第167話 蛉。
彼女を魔法で浮かべ全力で空を飛び帰って来たので、あっという間に私達は街へと戻って来れた。
だが、街の前で彼女を地面に下ろすと、未だ気持ちの整理がついていないのか『やっぱりまだダメッ!』と言って、彼女は再び逃げ出そうとし始める。……おやおや、どこへ行くのだ。逃がさんよ。
それにここまで来て今更なにを言っているのだ。往生際の悪い。
……しばし魔法で寝かしておくか。相方の目の前に着いたら起こしてやればいいかもしれない。
「いやっ!やめて!ほんとに、まだ合わせる顔が無いんだって!もう少し時間を置いて、それから──」
君が街を飛び出してからもう五日も過ぎているだろう。時間なら充分に置いた。いっそ置きすぎである。
『鉄は熱いうちに打て』と言う言葉もある。熱く変形したばかりの方が元へと戻り易い時もあるのだ。
これがもっと時間を掛けてみろ。
君達の関係は変形したままの状態で冷めて固まり、もう二度と戻せなくなるか、君の手の届かない場所へと向こうが去ってしまい、もう手遅れになるかのどっちかしかないぞ。
「……そんな」
全身全霊で謝って来るのだ。自分が悪いと思ったのならそれしかない。
君が相方の男性の事をどう思っているか、それを正直に伝える為に行くのだ。
──よし、では先ず相方の居場所を探そう。
さあ、一旦これを持って貰えるかな。
「……これって、ただの石?じゃないんですか?」
まあまあ、細かい事は気にせず、それに魔力を通しながら、彼の事をちょっとだけ思い浮かべてみなさい。
「はい……うぬぬぬ、ううーーんんっ!」
……少し気合が入り過ぎている気はするが、まあそろそろ充分だろう。
それでは、その石をちょっと貸して貰えるかな。
「え、はい。……どうぞ」
それでは、すまんが少しだけ彼の顔を確認させて貰う。
私が相方の男性の顔を把握できれば、後は街中を魔力の探知で──。
「…………」
──渡された『雷石改六』を見て、彼女の相方の顔を確認しようとしたのだが、その瞬間、脳内に見せつけられた光景に、私は圧倒され声を失った。
そこに映っていたものを簡単に言うなら、幼き日から今日までのとある男性の全ての成長記録を見せつけられた様な感覚である。
よくもまあこの短時間でここまで沢山の光景を焼き付けられたものだと、感心する程にその情報量は多かった。
普通は一枚出せれば充分なのに、これほどとは。
……と言うか、ここまで想っているくせに、この子は何を迷う事があるのだ。
それに二人は深い関係だったらしく、赤裸々には語れないが、生々しい男の裸体なんかを見せられた日には、流石の私も絶句せざるを得なかった。……勘弁して欲しい。見たくないものを見せられたのである。
……この魔法道具、今日からもう封印決定です。これは少し改良してからでないと発売も禁止だ。
もちろんこの中身も、私の魔力で強制消去させてもらいます。
「あっ……」
そんな残念そうな顔をしてもダメです。
それに君は、この石の事を気にするより前に、やらなければいけない事があるだろう。
石の中の光景なんかより、本人にちゃんと向き合いなさい。
気合を入れて。誠実に伝えておいで。
「……はい」
それにどうやら、魔力で街中を調べた所、相方の男性は冒険者ギルドの中に居るらしい。
私は彼女を魔法で浮かべて連れたままギルドの中へと向かい、彼がいる大きな一室の中へと入って行った。
その中は、冒険者達の運動場を兼ねた施設になっていて、部屋の外周をひたすら走っている者や、剣術や魔法の練習している者達など、沢山の人が活発に運動や訓練に励んでいる。
ここに来るものはだいたい冒険者のランクで言うと『緑石』以上の者ばかりで、戦闘の心得がある者ばかりなのだが、その中に一人だけ確かに身長が百五十センチあるか無いか位の線が細い少年が、ひたすら黙々と外周を走り続けていた。恐らくはあれが、私達は目的の人物だと直ぐに分かる。
彼からは逆に、入口周辺にいる私達は他の者達と紛れてしまって中々見えないだろうが──ん、いや、向こうも気付いたらしい。
そして、私の隣に彼女がいる事を見つけると、彼は一度だけ俯いたが、直ぐにまた顔を上げてこちらの方へと走って来た。
──さあ、頑張って謝るんだぞ。
「…………」
……だがしかし、ここで一つだけ大変残念なお知らせがあります。
なんと、私の隣に居る女性、いつの間にか気絶していたのである。……何故だ。
いつから気絶していた。……現実逃避か?
