第177話 深慮。
この国は今、変わろうとしている。大きくなろうとしている。
周辺を切り拓いて人が住める領域を拡大しようとしている。
少年の家も、羊さん達を呼び出すための森に仕掛けられた魔法陣も、その拡大する街の一部としてそこに組み込まれようとしていた。
だが、森そのものに大規模な召喚の魔方陣を仕込んでいるために、少年の家の近くの森は手を付ければ羊さん達を召喚出来なくなってしまう。
あくまでも彼が出来るのは、古くから伝わる長くて覚えにくい日常会話を模した詠唱法で召喚する事と羊さん達を飼育していく為の匠の技術だけ、魔法使いとしてその中核をなす魔方陣の知識などは彼には皆無なのである。
つまりは、街が変わろうとしていても、少年の周囲だけは変化させる事が出来ない。
街の特産品の一つとして人々の人気は高く、羊さん達から得られる物は多くの人々から望まれているとしても、それは彼の孤独を癒すのに全く力を貸してはくれないのだ。
彼の周りだけ、曽じい様が亡くなった時から時が止まってしまっているかのように、何も変化がないのである。
ある程度、魔力を持つ者でないと、羊さん達のお世話は出来ない。
そうでなければ体当たりされてしまうから。
その威力は魔力を持たない普通の人にとっては喰らえば大ケガ間違いなしの大変な威力なのである。羊さん達は見た目の可愛さや小ささでは判断できない程にパワフルなのだ。
それでは優れた魔力を持つ者を彼のお世話だけの為に寄こすのかと言われれば、それもまた街側としては勿体ないと感じてしまうのだろう。
魔法使いは色んな場所で望まれる人材でもある。
街の拡張や防衛だけではなく更なる街の発展の事を考えれば他の分野、それこそ『羊飼いのお世話』以外の方がその才能を活かせるわけで、他に分野で頑張って欲しいと思ってしまう街の者達の気持ちは分からなくもない。
それに、少年が使っている魔法は【召喚魔法】なのである。
それはただ魔力があるというだけではどうしようもないもの。
素質のある者を選ぶその技は、容易く他の魔法使いに手伝える分野ではないのだ。
せいぜいが羊さん達の相手をして一緒に遊ぶ事くらいである。
他の場所ならば大きく力を求められ、魔法使いとして期待され活躍し成長していけるのだ。
それなのに、態々ここへと来てお手伝いだけをしたいと思う魔法使いはとても少ないだろう。余程のもの好きだけになってしまう。
だからこその現状、この街では手伝いをしたいとそう考える魔法使いが一人も居なかったのであろう。
私達が来るまで、彼が一月弱も独りで頑張っていたのはそう言う訳でもあった。
それに、街の者達は思うだろう。
一人で問題なく出来ているのならば、その内適したものが出てくるまでは、彼にそのまま頑張っていて貰おうと。
今回の様に、緊急で人手が必要になったら、その時は短期間だけでも人を派遣すればいいだろうと。
それが賢い方法であることは確かだと思う。
それは誰が言わずとも現状がそう語っていた。
……だが、それならば、彼はずっとこのままの可能性もあるのだ。
もしかしたら、街の特産物の一つが無くなることを恐れて、いずれ彼の後継者を生み出す為に街が動きだすかもしれない。
だが、それは彼にとって、いや、これから先の彼の子孫たちにとって果たして良い事なのだろうか。
それに、おそらくそれは、そのまま彼の曽じい様が歩んできた道、そのものなのではないだろうか。
どうして、彼の両親や祖父はいないのだ。
曽じい様の子供達は何処へ行ったのだ。
魔力は必ずしも子に受け継がれるとは限らない。
そうなれば、その子供達は危険なので森では暮らせず、他の人達と同じように、街で暮らす事を選ぶようになるだろう。
そうなると、曽じい様はずっと一人でやって来たという事である。
そして、それは少年がこれから歩もうとしている道でもあるのだ。
きっと彼は曽じい様と同じ道を歩む事を厭う事はしないだろう。
慕っている人物と、同じ技を持ち、志を抱き、羊飼いとしての誇りを全うすべく彼は精一杯生きるはずだ。
だが、その道に寄添う孤独まで、彼も共有する必要は無いのである。
おそらく曽じい様は、全てを理解したうえで、幼き頃から彼を仕込んできたのだろう。
確りとする様に、もしこのまま自分と同じように一人きりだとしても、それでもちゃんと生きて行けるようにと。
最初から孤独であることを想定して教育していなければ、これほどまでの技巧を持った落ち着きのある立派な子になるわけがない。
