第204話 岡目。
世界中に『モコ』が現れた。
世界中と言ったのは恐らくそうであろうという推測でしかないが、ギルドへと寄せられる情報から判断して、ほぼ間違いないだろう。
ただ、今回のモコは沢山現れたとは言え、とても貧弱であったという事もあり、大きな事件に発展する事だけは無かった。それだけが幸いである。
だが、その発生の仕方はとても恐ろしいもので、砂粒一つ分でも極微小の淀みがあればそれを媒介にしていつでも二十センチ程のモコを生み出す事が出来るのであった。
もし、あれがもっと人を傷つける能力に秀でていれば、今頃世界中で大騒ぎになっていたに違いない。
現状でもある程度は騒ぎにはなったものの、それ程まで大きくないのは、それが発生した後殆どが直ぐに自滅して消滅してしまったからであろう。
どういう意図があったのかは一切不明だが、逆にそれが発生した事で空気が澄んで良くなったなんて言われている場所もあるくらいなのだから、その危険性は正しく周知が出来ていないだと思われる。
実際、その生み出された生物は生まれたての人の赤ん坊よりも弱いらしく、ただぶつかっただけで消滅してしまうのだとか、なんとも脆い存在なのであった。
『モコ』という名称は私が勝手につけている名称なので、世間的にはギルドが定めた『瘴気生物』だったり『ゴブ』だったりという名前の方が一般的だと思われる。
『ゴブ』というのは、襲われた人の持っていたゴブレットとほぼ同じ大きさだった事や、『沢山』とか、『うるさい』とか、『口を使って来る』という雰囲気の意味が込められての言葉らしい。ピッタリだと言う事でその名がつけられたのだそうだ。
「ゴブって弱いけど、急に出てくるからビックリするし、わたしはあんまり好きじゃないなー」
「好きな人は居ないんじゃないの?」
「うんうん」
「ただ、話題にはなりますよね!よくお店に来てくれる人達も話してくれますし」
「そうそうー、大体は暗がりから脅かしてくる系が多いから、すっごい驚くらしいよー!聞いた中で面白かったのは、男の人が酒場で飲みすぎてトイレを我慢していた時に、急に暗がりから出てきたゴブに驚いて、トイレに辿り着く前にそのまま店の中で──」
エアと一緒にゴブについての談義をしているのは、とある露店の美人三姉妹が居るお家である。
最近では新たに迎えた新妻も加わり、四姉妹だと言って店舗でも人気を博しているのだとか。因みに、今日は羊飼いの少年はいないらしい。
彼女達の話からもわかるのだが、ゴブは急に現れてみんな自滅して消えていってしまう為に、街の人達の反応はだいたい『驚き』はしても『危険を感じて逃げる』という発想にまでは至れないらしい。
……私は今の状態を危ういと判断した。
もしも今の街の状態で、勝手に自滅などはしてくれないちゃんとした人型の『ゴブ』等が現れたら、彼らは逃げる事無くその脅威にさらされる事になるだろう。
だから、一応私はギルドで報告する際にも今回の案件について、こっそりと噂話を一緒に流す事にしたのだ。
もちろんただの噂話とは言っても『森の中でもゴブが居たっ!』『大きなゴブがいるらしいぞ!』『大きいゴブは人間だろうが動物だろうが何でも食べてしまうのだそうだ』と言う、そんな本当の事しか言ってない。
そして、ギルドだけでは噂話の出所としては弱いかと思って、こうしてとあるお話し好きのご家族へと協力をお願いする為にやって来たという訳であった。
彼らに話をすると、二つ返事で協力を了承してくれる。
『エルフの旦那達には散々世話になったからな。話の内容も街の皆の為に注意喚起するだけだし、やる事も客と世間話するだけだ。何も問題はない。だから、どうか俺達に任せてくれ!』と力強い言葉を頂いけた。大変ありがたい。よろしく頼む。
自分達で噂を流すのは、どこかの聖人がちゃんと効果がある事をその身をもって体現して教えてくれたから私も信じている。街の人達やギルドに対する注意喚起は、彼らの噂話の力に任せてみることにしよう。
そうして、私達は街への対応を噂話に任せて早々に切り上げると、今度は急いで大樹の森へと向かった。勿論、元々の大樹の森の方である。
何故にかと問われれば、急に居なくなってしまった精霊達の事が気にかかったからであった。
私達が寝ていた事もあるが、一言も無しに彼らが帰ったまま、それから一度も姿を見せに来ていないのだから、今頃は余程大変な事態になっているのだろうという予想が立つ。
なので、大樹の森へと戻ったのだが、そこには既に今までに見た事が無い程大勢の精霊達がおり、大樹の傍で広範囲に浴びる事が出来る『魔力の滝』で皆その身体を癒していたのであった。
私達が近寄ると、精霊達は皆安心したような、すまなそうな、泣きそうな顔をしている。
そして、その中心にはあの四人が忙しそうにしている姿も見えた。
