第172話 牽。
約十日ほどの歩き続けた私達は、周囲が森に囲まれた街へとやって来た。
広大な森の中で、そこだけが大きく円形に切り取られたような空間の中に街があり、森の者達が住まう『里』によく似た作りの街である。雰囲気はとてもいい。
各方面に通じる道は大きく広がっているが、その道から一歩外れれば森へと直ぐに入っていけるこの場所を見た瞬間、私とエアは既にこの街を気に入っていた。
一見してわかるのだが、とても落ち着いていて、澄んでいる上に、どことなく力強さを感じる。
芽吹きの季節に吹く温かな風が、森の香りを爽やかに運んできて、深く息を吸うとそれだけで大樹の森を想起させた。……ここの街は入る前からきっと居心地が良いのだろうなと分かってしまう程である。
「ロム、なんかここの街、良いね。ゆっくりできそう」
まだ門へと続く人の列に並んだばかりだというのに、エアもそんな事を言って来た。
どうやら居心地の良さをエアも感じとったらしい。
上手くは説明できない良い胸騒ぎを感じつつも、私達は二人してワクワクしながら列の進みを待った。
目の前の人の列が段々と短くなっていくにつれて、まだかまだかと気は逸ってくる。
私達の番になるとそこからはあっという間で、よくある問答と挨拶だけを交わし少しのお金を払って、私達は吸い込まれるようにして街の中へと入っていった。
──街中は想像通り落ち着きのある風景で、見渡す限り木造の建物が綺麗に並んでいた。
それに大きな街だけあって、人通りと物の多さを感じる。
まさにこれから発展していく瞬間の様な、何かが大きく変わろうとしている予感を感じさせた。
少し不思議な雰囲気がある面白い街である。
みなに活気があり、大人も子供も、街の住人も旅人も、男性も女性も、皆が忙しそうに動きまわっていた。
──さてそれでは先ずは宿屋に行き、それからギルドへと向かおう。
私達が向かった宿屋は門に入って直ぐの所で、人通りも多く立派な作りの場所であった。
部屋の値段自体は少々高めであるが、その分一人一人の部屋の広さは走り回れるくらいに広く、手足を十分に伸ばしてゆっくりと寛ぐことが出来る。
ここは食事も出来るタイプの宿らしく、エアは早速とばかりに軽く料理を注文して食べていた。
これは本格的な食事ではなく、エアにとってはおやつみたいなものである。
美味しそうに食ベているエアを眺めながら、私も隣でズゾゾーとお茶を楽しんでみた。
木々の香りが深く、濃い良いお茶である。
少々苦味が強めになっているが、私は嫌いではない。……うむ、おいしい。
エアは既に出された料理はペロリと平らげてしまったようで、今は食後のチーズをパクパクしながら、逆にお茶を飲む私の事をジーっと見つめて微笑んでいた。……チーズは結構です。
『ここでは食べないよ』と言う意味を込めて、私が首を横に振ると、エアはちょっとだけ残念そうにしながらも、手にあるチーズを一気にパクリと食べきっていた。
さてと、おやつも終わった事なので、次はギルドへと向かうとしよう。
今回はどんな斡旋先があるのかと、私達は楽しみである。
久々に『お裁縫』に関するものでもいいと個人的に私は思っている。最近出来ていなかったので反動からか少しウズウズしているのだ。
もちろん以前にやった『水道処理』みたいなゴミを掃除する系統のやつでもいいし、ちょっとくらいならギルドの職員として再び働いてもみるのもいいかもしれない。
今なら苦手な『お料理』にだって、挑戦できる気がした(上手くいくとは言っていない)。
だが、私達に持ち掛けられたのは、そんな想像とは異なる新しい斡旋先で──
「──羊の世話の手伝い?」
「はいっ。正確には羊飼いの少年のお手伝いをお願いしたいんです」
そうして、『新人用窓口』へと辿り着いた私達に紹介されたのが、なんと『羊飼い見習い』であった。
この街は今現在、周囲の森を切り開いては外壁を拡張している最中で、最終的には現在の"倍"の広さになるまで街を広げる計画らしい。
そして、その一端には広大な牧畜業ができる場所を作って、将来的にはこの街の特産にしていく予定なのだとか。
元々、この辺りは昔から牧畜が盛んにおこなわれていたらしく、この地域に生息する少し特殊な羊は、繁殖力が高く、肉もミルクも全てが美味しく需要が高い上に、その毛から作られる服はかなり肌触りが良くて街の人々からも大人気なのだとか。
ただ、その羊と言うのが中々に飼育が大変で、魔力が低い人だとあまり言う事を聞いてくれないという特性があるのだとか。誰でも出来るわけではないらしい。
そこで、魔力が高いだろうと思われる耳長族の私へ、その話が来たという訳である。
今までは、とある魔法使いのお爺さんとその曾孫の少年が二人で頑張って飼育していたらしいのだが、ほんの一月前にそのお爺さんが亡くなってしまったらしい。
現在はそんなお爺さんから完璧に仕事を受け継いだ少年が一人でやっているという事なのだが、普段の作業なら問題なく出来るものの、そろそろ毛刈りの時期が重なる為に、忙しくなる時期は流石に人手が欲しいという話なのであった。
本当ならば街からも支援したいのだが、先ほどの魔力の問題と、現在は拡張工事の方で手いっぱいな事もあり、ちょうど良い人員が来てくれるのをかなり待っていたのだそうだ。
だから、『ほんの少しの間だけでも手伝って貰えると、街も少年も可愛くて凶暴な羊達も、みんなにっこり助かるんです』と言われて、私達はそう言う事ならと、二つ返事で了承した。他に出来る人が居ないならば、やってみるしかないだろう。
……ただ、可愛くて凶暴?というその表現が若干引っ掛かりはするけれど、羊の世話に関しては少年が既に達人級でほとんど任せておけば良く、基本は羊の誘導とそんな少年の日常生活の手助けが中心になるらしい。
そして、『すみませんが、それ以上の詳しい話は少年から直接後で尋ねてみてください』と受付嬢からは言われた。
……なるほど。面白そうな仕事である。
エアも興味があるようで隣を見ると目がキラキラしていた。
普通の羊と言えば、もっと広大な草原地帯とかで草を食べているイメージだが、ここの羊は木々が密集しているこんな森の中でも普通に飼育ができる特殊なタイプだと言う事で、個人的に私はそこに興味を引かれている。
こういう新たな未知との遭遇もまた、旅をしなければ得る事が出来ない特別な経験であろう。精一杯頑張りたい。
そうして、ギルドで契約を交わし終わった私達は、早速受付嬢に聞いた場所へと向かう為、街を出て暫く森を進み、およそ半日程歩いた先で──恐らくは羊の顔の形を模して造られた──不思議な山小屋へと辿り着いたのであった。
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