第174話 悔亡。
「途中で魔法に気づかれるとは思ってなかったです」
おっとり少年はそう語る。
彼曰く、『最初に少しびっくりして貰って、喜んで欲しかったんです』と言う事だったらしい。
ただまあ、伊達に私も長いこと魔法に携わってないので、『気づく位は出来て当然だよ』と少しだけ見栄を張らしてもらった。……一応、得意分野なのだ。
少年は私の言葉に『やっぱりエルフの方々って凄いんですね!』と、感心してくれたようである。エルフ達のイメージアップにちょっとだけ貢献してしまったかもしれない。……人を見下してばかりの種族だとか、最近だと思われる事も多いらしいので。
「ふぁ~、ロムのローブに包まれているみたい~」
一方エアは、羊さん達がポコポコ出てきた時点で気が付いたらダイブしていた。
今は少年と一緒に撫でながら頬擦りして気持ち良さそうにもしている。
私のローブは羊毛で出来ているわけではないので、流石に少し肌触りが違うだろうけど、それでもそれに匹敵する心地良さがあるらしい。
それも見渡す限り辺り一面が羊さんだらけなので、エアは大変ご満悦であった。……一体何頭いるのだろう。
「僕にも正確な数はわからないんです。いえ、曽じい様も分かんないって笑ってました」
どうやら彼の一族は昔から羊の召喚を生業にしていたらしく、ずっと昔からこの方法で羊さん達の飼育を行なってきたのだそうだ。
そりゃ確かに、この数を一人で毛刈りするのは大変だろうと思った。
人手が必要になるわけだと私も納得である。
……因みに、探知で軽く調べたが、数百、いや、千は軽く超えているだろう。
それにこの羊さん達、普通の羊さんと違って、クリクリの目に真ん丸の身体をしていて、もっさりした状態だと一メートルくらいの大きさなのだが、毛を全部刈り取ると身体の部分は五十センチ程しかないのだという。とても一頭一頭が小さいのである。まるでぬいぐるみが動き出したかのようであった。
「プメェ~、プメェ~」
ん?そうかそうか。魔力が欲しいのか。私ので良ければあげよう。
「プメェ~!プメェ~!」
そうかそうか。私の魔力もそこそこ美味しいらしい。五臓六腑に染みわたると言って喜んでいる。
「えっ!!ロム、この子達がなんて言ってるのかわかるのっ!?」
羊さん達に埋もれながら顔だけ出したエアは『可愛い羊さん達とお喋りがしたいっ!』と瞳を輝かせている。
だが、そこはほらっ、魔力で気持ちを伝え合う例の方法を私はやっているだけなので、そう答えた。
あの方法は、大概の生物達と気持ちを通じ合わせるのに実は役立つ。……まあ、もちろん向こうに敵意が無い場合に限るが。
「そっかぁー、いいなー。……もっとがんばるっ!待っててね羊さん達。私頑張るからねっ!」
一頭一頭を抱きしめては頬擦りし、また別の一頭へと頬擦りしていくエアは、いずれ【召喚魔法】を覚えたら羊さん達と契約する事に決めたらしい。その時までに、魔力で気持ちを伝え合う術を完全にマスターする心積もりの様だ。……うんうん。エアの相棒は羊さんと言うのは中々にお似合いだと私も思う。
「……ん?ロム、それってどういう事?もしかして、召喚って一種類の動物としか契約できないの?」
「うむ。基本的にはそうだな」
「えーーーーーー、そんなーーーーーー!」
エアは【召喚魔法】を覚えたら、色々な動物達と契約したかったのか、とても残念そうな声をあげた。
……いや、出来る事は出来るのだが、その場合大概の召喚された動物たちは他の召喚獣に嫉妬するのである。
これは野生動物達の本能的な縄張り意識の問題なので、どうしようもない事だ。
召喚獣同士が喧嘩しても良いというのなら、色んな種類と契約しても良いだろうが、その場合、召喚主は全部の召喚獣から嫌われる事もある、と話すとエアはがっくりと肩を落としていた。