……こういう時には直ぐに呼びなさいと言っているのに。まったく。
私はその場にいた全ての精霊達の身体の状態を全力で探知し、それぞれに最適だろうと思われる回復や魔力の譲渡を施していった。
『旦那……』『やっぱり、最初から頼めば良かったかな』『うん』『でも、精一杯頑張りましたよ』
精霊達はどうにかして以前からこの様な状況になる事を察知してはいたのだろう。
ただ、それが正確にはいつ来るのかまでは、きっと掴んでいなかったに違いない。
直前まで、あちらの大樹の森で遊んでいた様子から、それは察する事が出来た。
だが、その為の備えとして、ここだけでは傷ついた精霊達を癒すに場所が足りなくと考え、彼らは自分達の領域のルールに違反しかけないスレスレで、私へとお願いをしてきたのだろう。
『旦那の領域を広げて欲しい。もし、沢山の仲間が傷ついたとしても直ぐに癒やせる場所が欲しい』のだと。
一見して大して害がない様に見えた世界同時の『モコ』の襲撃ではあったが、人には問題なくとも精霊達には大きな問題であったらしい。
淀みが消えたなどと喜んでいる場合ではなかったのである。……私よ、恥を知れ。
それに本来ならばもっと油断なく、注意を払わねばならなかった。
魔法使いとして、『差異』へと至り彼らと共に歩むと決めた時から、私にはもっとやれることが、やるべき事が沢山ある筈なのだ。
だから、私はもっと先を目指さねばならない。
彼らを守ってあげられる様に。
大切なもの達がこれ以上傷つけられない様に。
足りないものがまだまだ多過ぎる。
『私はもっと力をつけなければ……』
私がそんな事を考えていると、いつの間にか、エアが私の背中を、白いローブをぎゅっと掴んでいた。
振り返ってみたその顔は、どこか弱々しく、私はどうしたのだろうかと心配になる。
「エア?」
「……ロム、置いてかないでね」
私がエアを置いて何処かへと行ってしまうかのように思ったのだろうか。
……大丈夫だ。そんな事がある筈はない。
置いていったりもしない。ちゃんと約束した筈だ。私は一緒に居ると。
だから、安心しなさい。
「……うん」
「ばうっ」
安心していいと言ってもエアの表情はまだ少し晴れない。
今はそんなエアの背中に負んぶされているバウも、そんなエアを心配してか、気遣う様な声を掛けていた。
そして、バウの姿が目に入り、エアのその心配の原因が少し分かったかもしれない。
……おそらくは、バウとの問題の事であろう。
私も技量をあげてしまうと、百年後までに成長する筈のエアも追いつくのが大変になる。
現状は私の方がまだ技量が上なので、更に私がやる気を出すのは差が更に広がって置いていかれる様に感じるから、やめて欲しいと言う話なのではないだろうか。
だが、もしそうなのだとすれば、それは全くの杞憂と言うものであった。
エアならば、軽く私を超えていける。
それは何もひいき目に見たから、と言う訳でもない。
それが純然たる事実だからだである。
エアは混じりけのない完全なる感覚派の魔法使いだ。
対してもう一方私はエア程に澄んだ魔法使いという訳ではない上に、とても不器用なのである。
だから、いずれこの差は一気にひっくり返るだろう。
私がエアの力を信じているというのが一番の理由ではあるのだが、ハッキリとした理由を聞けばその心配も多少は安らぐのではないだろうか。
『旦那、エアちゃんはきっと……』『だめっ、私達が言える事じゃないでしょ!』『空気を読む』『この前の反省を忘れないでください』
私の耳には精霊達のそんな声が聞こえてきたのだが、彼らが何を言いたいのか今回は本当に難しく、全然分からなかった。……私は何か間違っているのだろうか。
「ロムは嬉しい?わたしが強くなると」
「ああ」
「じゃあ、頑張るね。もっと頑張る」
「いや、エアは今のまま進むだけで充分だと私は思っている」
「それでロムの所までいける?」
「私と同じ所どころか、それ以上にきっとなれるだろう」
「……ううん。同じところで良い」
「そうか?ならもっと簡単になれる。大丈夫だ。一緒に頑張る事にしよう」
「うん、がんばるっ。だから、ロムも無理はしないでね」
そう言って、ようやくエアは笑顔を見せてくれた。
だが、その笑顔は今まで見てきたものとは少しだけ違う様にも感じる。
なんと言うか、どこか少し儚げである様にも見えたのだ。
もしかしたら、頼りなく思われてしまったのかもしれない。
だとしたら私もまだまだである。
ちゃんとエアが安心して笑っていられる様に、もっと頑張っていかねばと思った。
その為にも先ず、今は精霊達の傷を治す事へと全力をかける事にしよう。
……そうして暫くの間、私達は大樹の森で精霊達の治療に励み続けるのであった。
またのお越しをお待ちしております。