目の前からはもう直ぐ相方の男性が真剣な表情で近寄って来るというのに、これから大事な話をしなければいけない彼女の方が白目を剥いて気絶してしまっているなんて……どうすればいいのだ。
魔法で強制的に起こしてもいいけれど、間に合うか?いや、間に合わないだろう。あれは少し時間がかかるのだ。
それに、いきなり目を覚まして上手く説明できるか?いや、出来ないだろう。
きっと起こしたら変な状況になり、それを彼に説明しても納得してもらえないまま面倒な事になり、状況の収拾がつかなくなりそうな気がすると、私の長年の勘がそう告げていた。
ならば、こうなったら少し搦め手を使うしかないかと私は決意する。……まったく、どうなっても後で恨まないでくれよ。
「もう、新しい男を連れて戻ってきたのか……?──ん?いや、違う。寝てる?白目で?」
私達の元へと走って近寄って来た彼は、開口一番にそう言って来た。
けれど、途中で彼女の様子がおかしい事に気づいてくれたらしく、不思議そうな表情をしている。
因みに、目の前の彼、石の時にも見たわけなのだが、実はかなりの美少年であった。
──まあ、それは一旦おいておくとして、私はさも『君達の事情なんか知りませんよー』と言う風を装いながら、とある魔法道具を取り出し、今だけは職人のフリをして語り始めた。
「あなたかな。この女性の相方と言うのは?」
「えっ、ええはい。そうですけど。あの一体なにが?それもエルフの方とこいつが知り合いだなんて聞いたことも無いんですけど」
「……そうか。なら先ず私が何者であるのかから話をしよう。簡単に言えば私はこの魔法道具を作った者なんだが、実はこちらのお嬢さんが魔法道具を使ったはいいけれど、全然お金を持っていなかったらしくてね。こちらも料金を貰えないと困るんだ。だから、将来を誓い合った相方が居るという話を聞いたので、その人に払って貰おうと思い、こうして足を運んだという訳なのである」
「はっ?こいつがそんな事を?」
「ああ、証拠もある。ちょっとこの魔法道具に魔力を流してみてくれないか?」
と言って、私はとある映像を焼きつけた──彼の裸体が写っているのとは別の──『雷石改六』を相方の男性に渡した。
彼は『これが魔法道具?ただの石じゃないの?』なんて呟きつつも、言われた通りに魔力を通し始め、その中の映像を見ている。
するとそこには、パンを口に突っ込まれながら私達へと事情を説明していた時の彼女と、彼に謝罪しながら自分がどれだけ酷いことを言ってしまったのか、そしてそれをどれだけ悔いているのかを正直に白状する彼女の姿があった。
それに見続けていくと、食事もとらず思いつめ、終いには脱水症状で死にかけた彼女の姿も丁度いい感じに編集してあり、確りと魔法道具に彼の顔を焼き付ける時の踏ん張っている彼女の映像も最後にちゃんと付け加えて繋げてある。
とりあえずはこれで彼女の今の気持ちが彼には伝わるだろうし、彼女がこの五日程街から飛び出して死にかけていた事、そして魔法道具をちゃんと使用しましたと言う証拠まで、確りと見せられたと思う。
今の私が出来るのはこれくらいである。
後はこれを見て、彼がどんな判断をするかだが、彼はこれを見終わると彼女に向かって『おまえ、なにやってんだよ。勝手に居なくなるなって』と、未だ気絶したままの彼女へと困った表情でそう呟いていた。
私がそんな彼に『これは記憶の一部を絵のように写したり、少しだけその時起こった事を映像として残してくれる魔法道具なんだ』と説明すると、彼はちゃんと理解してくれたらしい。
だから、彼が見たそれらの光景は全て、本当にあった事で。
その中で話されていた彼女の気持ちも、全て本当なのだと話した。
それを聞いた彼は黙り込むと、暫くはひたすらに彼女の方を見つめている。
私はそんな彼に『彼女に怒ってるのか?』と尋ねてみた。
だが、彼は静かに首を横へと振ると、私へとこう答える。
「俺がこいつより力が無いのも、役に立ってないのも、背が小さいのも、全部本当の事なんですよ。言われた時は、何を怒ればいいのかもわかんなかった」
彼は言われた当時、ただただショックで、落ち込んだのだという。
正直な話、彼は自分では彼女につり合ってないとずっと思ってもいたらしい。
