではない。
どちらかと言えば、ついこの前は調子が良いと言っていたくらいだ。
それも確か、それを『加護』と言う程に、不思議な状態であると言っていた。
私が何かしてくれたんじゃないかと尋ねて来た位である。
だが私にはその覚えが全くなかった。精霊達もだ。
私はこの屋敷の者達と密かに魔力で繋がっていたのではないかと思っていたが、もしそれが本当に『加護』と呼ばれる様なもので、彼へと何かしらの存在が力を施されていたのだとしたら……。
当然それは、一つの大きな問題へと繋がってくる。
……何故なら、私は冒険者として、自分の力の漏洩を防ぐ為の契約を皆と交わしているのだ。
私は以前にその契約を老執事とも結んでいる。
だから、他者へと伝えようとすれば契約に違反し、罰が下る様になる筈だ。
その状態で『加護』などと言う不確かな存在が、彼に施されたとするとどうなるだろうか。
そして、その『加護』がどんな目的があり施されたのかという事に焦点を合わせれば、その結果は自ずと見えてくる。
それはつまり──
──バチンッ!!
「──ひっ!?」
その瞬間、屋敷全体へと何かが弾ける様な音が響き、屋敷の者達は皆その音の大きさにびっくりして身をすくませた。
「ロムッ!!!」
そして、一瞬の後、エアの悲痛な叫びと共に、彼らの目に入ったのは、感情の揺らぎによって、身体の中にある膨大な魔力が制御不能になりかけ、身体そのものが千切れかけた私の姿であった。
「なんと言う事だ……」
私は気づいてしまったのだ。
……彼を殺しかけたのが、本当は自分であると。
私は自分に回復と浄化をかけながら、一度頭を落ち着かせる。
……つまりはこういう事だろう、『加護』を彼に、……いや、よく視て見れば、この屋敷に居る皆へと仕掛けたとある存在は、あろう事かその『加護』を使って私の情報を探ろうとしたのだ。
だから、彼は『加護』を通して間接的に、私の力を漏らすような真似をさせられたという事である。
それが直接的だろうと間接的だろうと、私の契約は相手に魔力で強制的に作用し効果を発揮する。
その上、前から彼には信心深い一面があった事も知っていた。
そのせいで、他の者達よりも効果が顕著に現れたのだろう。
そうして、私の力を探る事の片棒を担がされ、老執事は私の契約の一端をその身に受けさせられる破目になったのだ。
『第三の大樹の森』をただの屋敷の一室に作った私達の行為は、その存在に注目されていたのかもしれない。
そしておそらくは、ずっと以前から何かしらの興味を引いていたに違いない。
なんにしても、だからこそ、『第三の大樹の森』が完成したその日の夜に、彼の身体に異変が起きたのだ。
そして、その後も継続して、彼の身を蝕んでいたのは恐らくは私の契約だった。
だから彼はみるみるうちに……。
「…………」
ただもう、その存在の目的がもはや何だったとしても、もし狙いが私の力ではなかったとしても、関係はない。……どんな理由にせよ。私はこれをそのまま許す事は出来ないだろう。
だが、その気付きによって、私は死にかけている彼への対処法を見つける事が出来た。
死にかけている、と言ったのは、私からすると彼はまだ死してからそんなに時間が経っていない為、直ぐに回復させれば戻せる可能性があるからであった。
直ぐに治さなかったのは、治しても効果が無かったからである。
これまでは彼が段々と弱っていく姿を視て、それが身体にとって自然な状態での衰えと誤認した為『老化』だと判断してきたが、それが原因が契約違反によるものなのであれば、先にその原因を排除する事により、その後に回復する事は十分に可能だと考えた。
つまり、今ならばまだ、完全に死と言う状態へと陥る前なので、彼を戻せるだけの時間は充分にあるという事だ。
神か悪魔か、それともそれ以外の何某かの仕業かは知らぬが、私達にその牙を向けた事は必ず後悔させてくれる。……必ずや私と言う魔法使いの全身全霊を見せてやろう。
だが、今はなによりも彼の事が優先である。
私は、死にかけている彼の身体を魔力で再度注意深く探知し、恐らくは『加護』だと思われるその力の一端が、冷たくなりかけている老執事の身体に残っているのを発見した。
彼の力が失われかけた今だからこそ、それまではよく混ざっており分からなかったその存在の力の一端を、完全に探知し掴む事が出来たのである。
……もう逃がさない。見逃さない。
私は逸る気持ちを落ち着かせながらも、屋敷に居る全員にも混ぜられたその力にも魔法の指定先としての焦点を向け、その良くわかりもしない力を一気に消し去る事にした。
『貴様なんぞの加護など要らぬッ!消え去れッ!!!』
──パキンッ!!
