第2話 鬼。
2022・08・24、本文微修正。
『……ぐーーーー』
おや?
そうして暫く脳内で思考に耽っていると、私の耳は彼女の腹部辺りから聞こえてきたであろうその小さな音(欲望)を捉えた。
それならばと、私は特別な場所から『良い物』を取り出して、腹が減っているであろう彼女の目鼻先でソレ等をぶらぶらと揺らしてみる。
「これこれ、私の腕なんかよりも……ほら、こちらの旨い果物や特別な干し肉の方を召し上がっては如何かな?」
【空間魔法】を用いて保存していた自分の食料の一部を、私の腕に一生懸命噛り付いている彼女の目の前に魔法で浮かべながら、フラーリフラーリと揺らしてみる。すると、思惑通りに彼女の視線はその果物と干し肉に引き寄せられて釘付けとなり、ゴクリと一回だけ喉を大きく鳴らすのだった。
『……ぐーーぐぐーー!!』
同時に、随分自己主張の激しいお腹さんが軽快な音で返事を返してくる。素直な音色をお持ちのようだ。更には、口元からはズルルルと光る涎までもが見えてきて、彼女の興味度合いの高さを私へと確りと教えてくれる。
『これは釣れる』と私は確信した。
「ほら、お食べ」
「むふーー!むふふーーー!あぐあぐ!あぐあぐ!」
食糧が揺れる度、同じように動く彼女の猫の様な目の動きがあまりに面白く、若干の悪戯心も浮かびかけた。……一瞬、それらを突然ひゅっと引っこめたら彼女はいったいどんな反応をするのだろうかと、ちょっとだけ見たくもなったのだが、流石にそれを今やるのは可哀想だと思い止まり、すぐさまそれらを彼女に手渡す事にする。
手渡して私がそう告げた途端、余程腹が減っていたのか奪い取る様に果物と干し肉を掻っ攫った彼女は、目を爛々と輝かせてそれらを口いっぱいに頬張っていく。
そんなに詰め込んで一緒に食べたら味など混ざって分からなくなりそうだが、形の整っている大きな干し肉と手のひらよりも大きな甘い果物は、それはそれは瞬く間に綺麗に咀嚼されていった。
まるでリスの様に頬を膨らませながら、もきゅもきゅと咀嚼をしている彼女はとても幸せそう。
だが、次第にその口の中の残りが少なくなるにつれてか、急に残念そうで悲し気な雰囲気も漂わせ始めていくのだ。
だから、すぐさまそれを察知した私は、彼女が食べきる前に追加の干し肉と果物を準備しておき、また同じようにフラフラと揺らしてみせる。
すると、彼女は瞳孔を開かせながら次なる獲物を見定めたのか、一切視線を外すことなく全力で咀嚼を繰り返すのだった。
「……落ち着いて食べなさい。誰も取りはしない」
そう言う私に、彼女は口の動きを止めぬままジッと私の目を見返してくる。
その瞳からは『ほんとに取らない?ほんとに??ぜったいだよ??絶対だからね???』と言いたげな色が窺えて、そんな彼女を安心させようと私は何度も頷きを返したのだ。
ただそうすると、彼女は咀嚼しながらも何かを考え始める様子を見せた。
恐らくその目は、本当に私が食べ物をくれるのかどうかだけではなく、彼女にとって私がどこまで危険なのかそうじゃないのかまで──もっと言えば、信じても良いのかダメなのか、味方になり得るかはたまた騙そうとしているだけの敵なのかどうかと、色々な判断している最中なのだろうと窺えた。
幾ら彼女が見た目は可愛らしい普通の成人女性にしか見えないとは言っても──初対面でいきなり熊真似をしながら無邪気に近寄って来る上に、既に私から手渡された干し肉と果物を一切疑う事すらせず口の中に入れてしまっているとは言えども──流石に、こんなにも深い森の中、人里離れた危険な場所で出会った者なのだから、見知らぬ私に対する警戒心は完全に薄れきってはいない筈……そんな風には全く見えなくとも、ない訳がない。森に生きる者達とは、幼い頃より自然とそういう感覚を養っていくものなのである。
「──じゅるり」
だがしかし、彼女の思考の天秤は、既に私から美味しい物(絶品の柔らか高級干し肉と極上に甘い果物)を貰えた時点でかなりの傾きへと振り切っていた状態だったらしく──口の中が空になる頃にはもう、私を味方であると確信してしまったのか、その後も私が出す干し肉と果物を一切疑うことなく面白いようにパクパクと口の中へ放り込み続けていくのであった。……よし、餌付け完了。
結局、干し肉と果物合わせて十何キロ分……になるのだろうか。その細身の体躯の何処に入ったのか分からない程の量をペロリと平らげて満腹になった彼女は、私へと抱き付くように寄りかかって来ると、驚くことにそのまま腕の中で無防備にも小さな鼾をかき始め、スヤスヤと眠り出してしまったのである。
「……なんと、危うい娘なのだろうか」
その寝つきの早さにもそうだが、森で生きる者として、これほどまで危機感が足りてない事に驚きを禁じ得なかった。ここ数百年、感情を見せない事に慣れきった私でも、流石にこれには自然と苦笑を浮かべざるを得ない程に……。
ただ、ここまで真直ぐな信頼を向けられる事自体は悪い気もせず、何となく『父性』を刺激された心地もして、一目で『彼女をこのまま放っておけない。守らなければ』と、不思議な使命感も抱いてしまった。
「鬼……か」
私の腕の中、寝息を立てている彼女の頭に伸びる二本の綺麗な赤い赤い角。
これは彼女が『鬼の一族』であることを示す何よりの証であった。
鬼の一族の者ならば皆が頭部に具えるその赤き角は、『血晶角』とも呼ばれ、その長さに個人差がある事なども私はよく知っていた。
「…………」
ただ、通常どんなに大きくとも大体五センチから十センチ程の長さである筈のそれは、私の腕の中で寝息を立てている彼女の額の上あたりで、どう見ても二十センチを超える長さで、異様な存在感を放っていたのである。
私はこれまで生きてきた中で、ここまで立派な『血晶角』を具える者を目にした事が無かったのだ。
こんな人里離れた森の奥深くに居た事も含めて、はたして彼女は『いったい何者なのだろうか?』と、そんな思いが頭の片隅では一瞬浮かびかけた。
「…………」
しかし、最終的に私は『今はそれを考えても詮無い事か』と思い直し、腕の中で眠り続ける彼女を一旦どこかで休ませる為背に乗せると、それほど遠くはない自らの『家』へと向けて歩み出したのだった。
故郷の森においてはとっくの昔に絶滅した筈の一族――『鬼人』
白銀の『耳長族』である私と、美しき鬼人である彼女との不思議な出会いは、こうして始まったのだ。
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