第171話 徒。
今回は区切りの関係で少し短めです。
「エア、その『雷石改六』を、私にくれないだろうか」
「だーめ。これはわたしの宝物になったのっ!」
……エアが意地悪をします。
私の失態が詰まった酒場での一件があの石の中に完全に収められているのだ。
エアはそれを朝からもう何度も見ては、毎回私の顔をチェックしてくるのである。
もちろん、そこに本当に悪意なんかがあるわけではない事は十分に分かっている。……ただ、はずかしいのだ。
私がその石を渡して欲しいと頼むと『ロムは消しちゃうつもりでしょ!だからだーめ!』と言って渡してくれないのである。……ぐぬぬ、消したい。
消せる過去がそこにあるのに消せないこの歯痒さは、なんとももどかしい。
だが、もちろん私はそれで不機嫌になったりはしなかった。
なんと言ったって、エアが朝からずっとこの満面の笑みなのである。
私にとって、この笑顔に勝る癒しはないだろう。
それに、エアが『宝物』だと言って、お気に入りの古かばんに入れたその魔法道具には『私の失態』しか映っていないのだ。
それを『珍しい宝』だと言ってくれるのだから、多少の恥ずかしさは覚えるけれど嬉しくないわけがなかった。
私の代わりに迷惑をかけた酒場の人達には謝罪して、例の彼女と彼にもちゃんと別れの挨拶をエア一人で済ましてくれた上に、私の事を背負って連れて来てくれたらしい。
今回、私はエアに沢山迷惑をかけてしまった。本当に感謝しかない。
それにしても、動物のミルクから作られる『チーズ』の存在は知っていたが、それでまさか自分が酔った様な状態になるなんて、私はこれまで長く生きてきて初めて知った。
つまりは、今回初めてチーズを口にしたという事でもある。
この反応が、私だけの物なのか他のエルフも同様なのかは知らないが、おそらくは私個人だけのものだろう。
もしも他のエルフも同じ状態になるのだとしたら、これまでにもっと噂になっていてもおかしくはない筈と思ったからである……まあ、なんにしても私は暫くは『チーズ禁止』だ。
どこか落ち着ける時間が出来たら、苦手克服のための訓練をすることにしよう。
「えー、もうあのロムには当分出会えないの?」
出会えません。
目の前のロムで我慢してください。
「チーズ食べてってお願いしてもダメ?」
はい。危険ですので、エサも与えないでください。
因みに、エアが密かに酒場から『チーズ』の一部を購入し、その古かばんの中に隠し持っている事を私は既に知っている。……精霊達に教えて貰ったのだ。
「えー、知ってたのーっ!?むー、だれーロムに教えた人はーっ!……『かーくん』?もー、秘密だったんだよー!」
そう言いながら、エアは精霊達の方を向くとぷくーっと頬を膨らませた。
対して、精霊達の方はワタワタしているのが見える。
……とても微笑ましい光景だった。
だがしかし、本当に気をつけなければ。
次もまた何の対策も無しに口にしてしまえば、私はまた同じような失態を再び起こしてしまう自信がかなりある。
それだけはなんとしても阻止しなくてはいけない。
冒険者と言うのは、常に油断も隙も見せてはいけないものである。
それが原因となり、いつどこで誰に狙われて致命に至るかわからないからだ。
羽トカゲも恐ろしい生物だが、人もそれ以上に恐ろしい生き物なのだという事を、私は経験上痛い程知っている。
エアを守る為にも、私は常に確りとしておかなければいけないだろう。
「安全な場所で、時々食べるぐらいなら、いい?」
「……ふむ。……時々ならな」
「やったーっ!」
味は嫌いじゃなかったので、食べたくないわけではないのである。
あくまでも安全が確保されているのならば、私の訓練にもなるし、まあ問題は無いだろう。
……ん?なに?また例の『甘やかし』が始まったって?……ちょっと何言ってるのかわからないな。
──そんなのんびりとした会話をしながら、私達はまた五日かけて元いた場所へと戻り、その先にある次の街を目指して歩き続けるのだった。
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