当然、本人の資質も高かったのだとは思うが、そこに曽じい様の思惑が全くなかったとは、どうしても私には思えなかった。
……それにこの子は早熟過ぎた。
賢く、自分のその生き方を生涯続ける事を受け入れようとしている様にも見える。
まだ成人前にも関わらず、大人と同じように思考し、そう振る舞い、そう生きていかなければいけないと本人も感じ取って行動している節があった。
極論を言ってしまえば、貴族等に良くある敷かれたレールの上を生きる生き方と一緒ではある。
何も珍しい事が無いと言えばそこまでかもしれない。
だが、今まではそれでも曽じい様が居てくれた。
彼にも寄りかかれる存在が居たのである。
……でも、もうそんな曽じい様はいない。
当たり前ではあるが、もう彼には頼る者が傍に居なくなってしまった。
その差はとても大きいだろう。
いずれ人は増える事だろう。いずれ。
それは街の思惑と、後継の問題が重なった時に必ず。
だが、きっとそこに彼の気持ちは反映されていない。
今までもきっと、曽じい様も何かを変えたいとは思いつつも、忙しさでそれどころではなくて、結局はどうしようも出来なかった問題だ。
彼は全てを伝えきってこの世を去ったが、おそらくはまだ少年の事が心配で仕方ないのではないだろうか。
──だがそれも、たった一つの魔法道具によって、その未来が少しだけ変わろうとしていた。
奇しくも、私の手によって偶然生まれた『羊毛機木』により、少年が街とどう付き合っていけば一番良いのかと、考え動く為の時間の余裕が出来たのだ。
これの力と、私とエアの力を最大限使って、少年の住む環境を変えていきたいと私は考える。
エアに相談したら、エアも協力したいと答えてくれた。
私達は二人で、彼の予想される未来をもう少し笑顔溢れるものにしたいと思う。
勝手なことかもしれないけれど、余計な世話かもしれないけれど、彼は望まないかもしれないけれど。
それでも、私は、私達は、そうしたいと強く思ったのだ。
やりたい事にしか力は使わない。私はそう決めている。
だが、やると決めたら、とことんやると決め、これまではそうしてきた。
だから私は、彼に、『私に、君の未来を少しだけ変えさせてくれ』とお願いしてみた。
これは日が暮れて、羊さん達を帰し一緒に戻ってきた『羊さんハウス』の一室での出来事である。
食事を共にしていた彼に、ここまでの自分の考えをほぼほぼ話してから、最後に面と向かって私はそう告げたのであった。
すると少年は、話はずっとおっとりした顔で聞いていたが、最後は流石にいきなりの突飛なお願いでびっくりしたらしく、どこかぼーっと遠くを見つめ出してしまった。……どうやら思考がフリーズしているようである。
私達は、彼が戻ってくるのを暫し待った。
それは大事な時間である。
今後どうしたいのかを、きっと今、彼は己へと尋ねている最中であろう。
だから、邪魔をせずにずっと待った。
……すると、暫くして彼はふっと戻ってきて、こう話し始める。
「……エルフの方って凄いんですね。心が、読めるんですか?」
私はその言葉に首を横に振る事で答える。全てはただ状況を考慮して推察しただけに過ぎない。
だから、もちろん彼にとって失礼となる勘違いもあっただろうとは思う。
そこは素直にすまない。
「いえ、謝んないでください。と言うか、殆ど大当たりなんです。まるで、僕と曽じい様の事を昔から知っているのかと思ってしまいました」
そう落ち着いて話す彼だが、その表情とは裏腹に、話の内容は少しだけ悲しいものだった。
『曽じい様は言ってました。ずっと独りでやって来たって。息子や孫達はみんな魔力が足りず、街で暮らすしかなかったんだって。その時に、意見の食い違いから関係が悪くなって、僕が生まれた時に、みんな曽じい様に押し付けて、この街を離れてしまったそうなんです。曽じい様はこの仕事を途絶えさせたく無かったから、そうするしかなかったんだって言ってました。……僕は、生まれた直後から殆どこっちにいますんで、実は街へも殆ど行った事が無いんです。行っても知り合いなんか一人も居ませんから、行く理由もないですし。お父さんとお母さんの顔だって少しもわかりません。今頃元気にしているのかどうかさえ知らないです。曽じい様は、その事で僕によくごめんと言っていましたが、僕は曽じい様が大好きだったんで、何も問題は無かったんです。曽じい様が僕のお父さんでしたから──』