……召喚獣のハーレムは野生の世界では許されないという事だ。
まあ、当然中には上手くやっていた者も居た気はする。
かつて、百年以上は昔だが、『召喚士ブーム』と言うのが魔法使いの世界で凄く流行った事があるのだ。
自分のお気に入りの動物達と一緒に生活し、時には共に戦って親愛の情を深めあう事の出来る【召喚魔法】。
その素晴らしさに取りつかれた者達、一時期は研究ばかりしていて心が荒んでいた魔法使い達がこぞってそこに癒しと利を求めて【召喚魔法】を詠唱の様に、誰でも扱える身近な技術にしようと躍起になっていたことがある。
「……だが結局、それは成功しなかった」
「なんでっ?」
それは、動物達にだって心があるからだ。
誰でも扱える『物』の様な扱いは、野生に生きる者達にとって、受け入れる事が出来るものではなかったのである。
召喚では動物達と契約を行う。
その契約内容は、人と動物達の間の絆によって様々だ。
『毎日ご飯をください。そうしたらあなたを守ってあげます』
『毎日一緒に居てください。寂しかったんです』
『森は怖いので守って下さい。その代わりあなたのお家のお手伝いをしてあげます』
そんな動物達に想いを、汲み取る事が出来る者達、心の優しい者達、彼らに心から寄添いたいと願った者達、そんな者達でないと彼らと契約を結ぶ事が出来なかった。
幾ら魔方陣を改良して、動物達を捕獲し、魔法で無理矢理な繋がりを作ろうと思っても、それはもう【召喚魔法】の本質とは違ってしまっていたのである。
結局、研究者たちが創り上げた魔法は【隷属魔法】にはなっても、【召喚魔法】にはならなかったからであった。
だから、結局【召喚魔法】も素質がある者だけの魔法とされ、『召喚士ブーム』は過ぎ去り、終わったのだ。
それでもその当時は、『○○の召喚士』と言う言葉が流行りに流行って、色んな自称召喚士達が色々な場所に溢れていたものである。
中には極まって『無契約の召喚士』と言うものまで居た。……契約が出来なかったらしいが、それでも召喚士になりたかったのだという。
「だから、僕は『羊飼いの召喚士』なんですか?」
いつの間にか、エアと一緒におっとり少年も私の話へと耳を傾けていた。
私は少年に頷きを一つ返すと、『ああ、そうだ。君にぴったりだと思う』と告げる。
すると、彼は少し嬉しそうにして『そっか。僕は召喚士だったのかー』っといって感慨深そうにしていた。……どうやら、彼的には普通にこれは羊飼いの仕事の一部で、何も特別な事では無かったらしい。
私とエアはそんな少年を微笑ましく思った。
──暫くはそうして羊さん達と戯れていたが、途中で『あっ』と何かを思い出した少年は、私達の仕事内容についての話をしてくれた。
「……でも実は、今の状況でお願いしたい事は、ほぼ全部出来てるんですよね」
と言って少年は微笑んだ。
聞けば、作業自体は彼一人居れば出来らしいのだが、それには羊さん達に一対一で相手をする必要があるらしく、その間暇なままだと他の羊さん達は森中に散ってしまうのだという。
『そうなると、羊さん達を後で集めるのが、すっっっっっごい大変なんです。だから、僕が毛刈りしている間は、そうならない様に羊さん達の相手をお願いします』という話らしい。……大変の強調具合が半端ではなく、彼は凄い溜めてからそう言っていた。以前によほど大変な想いをした事があるようだ。
「そう言う事であれば。是非とも任せて欲しい」
何せうちには、既にそんな羊さん達にメロメロになって、一緒に「プメェ~っ」と鳴いてコミュニケーションを図ろうとしているエアさんが居るのである。