すると、何かが折れる様な硬質な音と共に、私は世界が一瞬だけ震えたように感じた。
それはまるで、それは何かの悲鳴の様にも思えた。
すると同時に、屋敷に居る皆は少しだけ身体がガクっとふらつかせて力が抜けると、皆は一斉に床へと膝をついてしまう。
……だが、視た所『余分な力(加護)』が無くなっただけで、皆に異常や問題はないようだ。
成功したと確信した私は、そのまま老執事へと全力で【回復魔法】を施す。
「戻って来てくれッ!!」
私は声を荒げ、ほぼ全力で彼へと魔法を使用した。
それによって彼の全身が光に包まれ、目が開けていられない光を発する。
完全に魔力頼りの強引な手法だったが、これできっといけるはずだ。
私の経験と魔力の全てをもって、ここにその成果を示す。
これが私の積み上げて来たモノだ。
「──ぐっ!!」
「──じいじっ!!!!!」
すると、最後まで穏やかな笑みで眠り続けていた筈の老執事は、呻き声をあげ苦しみと共に息を吹き返した。
『──なっ!?!?!?』
そして、彼が生き返った事にその場にいた全員が驚きの声をあげ、私の方へと驚愕した顔を向ける。
『旦那、あんた……』『信じられないっ!!』『──奇跡っ』『いえ、そんな言葉で表して良いものではないでしょうッ!』
そして、精霊達も、その時だけは初めて私の事を畏怖したかのような顔で見ていた。
膝をついて私を見上げる皆の視線も、どちらかと言うとそれに近いものであろう。
──だが、ただ一人だけ、エアは私へと笑顔を見せてくれていた。
「ロムっ!」
私はその笑顔に力を貰うと、最後に止めへと入る。
もう二度と同じ事をして来ぬように、確実にここで止めを刺す。
私は既にその存在の気配を掴んでいた。
如何に幾重に空間を挟み、遠く離れていようとも、この魔力が届くのであれば、私には関係ない。
『──だから、完全に、消え去れ!』
──ドンッ!!!
先ほどの世界が震える以上の大きな衝撃が一瞬で突き抜け、私はその何らかの存在を完全に消し去った感覚を得ることができた。
「ロムッ!!」
エアは私へと駆け寄り、満面の笑みで飛びついて来る。
おっとっと。私はエアの身体を受け止めると、間で挟んで潰してしまわない様に、バウを背中に回した。
『やっぱりロムはすごいねっ!絶対に出来るって思ってたっ!!』と、そう言ってくれるエアの言葉に私は胸の中が熱くなった。
……エアのおかげなのだ。私が最後まで諦めずに済んだのは。
私自身でさえ、心のどこかでは既に諦めかけており、これが現実だと受け入れようとしていた。
だが、それを全部エアの瞳が変えてくれたのである。
『ロムならやってくれる』と言う期待が私を救ってくれた。
だから、凄いのは私ではない。エアだ。
ただ、そう言っても今のエアは信じてくれないだろう。
けれど、私はエアに心の底から感謝を伝えたくなった。
だから──
「──ありがとう、エア」
「──ありがとう、ロムッ」
すると、私たちはほぼ同時に、互いへと気持ちを伝え合っていた。
その事に、エアは無邪気で嬉しそうな笑顔を見せ、私も心の中で笑みを浮かべるのだった。
またのお越しをお待ちしております。