その話をする間、彼はずっとおっとりした顔を保ちつつ冷静に語り続けてくれていたが、話せば話すほどに寂しさを感じさせる魔力が私の所まで伝わってくる。
それでも途中で彼の話を止める事を私はしない。
語れるだけの全てを語りたいと思う全てを、彼のその言葉を聞きたいと思った。
少年はその後も曽じい様がどんなふうに仕事を教えてくれたのか、曽じい様と過ごした貴重な日々の事を沢山私達に語ってくれた。
「曽じい様は、僕にずっとずっと優しくしてくれました。怒った顔も一度だって見た事ないんです」
元々、穏やかな人だったらしく、教え方は徹底しているが、それもずっと優しい話し方で、彼はそんな曽じい様の話し方が好きで、真似しているのだと言って笑った。
羊達の世話は本当に小さい頃から、遊びながら学んで来たのだという。
長い詠唱も子守唄代わりに、ずっと喋ってたら苦も無く覚えられたのだそうだ。
すっと何も問題は無かった。幸せだった。
……昨年の寒い季節に、曽じい様が亡くなるまでは。
昨年の寒い季節の終わり頃、曽祖父は彼に伝える事は全て伝えられたと言って微笑むと、安心したのかその日を境に段々と体調を崩して、それから直ぐに寝込むようになってしまったのだとか。
「曽じい様は最後まで僕の事を案じてくれました。『身体に気をつけるんだよ。夜寝る時にはお腹を出さない様に』と、そして何度も『ごめんな。独りにしてしまって』って。息を引き取る時もずっとその言葉ばかりで……さいごまでそうして……」
少年は曽じい様との最後の思い出が溢れて来たのか、言葉に詰まってしまった。
おっとりとした顔は変わらないが、その口は開いては閉じ、開いては閉じ、上手く言葉を繋げないようである。
だが、それでも少年は涙だけは流さなかった。
もう充分に悲しんだとでも言わんばかりに、毅然とした姿をしている。
「ぼくは、ひいじいさまを心配させるわけには、いかないので、立派じゃないといけないんです」
少年の声は若干震えを帯びてはいたが、それでも充分に立派だと私は思った。
最初は、もし話の途中で涙が零れるのならば胸を貸そうかとも思っていたが、そんなものは烏滸がましく、必要ではなかった。
彼は寂しさを抱きながらも、確りと前を向く事を忘れてはいない。
それだけ曽じい様から深い愛情を受け、その深い愛情に応えようと、自分を律し続けている。
これを立派と言わずに何と言うのか。
言葉にはしないけれど、曽じい様はきっと、君を誇り高く思っているだろう。
「ううぅぅーロムぅぅーっ!」
──すると、どうした事だろうか、私の隣に居た筈のエアが、少年が泣けない代わりにとでも言うかの如く、涙ながらに私の胸へと飛び込んできたのである。
……どうやら、彼の話に感情移入し過ぎてしまい、曽じい様と私が重なって聞こえたのだという。
そうかそうか。それならしょうがないな。
……どうやら、うちの子はまだまだこれからのようである。
教えたい事も伝えきれてない事もまだまだ沢山あるのだ、私だって死ぬ気はない。
だから、安心しなさい。
ずっと傍に居ると、話もしただろう。
私がそうしてエアをあやしていると、正面にいる少年はおっとり顔のままで、どうか懐かしそうに微笑みを浮かべていた。
……彼にとっても、エアが代わりに泣いてくれたことで、少しは何かしらの癒しがあったのかもしれない。
それに、感覚派の純粋な魔法使いは感受性も高いのである。
エアが泣いてしまったのも、相手の心を思いやれる優しさがあるからこそだと、私はちゃんと知っていた。
……それに実はエアだけではなく、私の背中側では精霊達もくっ付いていたりするのだが、まあ、そっちもまた理由は同様である。
魔力で気持ちを伝え合う事が出来る彼らにとって、少年から届いたその悲しい魔力は直で心に響いてくるものだったらしく、感受性が大いに刺激されて一緒に泣いてしまったらしい。
それはつまり、少年の心はちゃんと泣いていたという事であった。
……よし、尚更気合が入った。
確りと彼と話も出来たし、少年も私達が動く事に否やは無いらしいので、本格的に動き始める事にする。
この家に戻って来るまでの間に、密かに情報収集は終えているので、明日から対処を開始する事に私は決めた。
……だが、とりあえず今夜の所は、このまま精霊達とエアを宥める事に尽力する事にしよう。
またのお越しをお待ちしております。