羊さん達もエアには大変興味があるのか、千頭以上の羊さん達が「プメェ~」と鳴いてエアに擦り寄っては楽しそうにしていた。……とても微笑ましい光景である。
羊さん達はエアに近寄ると抱っこして貰えるのが嬉しいらしく、皆で近寄ってくるようだ。
普通、千頭以上に迫られれば押し切られてしまうだろうけど、そこはやはり鬼人族であるエアの肉体強度の方が勝っていたようで、千頭の圧力に負けないどころか、いっそ嬉しそうに押し返している位であった。
羊さん達はあまり重くないのか、仲間同士で積み重なっても全然平気そうにぴょんぴょん飛び跳ねて積み重なっていく。
中には興奮しすぎて少し高い山になるまで積み重なってしまい、下の方の子達が動けなくなってしまってはいたが、そんな場合はエアがちゃんと探知しているのか、直ぐに救助に走っていた。
どうやらあちらはエアに任せておいて大丈夫そうである。
そして、元気のいい子達はあっちで仲良くやっていて貰い、私の傍には落ち着いた雰囲気の羊さん達が密集していた。
「プメェ~」
そうかそうか。気に入って貰えて私も嬉しいよ。ほら、もう少し魔力をあげよう。
どうやら魔力が関節に染みわたって気持ちいいらしい。
私の傍にいる羊さん達は、みな少しご年配の方々が多いのかもしれない。……まあ、見た目はみんな愛らしいぬいぐるみにそっくりなので、老若の見分けは正直つかない。
だが、皆さん可愛らしくて素敵な羊さん達である。
「すごい。これなら今までにないくらい順調にいきそう」
おっとり少年はそう言いながらも、その手に持ったハサミの動きは熟練の技を感じさせるものであった。
全長約一メートル、体長五十センチ、見た目の約半分はフワフワの毛で埋もれている羊さん達の毛を、こちらを余所見しながらでも的確に刈っていくのである。
流石は全てを受け継ぎ、既に達人と言われている者の技巧であると私は感心するばかりであった。
羊さん達も、少年のハサミ捌きには全幅の信頼を置いているらしく、皆大人しく「プメェ~」と鳴いて待っている。……どうやら重みが取れて少し爽快らしい。私達で言う所の散髪後に似た気分なのだろうか。
およそ一頭につき五分弱、約六分だとしても、それが千頭居るならば六千分、つまりは簡単に言えば千頭で百時間かかる作業を、これから毎日日差しがきつくなる季節の前までに彼は終わらせる予定であるらしい。
「なるほど、これは中々に大変な作業なのだな」
「……はい。それに、この子達以外にも他グループがいますから」
「ん?羊さん達はこれで全てではないと?」
「はい。他に三グループいます」
「……そうか。私達も手伝えればいいのだが……」
「すみません。これは初心者の方に任せてはダメだと、曽じい様からの教えがあるんです」
「そうか。なら、それは守るべきだろう。私達は私達に出来る事でフォローさせて貰う」
「はいっ。よろしくお願いします」
この少年も、確りした子だな。
それに、少年は曽じい様の話をする時は必ず微笑みを浮かべている。
どうやら曽じい様の話が出来るのが無意識に嬉しいらしい。……それほどに慕っていたのだろう。
なおさら、今は悲しむ暇も無い事が、逆に彼にとっては良かったのかもしれないな。
私はこの仕事の間、出来るだけ彼から曽じい様の話を聞いてあげたいと思った。
少し悲しくなるかもしれないけれど、誰かに話をする事で、ちゃんとその人の事を覚えているのだと、彼が認識できるようにしてあげたい。それほど大切に想っていたのだと。
そうすれば、あとは時間が癒してくれるだろう。……経験談だ。
それと、彼は召喚に関しても興味深そうにしていたから、そのあたりの話ももしかしたら喜んでくれるかもしれない。宣言通りに、出来る事は全力でさせて貰おうと私は思った。
またのお越しをお待ちしております。