実力もそうだし、背の事も、実際に気にした事は数えきれない程あったのだとか。
だが、それでも彼女は幼馴染として彼を冒険者に誘い続け、彼は彼女と一緒に冒険者になろうと決意した。
けれど、今までは『彼女に誘われたから』と言う理由だけで冒険者をやっていたのだという。
だから、酒場での仕事の方が向いているのかもしれないと彼女に言われた時には、自分でも少し納得してしまったのだとか。
……そんな自分が情けないと、彼は心底思ったそうである。
だがしかし、そんな落ち込んだ状態でも、翌日には普通に身体は動いたらしい。
精神状態は最低状態でも、気が付いたらいつも通りの訓練メニューを熟し、ランニングだったり、棒振りだったり、子供の頃からやって来た事を迷いも無く自然と行っていたのだとか。
小さい頃から、彼女と一緒にずっと野山を駆け巡って、力をつける為に地道にやって来た事が、彼に冷静になる時間と力をくれたのだ。
身体を動かし続ける事で、彼の心には消えない火が灯り続けていたのだという。
それに実際、やってきたことの成果は出ている。力こそ足りないけれど、それこそ体力だけならば、周囲にいる冒険者達には誰にも負けない自信があった。
……そう考えた瞬間、彼は自分の心にある変化に気づいたのだそうだ。
最初は『彼女に誘われたから』でなった冒険者だったけれど、今ではもう『自分がやりたいから』冒険者をやっていたのだと、冷静になればはっきりとそう思えてくる。
どこか曖昧なままだった部分が、シャキッと引き締まったのだと彼は感じた。
「なんか、こいつも謝るつもりだったみたいだけど、俺の方が謝るつもりだったんです。今までは頼り無くてごめんって、これからはもっとシャキッとするからって……けどまさか、酒場での仕事中そこまで想い悩んでて、俺に言ったあの言葉もそこまで気にしていたとは思わなかった。もっと単純なやつだと思ってたのに……」
彼は一日でも早くランクが上がれるように愛想よくして、店の仲間達とも積極的に協力して好印象を与えるように笑顔で頑張っていただけだったのだという。
当然、お店にいる他の女の子には目移りもした事が無いのだとか……。
と言うか、そもそもの話──
「──幼馴染だから可愛い部分とか性格とかも全部知ってるし、美人だしスタイルも良いし、ここまで俺の事好きな奴も他にいないだろうし、俺もこいつしかいないって思ってるわけで……。まあ、ぶっちゃけ他の子なんか見る必要が全くないですねっ!」
と、にかっと笑いながら、彼は私へと盛大な惚気と彼女自慢をし始めた。
……おやおや、それならこっちも、うちの女神の話をしてしまうがよろしいだろうか?
──実は、少しお馬鹿なこの彼女、高身長で腕っぷしも強い上に、かなりの美貌の持ち主でもあり、目の前の彼が言う所によると、かなりグラマラスな美人さんなのだそうだ。
正直言って彼女の方がモテるから、捨てられるんじゃないかと心配しているのは彼の方なのだという。
……だがまあ、そんな事を言っている彼の方も、少女と見間違うかのような美少年なのだから、どっちもどっちと言う話であろう。
それに、彼女が彼を捨てる事はないだろうなと、私は思った。
……その根拠は今、私の手の中にある。
私の手の中には、未だとある光景が消去前のままで残っている『雷石改六』の姿があった。
──よし、折角だからこれは彼に渡してしまおう。これを見ればその心配も消えるはずだ。
……はい、これあげる。プレゼント。
「……はい?ん?これさっきのやつですか?……もしかして、まだ他にもこいつの姿が映ってるんですか?この魔法道具良いですね。俺も一個欲しいなー」
彼はその中身が一体何なのかを知りもせず、無邪気に受け取ると満面の笑みで魔力を通し始めた。
先ほどの続編を見る感覚で視るときっと手痛い反撃にあう事だろう。……文句は君の彼女にお願いします。
まだ改良自体は出来てないので、使用者設定を彼と彼女だけに設定し、その他の者には変更不可にした。私の魔力でロックもさせて貰う。
これで悪用もされる事もないだろう。
要らなくなったら壊せばいいし、後は二人に処理を任せる事にした。
──そしてその数秒後、施設内には彼の絹を裂くような悲鳴が鳴り響くのであった。
またのお越しをお待ちしております。




